2020年10月14日

菅首相の学歴嫌いはなぜ? (その生い立ちが語るー学歴は人間の劣等感の一つにすぎない)


菅首相の学歴嫌いはなぜ?

(その生い立ちが語るー学歴は人間の劣等感の一つにすぎない)

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人間で何らかコンプレックスを持っていない人はいない、これから逃れようがない
コンプレックスを持たない人は神でしかありえない、神のみが全能だからである
それ以外優秀な人がいてもたとえ天才がいても一部で優秀にとどまる

つまり人間は何かかがみんな欠けている、コンプレックスをもっている!

こういうことから必ず劣等感をもつのである、別に知的なことだけではない、体力だって優れた人がいるし何か自分のように貧弱も者がいて劣等感をもつ
人間はあることに優れていてもあることには優れていない、あらゆることに優れた人はいないのである
私は数学が苦手だから理系の人は理系の人は優れていると思う、文系だと東大卒でもたいして変わりないと見てしまう、一応文系だと理解できるからそうなる
理系になると最低クラスでも理解できないからである

ただこの劣等感が笑ってすまされないのはなぜなのか?
ここに人間の本質的なものを形成するものがあるからだ
そこから妬みとか憎悪が生れてくる、どうしてあいつは優秀で俺は無能だとなり不満となる、そこで劣等感にうちひしがれる
第一自分達の時代は団塊の世代は絶えず競争だった、点数で差別されスポーツだと競争で順位を争う、何するにも競争であり負ければ劣等感を持つようになる
もしこうした競争が学校になければ劣等感はもたないのである
だから最近では運動会でも順位を争う競争はしないとかなる
それも問題だがまず学校で劣等感をつけられるのが問題なのである

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福島高校2020年度合格者

別に法政大学より下もいる、だからそういう人達を下等とみるのも傲慢だとなる
自分もそのレベルである

菅首相が法政大学だとなるとやはり学歴としては別に普通であり阿部首相の成蹊大学よりもいいともなる、だから劣等感をもつ必要もない、ではなぜそんなことが語られるのだろうか?
何か福島高校の人がいた、その人が言うには法政大学出は同級生に相手にされないという差別されるという、なぜなら福島高校となる東北大学の合格率が高い、2020年でも35名いる、その数はいかに多いか、近くの原町高校とか相馬高校でも一人もいないということがある、最近は一人もいないことがつづいている
それでその法政大学の人がそんな下等大学の人間は相手にしないと言われるんだという
それだけ優秀な集団になるとそうなってしまうのだろうか?
でも調べると東北学院とかでもいるからそれなりにさらに下のクラスもいたということである
ただそういうふうに学歴で学校で差別されるていること自体おかしいと思う

もちろん自分自身もそれ以下だともなる、自分の場合は学校になじめないということがあった、それから蓄膿症とか高校の時二回も手術していてそれが脳に影響して頭が回らなくなったとかまた性格的に内気だったとかわがままだったか学校になじめないということの方が大きかった、不登校にもなっていたのである
一面こうした上位の大学に入れるとなるとそれなりの人格とか知性をもっているともなる
要するには学歴だけではない、人間の劣等感が学歴差別をもたらしている

人間の能力は種々多様である、体力も能力である、コミニケーションをできる人は能力である、そういう人は営業で能力を発揮する、学歴がすべてではない
学歴差別とか学歴にこだわるのはみんな劣等感をもっているからである
菅首相でもそうである、その劣等感が意外と怖いものなのである

なぜならヒットラーは画家になりたかった、それなりの才能はあったが実らず政治家になったのである、そして抽象画は絵ではないと禁止したという、芸術家とかも弾圧したのは自分自身が画家になれない恨みからきているともなる
そういうことで菅首相も学歴を嫌い学歴社会を壊すとか言われるのもそうである
それは極端にしろ劣等感をもてばそういうふうにもなる
二世議員とか嫌うのもそういう既得権者を嫌うのとにている

そして怖いのはそういう個人的怨念が蓄積されて実行されることである
そういう人が頂点に立ち権力をもったときその恨みを果たすようになる
池田大作も劣等感の塊りだった、だから大学を出ていないということに劣等感をもって
異常に大学卒業の学歴にこだわっていたのである
それで富士短期大学を出たとかしてそれで大学を出たとしていたのである
別にそんなことにこだわる必要もなかった、そのこと自体宗教とかには無縁の人だったのである、日蓮自体名聞名利を捨てろしているからだ
それからオームの浅原なども目が見えないとか劣等感をもち有名な理系の大学出の人を指導する立場になってその劣等感を克服しようとした
だからこそこの劣等感を人間にとって恐ろしいものなのである

つまりこういう人達が権力をもったときどうなるのか?

社会に向かって牙をむき復讐する、一人の独裁者になったとき権力でそれがでるから怖いのである、ただ政治は権力闘争なのだからそもそもそもそも権謀術数の世界ともなる
それで菅首相の愛読書がマキャベリの君主論だというのもわかる
池田大作の愛読書が三国志であるのとにている、権力者だから権力をいかに操作するかの手引書だからである、宗教はそんな権力とかかわらない、世間からの権力からの離脱が宗教なのである

要するに別に学歴だけではない、この世自体が様々なことで劣等感をもたされる
それから逃れようがないのである
なぜこれほどの熾烈な争いが権力をめぐって殺戮がくりかえされているのか?
それは人間の劣等感に由来している
それは政治家だけではない、事業を起こした人は失敗しても俺は優秀で成功したとして装う、実際は多額の借金で苦しんでいてもそうなのである
最後に私の姉は認知症になり「俺は優秀だった」と言って死んだのも悲惨だった
そこまで優秀なことにこだわっていたのである
それが人間の実体だったのである、認知症になっても人間のプライドは消えないからであるだからその人のしてきたことをほめたりすると喜ぶのである、社長だったと人を社長と呼んでやると喜ぶのである、つまりプライドは消えないからである
そのプライドとは人生を生きたということのプライドなのである、だからその子供は無視できない、なぜならそうして家族を養い家を作ってきたからである

いづれにしろ学歴が問題のすべてではない

問題の根幹は人間の劣等感である!

これを見ない限りわからない、学歴とはその一つとして一般化しているからわかりやすいだけなのである
つまり人間から劣等感を取り除くことは絶望的である、医者は優秀でもまた必ず他の優れた医者に対して劣等感をもつ、それはあらゆる分野でそうである
そういう競争がどこでもあるからだ

そして人間の本質として劣等感を消せないことが社会を歪める、なんとか俺は偉くなりたい優秀な所を見せたいとしてしのぎをけずっている、それが具体的になる権力争いになるのだ
そもそもどうして国同士が争うのか、戦争になるのか、アメリカは絶対に世界で一番ということに固執する、アメリカより上に立とうとすると叩く
それで日本も戦争で叩きのめされた、次に中国が台頭すると許さない、そういう国なのである、習近平よりトランプ大統領が上であり従いとなる
上か下かを明確にしたいのである
キリストのように上に立つ者は下になりなさいとか弟子の足を洗うようなことはないのである上に立つか下にさせるか、勝つか負けるしかないのである

要するに人間社会が絶望的なのはいくら理想社会を説いても共産主義でもかえって熾烈な権力争いとなり格差社会となる、それは人間そのものの本質として劣等感とかが影響してそうなっている、俺が上だ、お前は下だという序列を作るのもそのためである
そういう人間の本質が変わらない限りいくら理想社会を説いても無駄である
そして結局同じ結果になっている
だから学歴社会はその指標となりやすいだけであり本質は人間の劣等感が払しょくできないのことなのである
社会に出れば学歴より仕事ができるかできないかであり人間の価値を決めるのは学歴ではない、第一死んだ時学歴など見ないだろう
どういう功績があったことに学歴など見ない、学歴はその人の功績にならいからである

posted by 老鶯 at 07:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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