読書の方法はまず記憶させること
(場所を変えて何度も読むーページを飛ばして読んでもいい)
寝る時に本を置いて何回も目を通す、部分的にでもぱらぱらとめくり読む
すると頭に記憶されやすい
どうしたら読書で本を読んでそれが効果的になるるのか?
本は私立図書館ができるくらい集めた、特にアマゾンで古本の安いのを集めた
でも何か積読になり読んだで印をつけていても読んだことを忘れている
ここを読んだのかという記憶もないのである
だから本を読むより本を集める蒐集家になっていた
そうなると本を読んでいるのではない、まるで古本屋のようになっている
書店とか古本屋では売る人は内容まで良く知らないからである
でも読書してその本の内容を理解すること自体が相当に努力が必要になる
またその方法もある、それは寝る時、二階の寝室で必ず本を読み目を通す
それも同じ本なのである、そこでその本を何回も寝るときに目を通して読んでいたらそれが頭に記憶されることがわかった
ただ全部を読むというのではない、その一部分でも読む、眼を通す、何かそうしているとその本の内容のことが頭に記憶されてくる
それは食べ物でも何かゆっくりと食べてその味を覚える、味わうというのに似ている
うまいものだったら何度も食べたい、そしてその味を深く味わうとなる
本はやはり作者の苦労した知識がつめこまれている、それは一生をかけた知識がまとめられている、すると読む方でもすぐには理解できない、ただ何回もそうして読んで目を通していると頭に記憶されて理解するようになり今度はその本についての感想を書き自らの文脈にとりいれるのである
だから知的仕事というのは大きな家が必要なのである、狭いワンルームも必要でもまた気分転換になる部屋だ必要になる、何か知的仕事をするとき家族でも邪魔になることがある第一家族がいると子供でも妻でも集中することができなくなるからだ
部屋の中でわたわたしたり妻でも気をつかうとしたら知的な仕事はしにくい
集中しにくいからである
私は結婚もしないし家族はいても別に干渉されることもなく自分の部屋があり引きこもって知的な仕事をしていたとなる
瞑想もしていた、この瞑想だって家族がいるとしにくくなるだろう
それで何か後世に作品として残したりした人は芸術家などでも独身が8割だったということが納得がいく、それだけ作品作りに集中しないとできないためである
ただそういうことがわかっていて助ける人が妻でもいれば別である
でも子育てとかありそうなると家で知的仕事に集中できないということがある
ともかく知的仕事には私立図書館になるくらいの本を装備してゆく必要がある
たとえ読まなくても必要なのである、必ず文書を書くとき引用したり必要になるからだ
そして何か自分の探求しているものを新たに発見する
白鳥省吾の詩は津浪とか原発事故とか大災難を経験したので自分にとってもこの辺の人にとってもぴったりの詩だったのである
でもそれは忘れていたし覚えていなかった
ただ寝室でそれを手にぱらぱらきランダムに読んでいて発見したのである
このように本は何かその人なりのものを追及している時、ぴったりなものが発見することがある
だから私は詩集でもある程度集めていたのである、それが役にたったとなる
本を読むことは本を読んだままにしては活きてこない、自分なりの説を展開する時の補強となるとき活きてくる、それぞれが探求して追及しているものがありその過程で補強するものとして活きるのである
ただ正直本は読むのではない、他者の説とか文脈の中に圧倒されて自分の説とか見解でも消失してしまう危険がある、やはり強力自説を展開する人ならそうはならないのである
でも何か本は内容があるとのみこまれてしまうのである
そしてただその本の著作者のコピーのようになる
そうなると読書が有効なのかどうかわからない、ただコピーしているだけになるからだ
それでインタ−ネットだと本の感想をでも気軽に書けるから書いてみる
すると何かただ一方的に読まされるだけではない、そこで自説を展開して協同作業のようになる、別にインタ−ネットでは気軽に他人の意見でも参考にできるから協同作業がしやすいのである
ともかく知識が膨大であり理解するのはわずかである、本は今いくらでも買える
別に書店がなくても買える、図書館に行かなくて本は買って読める
でも本を読むだけで終わったら読んだことにならない、その本を読んで自説を展開することが本を読むことなのである
なぜならどんな天才でも偉人でもキリストでもシャカでも先人が師がいて教えを説いたからである、キリストは聖書を読んでいたときそこに予言者がいてそれを学んだ
シャカもヒンズー教がありそこから学んだ、常に先人があって学んでいるのである
どこのく世界でも先人はいる、仕事するにしても必ず先人がいてそれで教えられて学んでいるのである、だから職人でも師弟関係ができるのである
いづれにしろ一冊の本を理解することは相当な努力が必要になる、そのコツは定期的に寝る時でもいいから何度も目を通す、それも全部ではない、一部でも理解する部分を目を通して頭に記憶させることが大事なのである
それで家が大きくて部屋がいくつかあるのがいいとなる
知的な仕事は才能があるにしても環境が大事だとなる
高校まで自分の家には一冊の本もなかった、子供の時は漫画だけを借りて読んでいた
子供部屋おじさんが話題になるがそもそも団塊の世代で子供部屋をもっていた人はまれだろう、ほとんどいなかったろう、そうなると自分の好きなことを探求できないともなっていた
私の場合は大学を出てから家で引きこもったとしてもそこで知的探求する場が与えられていた、それは大学の時大きな新しい家を建てたからそうなった
だからそこで知的探求する場が与えられていた、ただ本は田舎で買えなかったことは相当なハンディだった、仙台市に行かないと専門の本はなかったからだ
今ならアマゾンでも何でもいくらでも買える、この差は大きかった
本が読めないとしたら知的探求は不可能だからである
才能は確かに生まれつきがあるとしても何らか本を読むにしてもこのように努力しないと理解もできないのである
そういう繰り返しが反復して理解するようになる
特に記憶することが先にあり記憶として定着させるために寝る時に本に何度も目を通すのである、するとそれが頭に記憶として定着する
この記憶するということが大事なのである、なぜならすぐに人間は忘れるからである
でも毎日そうして本を何度も全部ではなくても読んで目を通していると記憶される
すると記憶したことによって自説を展開する時、その記憶したものか活きてくるのであるつまり頭の中で構築されやすくなるのである
この方法は試ししてみるといい、ただ広い家がないとしにくいことはある
でも寝室で何冊か本を置いてランダムでもいいから読み記憶させることはいい方法なことを発見した
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