2008年09月04日

常磐線10句−常磐線の果す役割(福島県内)

常磐線10句−常磐線の果す役割(福島県内)
http://musubu.jp/jijirailway.htm#jyoban(鉄道の部)

日本の鉄道は百年以上の歴史があり様々な視点から語られる。一路線だけでもすでに様々な歴史をもっているから奥深い。そして外部からはわかりにくいのがやはり交通なのである。歴史が地理だということを何度も言ってきたがまさに鉄道も地理でありそれも生活に密着しているから外からわかりにくいのだ。常磐線が仙台に向かうのが上りであり磐城は下りになる。磐城は東京と結びつき原町を基点として仙台に結びついている。仙台の方に二つの新しい駅ができたのもそのためである。仙台へ向かうとき例えば「浜吉田」で月見草の俳句を作ったがこれも常磐線の背景を知らないと鑑賞できない、それは江戸時代の俳句がその背景を読まないと鑑賞できないと同じである。そしてこの背景を読むことが江戸時代はむずかしいから鑑賞もむずかしくなる。街道がどういう働きをしていたか今になるとりかいするのがむずかしいからだ。ともかく自分にとって旅は鉄道が主であったから鉄道の旅は人生そのものですらあった。これほど鉄道に思い入れが強いのが自分だった。つまり老人になれば何に思い入れが強かったかでてくる。会社で一生働いた人はやはり会社に思い入れが強くなっていたのだ。だから会社から離れることは人生そのものを否定されるようにさえ思う人もでてくるのは当然である。会社に骨を埋めるとまでなっていたからだ。まちがっていてもカルト宗教団体に一生費やした人もそうなってしまう。だからその価値を否定されたくないとなる。旅に一生を費やしたものは旅に人生を終わるのがいいとなる。回想の旅は今や延々とつつくのである。

鉄道と郷土史も相当関係が深い、磐城太田はここが古代に磐城国となっていたからでありその名残を留めた地名であり駅名であった。鉄道の歴史はすでに百年以上あり常磐線にも相当な歴史を刻んでいる。浪江から阿武隈を横切り中通りに出る線を見当されていたし森林鉄道も葛尾の落合まで伸びていたことに驚く、そこは延々と坂がつづくからだ。森林鉄道を詳しく調べている人には驚く、地元の人ではない外からきた人なのである。小名浜から泉までの線もあってそこを春の夕べに自転車でたどったことは思い出となった。郷土史というとその分野は広いのである。とても一人で全部を担当することはできない、鉄道一つとっても今や極め尽くせない奥深いものとなっているからだ。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/18800887

この記事へのトラックバック