廃墟の街-双葉町の不思議
(父がそこで働いていたので見方が違った)
我が父のここを通うや何思ふ虫の音かすか人なき街かな
我が父の働く姿ここに見ゆ今は人無く悲しくもあれ
新山橋石造りなれ戦後にそ作られ人々通りけるかな
我が父の辛きことあれこの街に働くあわれ虫の音を聴く
古代よりここに生きにし人のあれその生断ちし原発事故かな
人間は何か祖父母とか親とかをたどるときはリアルになる、実際に接して一緒に生活もしているからである
父は子供の時死んだからそこでどんなふうにして働いていたのかなかなかイメージできない
でも明治時代まで丁稚奉公があった、松下幸之助がそうだった
江戸時代はさらに丁稚奉公することが子供のを親元から出して大人にすることだった
そして丁稚奉公はそこが子供を教育する場所でもあった
だから葛尾村を出てどうして字を覚えしていたのか不思議だった
学校などあったのかとも思うからである
昭和以前では、子供たちは10歳前後、尋常小学校や高等小学校の卒業を契機に奉公に出るのが通常で、奉公にあがれば、まず丁稚の修行からで、はじめは主人のお供や子守、掃除などの雑用を受け持ち、少し長じると商用の使い走りなどをしました。
学校教育では教えるということを重んじる一方、徒弟制度による現場の学びがなくなったため、知識と現場技術・知恵が交わらず、シナジーとしての優れた職人、仕事人が生み出しにくくなったことが問題なのかもしれない。その点からもドイツのような徒弟制度と学術教育がセットになるデュアルシステムは合理的であると言える。
丁稚奉公は個々の科目とかの勉強ではない、全人間的なものとして教育する
その生活すべてが教育なのである、それが今の社会とは違っていた
実生活の中で教育れるのだから点数とるだけの教育とは違っいた
もちろんこれも見方を変えれば安く掃除とかでも使われていたとかの見方になる
ただ常に過去の見方は今でも江戸時代は身分制ではなかったとなったように変わるのである、過去を歴史を知ることのむずかしさは現在からしか過去を知りえないからである
そこに必ず誤解が生まれるのである
その当時おそらく寺子屋とかあっても実際に実地に社会を学ぶ場として丁稚奉公があったそれも今見直されるのも教育というのがもう行き詰まっているからだ
近代教育というのがもう頽廃してしまったからである
そしてAI教育では何か人間的なもの情的なものとか人間の基本となるものが学べないのである
今になると丁稚奉公は資本家による搾取だと見たりするが必ず励めば暖簾分けできて別に独立した家をもって生活できたのである
それで土地を買い自分のその家に住んでいるのである
自分の家の歴史をふりかえるその酒屋は倒産した、その後小さな子供相手の店を出した
くじなどを売っていた、それが繁盛したのはただ時代によったのである
私の父でも母でも商才はなかった、ただ店を出した場所が良かっただけである
角であり場所が良くて集まったのである、その時車などなく近隣で買い物していたからである、だから時代が悪ければいくら才能があっても活きないのである
いづれにしろ双葉町は何を意味しているのか?
廃墟と化した街を歩いて不思議だった、これって何なのだろうと思った
それは他でもこの辺ではそうなった、でも双葉町で感じたものとはまた違っていた
やはりそこに私の父親が働いていることで他とは見方が違うようになっていた
ということはこれも父親と子供というつながりがあり受け継ぐものがありそれが歴史となる
歴史とはこうして綿々と古代からでもつづいているのである、古代の清戸迫横穴(きよとさくおうけつ)は、福島県双葉郡双葉町大字新山にある横穴式装飾古墳。
私の場合は父親までの歴史をたどるがそれ以上に江戸時代でも古代までも歴史がさかのぼれるのである、そういう綿々としてつづいた歴史が原発事故で断たれたということが大きな問題だったのである
人間は一時期を生きるものではなく代々先祖から受け継ぐものがあり生きている
双葉町のように廃墟の街になればそれを失うということである
それが一番の大きな被害だったのかもしれない、それが原発事故による最大の被害だったともある、そもそもそうして一旦断たれた歴史は回復しなくなるからである
するとそこにある神社であれ歴史的な遺産とかも活きることがなくなる
もう誰もお参りもしない、それは限界集落でも起きている、継承する者がいなくなっているからだ
ともかく丁稚奉公にしろ過去を遅れたものと見るだけでは歴史を見誤る
それが明治以降極端だったのである、すると日本の歴史で培われたものの良さが失われてしまったのである
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