2020年08月29日

自然災害など人間社会に起きることの不思議 (神からの罰として起きることもあるのか?)


自然災害など人間社会に起きることの不思議

(神からの罰として起きることもあるのか?)
      

死⇒原罪⇒罰

認知症(難病)⇒罰

津浪⇒原発事故⇒罰

コロナウィルス⇒罰

オリンピックの中止⇒罰

人間に起きることは不可解なことがある、なぜこうしていろいろことが起きたのか自分自身の一身上でも不思議なのである
家族が認知症になったことでもそうである、なぜこんな病気に見舞われたのか?
こんな悲惨な病気に見舞われたのか? 
何かALSとかは業病であり神の罰だとか言って顰蹙を買った
カルト教団だと常にそういうことを言うがその教団でもそういう人はいくらでもいる
不運に死ぬ人などどうしても普通の人より多いからそういう場に入り不幸から逃れようとするが実際はさらに不幸になっている人も確率的には多いのである
認知症になって自分は悪いことはしていないと言っていた
でも身内だから言いにくいが傲慢なところがあったことは確かである
その傲慢さが銀行からも金を下せないという悲劇になった
金をいくらためてもそうなったら金の価値は無になってしまった驚きである

でも大概の人は老人ではそういうことを言う、むしろ悪いことをしてきたからそう言っているのだ、まず悪いことをしない人などいないからである
ただ病気がみんななるしその因果関係はわからない
別に信仰深い人でも病気になっているし死んでいるからである
会社だって団体でも悪いことしている、カルト教団自体が宗教を装い悪いことをしているこの世自体がブラックなのである
それで人々の心がみな悪いとしてノワの洪水が起きた
それは神が起こした大自然災害だったのである 
ただ人間はこの世に生まれて災いからまねがれることはできない
ヨブの苦難は神が苦難を与えたのであり信仰の試練として与えた
そして苦難を乗り越えて神に祝福されたのである

個人的にも神に守られるということはある、自分にしても何回か死んでいたようなことがあった、それが死ななかったのは神が助けたのかとなる
お前はまだ死んでいけないとして助けたのかもしれない、ただ死ぬ危険は交通事故にあった、三回くらい自転車で転んで強く打ったからそれで死ぬことがありえた
三本の前の歯が折れた、他でも頭を打って死んでもいいときがあった
でもこの交通事故で死ぬ確率は多いのである、この世では今まではイスラエル民族を神が守った、でも新約時代になると個々人を守るのが神になった

では一身上でもまた社会でもこんなに災いが連続して起きるのか?
津浪などはあまりにも恐ろしいものでありこんな災いは想像もつかないものだった
ただ津波でも三陸では明治に起きていて一万人死んでいるとかある
だから別に今だけに起きたことではない、でも余りにも大きな被害だから神からの罰なのかとまでなる
それが確かに原発事故を起こしたことでそうだったとも解釈した
核そのものが原子核を破壊して熱をだす危険な操作だったから科学者がこんなことするべきではないと言っていたからである
また遺伝子操作などもそうした危険があり何が起きて来るかわからないのである
すると予想もつかない災いがまた起きてくるかもしれない
オリンピックの中止もコロナウィルスで起きた、これも広告屋の電通とかの利権のためにあるとか言われた
オリッピックは平和の祭典ではなくなっていた、商業主義でありもうけのためにするのである
だから中止されてもいいものだったともみた、それよりまだ復興していない東北に力を注ぐべきだと思っていたからだ

人間はそもそも神のタブーを禁止したことをして災いをもたらした
それはアダムが智慧の実を食べた結果として神から罰せられた、原罪を負った
つまり何々をしてはいけないということを神が禁じたことをした結果として災いが生まれたのである
それはプロメテウスがゼウスから火を盗んで過酷な刑に処せられたとかも同じである
タブーを破った結果として過酷な刑に処せられた
それは原発事故でもそうだった、プルトニウムの毒が二万年消えないとかそのために除染しても除染してもできない、森から放射性物質は出てくるからである
それはまるでシーシュポスの神話と同じだと述べた
岩が転がり落ちてきてそれを持ち上げてもまた坂から落ちてきて延々と岩を持ち上げる罰を与えられたのである、それは何の意味もない苦行を課せられただけである
それはやはり過酷な罰だったとなる、カルマだったともなる

この世の謎というとき人間社会に起きることは何かすべて合理的に判断できない
確かにこの世に起きることには原因と結果があり、何か原因があって結果がある
事故だって何か必ず原因があり原因が追究される、そして機械が壊れてもその原因がわかれば安心する、でも原因がわからないと何なのだろうとなる
コロナウィルスなどは正体不明だから不安になっている
どうしてそれが生れてどういうものなのかわからないから不安になる
何でも原因がわかれば病気でも直せるとなり安心する
そのために人間は原因を追究している、それで人間はいつかは死ななくなるとかまで言うことになる、科学が万能になると思っているからだ

例えばレバノンに逃れたゴーンのレバノンであんな大事故が起きて悲惨なの状態になったのはなぜなのか?その原因は何なのかとなる
ゴーンに罰が当たったとかともみる、悪人に逃れる場所がないともなる
その因果関係があるとするとそうなるのか?
神が罰したとかなる、何か宗教の場合はカルト教団でも常に罰があったと批判する人を言うのである、だから政治でも批判できなくなる、レバノンでは宗教政党がいくつかモザイクのように支配していて政教分離していなから政治でも批判できないとしている
アメリカの黒人暴動でもそうである、そもそも奴隷として連れてきたことに原因があるからだ、それがアメリカのカルマとなっているのである

コロナウィルスウィルスでもウィルスとは何なのだろうとなるとこれもやはり神の自然界のタブーを破った結果として自然の復讐だともされる
人間が入ってはいけない、または触れてはいけない生物がすむ領域に侵入した結果として起きたとなる、そして風土病でありその土地土地に限定されたものだったがグロ−バル化でたちまち広がる、だからグロ−バル化とか交通の発達にも負の面があったともなる
つまり何でも原因があり結果があるともなる、それは科学的思考でもある
ただ科学と宗教がありそれは確かに一つの根で共通している
もともとは宗教であっても呪術であってもやがて効果のある薬を植物から見出して飲ませる、すると効き目があるとして薬が発展する、ただ祈ったり護符とか与えても病気は治らないからである
ただの紙切れでも与えるということは今でもどんな宗派でも行われている
でもそんなもので病気は治らないから今は宗教者は信頼されていないのである
それで宗教は衰退して科学技術の自体になり科学者が神官に聖職者になったのである

要するにこの世に起きることに神の関与があるのか?

なぜこのように様々な災いが生れて来るのかという原因がわからないからそうなる
もし科学でも何でも説明できればそうかとなるができないからこそ自然にも人間界にも神の関与があるのかとなる
旧約聖書では明らかに神の関与があり神が自然でも変えて選民であるイスラエルの民を導きだした、救い出したのである
そういう物語が基本的なものとして形成されている、それが奇跡なのである
モーゼでも脱出がテーマであり海を割り道を作ったというという奇跡でもそうである
そんなことありえないというがその奇跡を否定したら信仰自体成り立たなくなる
聖書とは神が人間でも自然でも関与したことを記したからである
ただ新約聖書からはそうした奇跡の物語はあまり記されなくなって科学の時代になったのである、なぜなら結核を治したのは科学者であり医者だったからである
それで科学者が神官になり聖職者になったのである

でもコロナウィルスでも以前として未知のものが生まれるとそれは何なのか解明できないから不安になる、そうなると科学で解決できないととなると祈るということにもなる
それしか方法がないからだ
でもなぜこれほどいろいろなことが一身上でも社会でも起きて来るのか?
末世になるとそうした災いが生まれるというのもわかる
一身上で駅でボランティアしていたがそれで何ら認められることなくかえって駅長にも
地域の人にも認めらなかった、そして怪しい人として警察に通報されたりした
要するに勝手駅に何かするなとされたて終わったのである
そしたらコロナウィルスで鉄道が利用されないという信じられないことが起きた
これも何なのだろうとなる
人と接することができないということも何なのだろうとなる
これも罰だったのかと勝手に私怨として見ることにもなる
宗教というのは何かそういうふうに相手が批判したりすると必ず罰当たるとかいうのが普通でありそれが個人でもそうなり危険なのである
原因と結果を宗教的解釈する、すると科学的思考とは違ったものになる
例え自分に非があっても罰当たったとか喜ぶのである、宗教はこうして悪人に悪用されてきたのも歴史である

ただ神が人間界に関与するというときなぜ第二次世界大戦のような悲惨なことを見逃しているのか?

原子爆弾を落とすようなことを見逃しているのか?

それが不可解なのである、例えば日本が神の国だとしたら奇跡で原子爆弾を落とす飛行機を何らかの力で墜落させてもいいとなるからだ、それもなかった
ただベトナム戦争ではなぜ圧倒的な力があったアメリカが勝てなかったのか?
そこには神の力か働いたのかとなる
聖書では力の強いものが必ずしも勝つ歴史ではない、弱い者でも神が関与すれば味方になって勝った歴史なのである、それを記したのが旧約聖書である
ともかくこの世に起きることはすべて原因結果があるとしても合理的にも説明できない
すると神が関与したのかとなる、ただ神が関与したとなるときこの世を変えることではない、神はこの世から選ばれた人を救い出す脱出させることを奇跡を通じてすることであるだからそもそもこの世を変えることは不可能である 

むしろこの世は欲でもって滅びるとされているからだ
この世が改革されて天国になることはない、滅びがあるだけだとなる
ただ改善の努力はつづける、でもそこに必ず不可抗力なものがある
それはなぜなのか?それは人間の根本的な罪が払拭できないからである
共産主義でも資本主義でも極端な格差社会になるのもそうである
人間の欲が限りなく肥大化してそんなことになる、ほんのわずかな人たちが巨額の富を得てどっちにしろ貧困者が増大していることでもわかる
平等を目指した共産党の幹部が何兆円もの金を得ている
これほど矛盾したこともないのである
つまりどんな主義であれ社会を変えることが不可能なのは人間の欲が消えないからである科学技術でも人間の欲のためにありそれで原発は金の成る木となりあらゆる人が政治家でも官僚でもマスコミでも御用学者でもその欲のために群がった
そこで危険は無視されたのである、それは地元の人たちも同じだった
原発事故の原因もいろいろあってもその中で人間の欲がありそのために事故が起きたともなるからだ


天変地異がなぜつづけて起きるのか?
(悪を暴き出す面はあった、地球を浄化するためなのか?)

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/187854982
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック