医療の無駄は大きい
(4兆円コロナウィルスで病院の収入減るー2025年問題の深刻)
福祉でも必要でも無駄が多い、とにかく検査するために東京の方に医者に行けとかまた
人間ドッグに入るとか何かと医者通いである
それも無料ではない、負担がある、でもその負担ができない、そしたら普通はそんなに医者に行けなくなる、現実にそうして金がなくて医者に行けないと薬も飲めないとかある
なぜこうなるのか?福祉だと医者がそれほど必要なくてもすすめるからかもしれない
とういうのは医者でも相手が生活保護だったり何か貧乏でも国から補助されたりしていて金がもらえとふんでいるからである、そして別に一般の人でも医者にかかると必要のない医療とかを受けさせられる
現実に近くの病院で認知症をみるCTとかを受けた、でもそれは何の役にも立たないものだった、それは病院でもわかっていた!
それで3万もとられた、3万は安いようで一割負担の後期高齢者だから実際は30万にもなっている!
その人は5万だとしている、でもその負担は大きいのである
結局福島県でCTを撮れる機械があるのは二台だけである
あとはそういう高度の機械ではないのである、それは前からわかっていて金のためにそれをすすめただけだとなる
普通だったら専門家はそのことを知っているから奨めないのである
でも金のためにすすめる、その機械自体が高価だから利用しないと病院経営もしていけないとかなる
つまり何か他でも医療は相当な無駄がある、それが保険で安くなるから気軽にかかるとなる、それが今度は国民健康保険とかのみんなの負担になるのである
なぜ医療費がこんなに莫大なものとなってもう限界だとなるのか?
それはこのように医療は無駄なものが多いのである、延命治療とか終末期医療になるとここでも相当な金がかかる、だからそうした手厚い医療はいいようでも最後は苦しめるだけだとして治療をしない方がいいともなる
ただこの判断は実際はむずかしいから議論になる
でもこれから2025年問題がありそこで団塊の世代とかが病気とか介護になる人が増大するそこで日本の手厚い保険制度がありそれはいいものでも負担しきれないとなり国がつぶれるとまでなる深刻な問題になる
とにかく介護で苦しむ人が増えて来る、この辺では原発事故で介護士がいないとか青森県に送られて介護してもらっている
でもその息子も実は生活が苦しい、でも何か小遣いとか足りない金を送っている
だから親を活かすために苦労しているとなる
これは金銭面だけではない、介護は必ず人手が必要でありそれをすべて金でまかなうことはできない、この辺で認知症の親を息子が殺したという事件でもそうである
こういう事件は日常的に起きて来る社会にもなる
そしてなぜ医療費の無駄が多いのか?
それはコロナウィルスで証明された、不必要でも医療というのは日本では保険制度があり病院にかかれる、アメリカだと金がないと保険に入っていないとかかれない
だからアメリカでは医者にかかれず死ぬ人がでてくる
日本では逆に不必要でも病院に行きみてもらいるからそこで負担が大きくなる
今日本が経済的に落ち込んで苦しくなっているときその負担に耐えられなくなる
コロナウィルスでわかったことは大病院でも軒並み病院にかかる人が減って収入が激減した、それで結果的に4兆円くらい保険の支出も減ったのである
つまり4兆円分は別に病院に行かなくてもなんとか患者が耐えられるものだった
またそうでなくても医者にかかれないから危険だからひかえてそうなったのである
医療にはそれだけ無駄が多かったしそれは言われてきたがそれがなかなか節約できないのは命にかかわることでありあなたはもう治療しても直らない死んでくださいと言えないからである、ただ介護する方になるともう死んでくれとなる
それは自分自身が思ったことでもあった、それは誰でもそうなるのである
一時は二人を同時に介護する恐怖があった、それも意外と一人は認知症でも二年半で死んだしもう一人は5年くらい介護しても一週間前までポータルブルトイレに行っていたので
なんとか介護できた、それがオムツとかなると相当な負担で耐えきれないとなっていた
私自身が何かずぼらでありそういうことに向いていなかったからである
その時自分自身も病気になり二回も入院していたのである
自分自身が病気でも介護する人がいないからそうなった
その時助ける人が自分自身しかいなかった、それでさんざんな目にあった
そのことをプログに延々と書いてきたのである
介護は金だけではできない、人手が必要になる、それも愛情をもてる人でないと本当はできない、でもそうでなくても介護自体が負担なのである
だから早く死んでくれないかなと誰でも思うのである
でも死んでみるともっと親切にしていたらと後悔する人も多いのである
そうして悩むのが介護だとなる、自分の場合は介護して良かったと思っている
最後は認知症になっても私の介護したことを認めてくれてわかってくれて死んだからである、認知症の怖いのは馬鹿になったのとも違う、人間としてわかることがある
この人は冷たくしたとかわかる、すると恨んで死ぬということがあるのだ
そのことが死んだ後に怖いとなる、私がずぼらでも介護できたのは60まで身の回りの世話をしてずっと良くされたからである
それは普通ではありえないことだった、それだけ世話になれば自ずと介護する動機があるだからできたのである、他の人はそうした動機がない、金だけでは介護とかはできない
その金すらたいしてもらえないとなると余計できないとなる
いづれにしろ高齢化社会の問題は病気であり介護であり金もかかる
その金でももう食べることもできないような人がいる、日本全体でも5パーセントが電気水道ガスがとめられる、家賃でも払えない人がいる
5パーセントというと少ないようでも多い、100人で5人であり一千万人で50万いるとなるとそれなりの数になるのだ
その人たち月末に電気、ガス、水道代が払えないのである
それでそれを取り立てる仕事の人が嫌でやめたともいうのもわかる
相手は払えない人たちだからである、そうして最後は住む所もなくなりホームレスとかなる、コロナウィルスではそういう人もでてきた
日本が今や三等国だというときもう福祉とかに金が回らない、医療にも回せない、生活保護でも最低の生活費がもらえない、医療費もただではない、必ず負担がある
そうなると人間は餓死するか、病院にもかかれず早めに死ぬことにもなる
現実そうなっているのだ、もう無駄ができないのが日本なのである
だから高齢化社会は実際は金がないとかだけではない、弱い者は生き残れない
淘汰されていくほかない、手厚い福祉とか医療とかはもう受けられない覚悟が必要になるのかもしれない、それだけ国にも余裕がくなるなからだ
ましてや氷河期などが非正規とかが60以上とか70以上になったらもう悲惨である
生活保護も受けられない、国民保険は雀の涙とかなり死ぬほかなくなる
とても手厚い医療は受けるのは無理になる、だから病気になったら医療も受けられず介護もなく死んでゆくことになる、その未来はもう見えているのである
元気な人は生きてもいいが弱ったら老人は捨てられる、だから健康には気を付けろとなるか貧乏なると栄養すらつけられないのである、だから高齢化社会は闇黒ともなる
それも2025年とするとあと5年だからすぐなのである
【福祉医療−老人問題(家族や親戚や墓のこと)の最新記事】
- 失われたファミリー大家族 2025..
- 少子高齢化は文明が発達すれば必然である ..
- 家族とは明治以降に作られた言葉 (..
- 家の修復が依然として続く (水漏れ..
- 茅葺屋根の家は冬はあたたかく夏は涼しい ..
- 発達障害とは何か-50歳でも大きな子供で..
- 親の遺産を跡継ぐのが60過ぎては遅かった..
- 人間の性格の謎 (A型の大工さんと..
- 土地の大工さんに頼むリホームと外部の会社..
- 高齢化社会では老人の価値が問われる ..
- 家族だけでは介護でも障害者でも看ることは..
- 突然人は逢えなくなる、すぐ近くでも逢えな..
- 深刻な8050問題ー貧困化福祉の崩壊の恐..
- 精神障害者とは何なのか (そもそも..
- 愛は死んでも消えない (家には愛..
- 老人医療は総合診療が必要 (体の部..
- 愛とか慈悲が一番実行されにくい (..
- 金だけで解決しない人間の問題 (特..
- 大学がかかわり久山町の健康増進運動はなぜ..
- なぜ医療費が増えるのか、病院、医者に頼り..