2020年08月26日

北海道の寿都町の核廃棄物問題 (3000人の町は限界集落化して維持できない)


北海道の寿都町の核廃棄物問題

(3000人の町は限界集落化して維持できない)

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寿都町に確かに行ったことがある、それが奇妙なのだけど記録もないので確かめようがなくなった、岩内町まで自転車で下り岩内から寿都町まで海岸線を行った
弁慶岩とかあるから義経が逃れてやがてロシアの方にわたりジンギスカンになったとかの伝説がある

寿都町の特徴が風がいつも吹いているから本当に風の町である
それは岩内から寿都まで狭い海岸の道を行ったからそれだけは覚えている
日本海側だから日本海に面した本州と気候が似ている
寿都町の歴史が意外と古い、北前船が通っていた江戸時代からあるった
北海道では古いとなる

75 歳以上の割合が最も多くなっています。漁業形態別では、定置底建網漁業では、
40 歳未満が多くなっていますが、浅海漁業では 7 割以上が 60 歳以上となっており、高齢化が
目立ちます。今後の産業の維持のためには、漁業の若返りと人手の確保が必要です

テレビでは大きな牡蠣の食べ放題とか宣伝していた、昔のニシン御殿を改造して食事する場にしていた、ここで何か売り物になるのはこのニシン御殿と海産物とかである
漁港がありそれが町の中心なのかもしれない、それにしても3000人は少なすぎる
限界集落である、その町が維持できるかとなり放射性廃棄物の処理場が国に指定されてもめているとなる

北海道チャンネルでは反対の立場で応援している、それで牡蠣がうまいと地元で宣伝していた人を取り上げたのである
ここになぜ関心をもったかというと私はここに確かに行ったからである
ただ記録がないから頭に記憶されたことで思い出す、とにかく風が強い場所でありそれでマスコットキャラクター「風太」とかを宣伝している
風力発電もできた、ここは一日風が吹く場所なのである

磯菊や留寿都の風に吹かるかな

海岸にびっしりと延々と磯菊が咲いていたのを思い出している
磯菊がふさわしい場所だった、もの錆びた地域である、家も少ない
泊発電所は岩内町の近くにあり札幌もここでは近い方である

北海道ちゃんねるでは寿都町は公共の建物がそれなりに整えられているから町長の手腕をほめていた、建物は立派なのである
ただこれは飯館村でもそうだが50億円の学校を5人の生徒のために建てたと批判された原発の復興がいくら箱物を立派にしてもそれぶ復興にはならないことも言えた
別に施設が粗末でもそこに人がいれば市町村でも活きてくる
つまり肝心の人がいなくなっているのだ
何か小高でもマルシェとか施設は立派に作ったのである、でも若い世代は帰ってこないのである  

飯館村ではこじんまりした新しい家を建てていた、でもそこには人は住んでいなかったのである、それで別荘だと言われている
要するに建物だけが立派でも復興にはならない、またそれで活気がもどる訳でもないのである、問題は人がいて建物も活きてくるのであり建物を活かすのは人なのである
原発事故の大被害にあったこの辺では肝心な人がいなくなったことが最大の問題だったのである、そのいなくなった地域に立派な建物を建ててもそれで町でも村でも昔の賑わいをとりもどすかとなるとならない
だから不思議なのは戦後焼野原になったとき引揚者が地方に帰ってきた
そこで働く場所がなく不便な地域に開拓に入った
例えば飯館村でもそうである、全国的にそうだった、飯館村の人口を見れば驚く
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戦後に増えた、一万一千の時もあった、これはどこでも全国同じである
ということはその時どこでも辺鄙な村でも活気があった、貧乏でも活気があった
団塊の世代は子供で若い人であふれていて活気があった
どこでも子供群れて遊んでいた、それは寿都とかでもそうなのである
人口も6000とかあり更にさかのぼると人口は多かったのである
これは全国的傾向である、ただ北海道の場合は極端なのかもしれない
なぜなら北海道の人口の四割が札幌に集中している
都会に集中してしまうのである、北海道は極端だとなる
なぜ貧乏なのに飯館村で生活できたのかとなると不思議になる
6000人の倍も住んでい時があった、それがどうしてこうなったのか、全国的でもそうであり
時代をふりかえると別に貧乏でも人は生きていけたとなる
今の二倍もの人口をどうして飯館村のような所で養えたのかとなるからだ
ただ山菜だけを食べていたという訳でもないからである

とにかく日本人の問題は少子高齢化だということを指摘する人がいるのもわかる
老人ばかり増えてはどんなことしても昔の様な賑わいをとりもどすことはできない
老人は今毎日病院通いしている人が多いのである
ただこういう場所だから核の廃棄物処理場にするのにはいいと国に見られたのである
それで北海道知事も何も言わないというのはおかしいと指摘する
それはここでも双葉とか大熊地域はもともと森であった場所で仕事がないとして出稼ぎに行かないで暮らしたいとなり東電の原子力発電を誘致したのである
ただこの時はほとんど議論もしない、国と県が結びつき町民でも反対することはなかった漁業者は漁業権を東電に売って事故前も補償金をもらって悠々生活していたのである
事故後も漁業者は補償金が手厚いから暮らしに困ることはない、事故前も御殿を建てて事故後をやはり同じだったのである

そこで寿都町はこの辺と事情が似ていると関心をもった、ただ寿都はこの辺より条件が相当に悪い、もう3000人で町が維持できるのか?
それも老人が多い、そんな町が維持できるのか?建物だけを立派にしても肝心の住む人がいない、若い人は流出した、それは原発事故を起こしたこの辺とにているのである
その条件もこの辺より悪い、この辺だとまだ近くに都市があり働く場所がまだある
そこにはない、ただ泊原発とかで働く場所がありそういう所で現金を収入を得ているのかとなる

ただ放射性廃棄物処理場とかは武田邦彦氏などは安全だとしている
だから原子力発電とは違ったものにもなる、それでもそこは不明であり不安になりふさわしくないとなる、それが漁業者から言われて反対される
でもここでは全くそういう反対の声を聞いたことがないのである
何の疑問もなくただ補償金がもらえるということで漁業権を売ったのである
今その漁業者が反対するのは福島原発の事故があってそうなったとも言えるのかもしれない、一旦事故になるともうその町でも村でもゴーストタウンになることを示したからである

原発には問題がありすぎたのである、核廃棄物の処理でもそうである、とにかくやっかいなものだったのである、でもなぜこれがすすめられたかというと先進国では核の技術をもつことがせまられた、それで福島原発事故後でもベトナムとかイギリスとかに原発を作る予定があったが頓挫した、原発は割の合わないものとなったのである
ただもしこうして原発をやめるとその技術も後退する、つまりもう技術的に後継者もいなくなり維持できなくなる
でもそれが原発の運命だったともなる、あまりにもリスクがあったのが原発だったのである
そして原発をもたらした福島県の政治家の渡部恒三が死んだ、これも原発事故があり最後は有終の美を飾ることができなかった、ただ福島県を汚した政治家とされるだけだったのである、原発はあまりにも巨額の金が動きそれに翻弄されたのである
事故後でもなんで除染に何兆円とかかけるのかとなる、それも徒労のように見える
小さな庭の池の除染に半年以上かける、これも理解しかねるのである
それほど一旦事故になると大被害となりとりかえしのつかない修復できないものとなるのが原発だったのである

それで日本を元の活気ある社会にもどすには人口を増やさない限り無理だというのもわかる
国全体を見れば老化して瀕死の状態になってゆく、それは少子高齢化が最大の問題なのだとしている
それでフィリンピンは安定して人口が増え若い人が増える、減らないとして投資をすすめている記事が他の人も書いていたのである
それはなぜ戦後に食べ物もない、最低限の経済でも活気があったというとき若い世代が多いから貧乏でも国に未来があるとみなされていたともなる
団塊の世代がその象徴だったのである、それも今度は老いてゆきお荷物となり負担となるそうした逆の現象となり国が衰退してゆく
それは危機となっている、この辺で避難区域なった場所が一時ゴーストタウンになったように市町村が消滅してゆく、維持できなくなっゆく危機なのである
流出した若い人は帰ってこない、そして町や村でも維持できなくなっている
そうしたことが原発事故で起きたが他でも寿都でも起きている
それは全国的な問題なのである、危機となっている問題なのである   

衰退する日本を一気に逆転させ国力、影響力を活気を倍増する方法がある

posted by 天華 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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