ナショナリズムとグローバリズムとは何なのか?
(郷(くに)を基とした文化の形成が人間の基本―飯館村を破壊した原発事故)
「ナショナリズム対グローバリズム(前半)」三橋貴明
これは確かにわかりやすい、何か自分の追求し来たことが右側のナショナリズムである
飯館村のことで郷(くに)のことを山尾三省の詩から追求した
つまり歴史的ときとういとき身近なものではそれぞれの家族があり親がいて祖父母がいて継続されたものとしてみる、そこが歴史の基本である
それで私の親が双葉の新山で丁稚奉公したということを書いてその土地と共感したのである
それは歴史的であり継続的なことなのである、その歴史というのも日本だと天皇があり二千年前からつづいていたとなりそこまでさかのぼる
つまりグロ−バリゼーションとはこの逆なのである、国々の歴史とか風土とか文化を無視する、グロ−バルに経済的単位としてしか見ないのである
そして歴史とか文化は金にならないというのもわかる
自分の追求したものは金にならないのである、金に換えられないものなのである
原発事故ではまさにそうして金に換えられないものを失ったのである
その土地の郷(くに)で生きてきた先祖代々の生活がありその郷での暮らしがあり文化があったが失われたのである
ただグロ−バリゼーションというときここで多額な補償金としてその損失を補償したのである、でも失ったものはもともと金に換えられないものであり金では取り戻せないものだったのである
だから意外とそこに住んでいる人もそのことを気付かないということがある
別にそれだけの補償金もらったきだから良かったのではないかとか他からも内部でもそう思う人もいる
つまり価値をなんでも金に換算すればそうなるのである
でも金に換算されないものがこの世界にはある!
それが原発事故で問われたのである、郷(くに)とは経済的一単位ではない、総合的なその土地と時間的継続と風土でもって結びついた有機体でありそれを分解したりできないものである、その一部のものを取り上げてそれを金銭に換算できるようなものではないのである
人間は経済的単位ではない!
でもグロ−バリゼーションは国でも地域でも一つの経済的単位利益とみる
国(くに)を形成しているバックグランドを見ないのである
その時金に換えられないものが奪われていることに気づく、それが原発事故で明らかになったのである
確かに補償金を得て他に都市にでもでて立派な家を建てることができた、だから良かったじゃないかとなる
でも何か他にそうして移り住んで精神的空虚感を覚える
野菜でも山菜でもその土地にあり自ら生産して食べる時、その土地に生きる充実感があるそれで飯館村特産のかぼちゃを生産して喜んでいる女性がいた
それはその土地の実りだからである、だから買ってばかり生活していると不安になるというのもわかる、金で買えてもいつか金はなくなるからである
でも野菜でも米でも継続的にその土地でとれれば安心だとなるのである
つまり東京とかはすべて経済的単位の人工的空間と化している
そこに文化がない、その土地を耕す、cultivateするcultureがないのである
あるのは人工化された経済化された精神のない世界である
だから墓でも団地の様な狭い空間に閉ざされて作られる
田舎だと墓地はたいがい自然の中にあり今なら秋の日がさして土地の人々が眠っている
グロ−バリゼーションとナショナリズムの対立は都会と田舎の地方の対立でもある
東京とかとなるとグロ−バリゼーションになる、つまり食料でも日本の地方より外国から輸入すればいい、日本の地方は効率的ではないとして切り離すべきだともなる
でも日本の国土と不可分に東京でもつながっている、だから原発事故は東京まで影響したのである
いづれにしろ大都会民と地方民田舎人とは分離する、心も通じなくなる
そしてやがて地下に大都会ができて地下人間と地上人間は心も通じなくなったりする
だから国内でも別にそうした分離が起きていたのである
なぜなら一千万もの大都会があるということ自体が国土を分断してしまったのである
だからコロナウィルスとかで東京が密集しているから危険だとかなり交通でも遮断されるとかなり人の交流でも物の輸送でも止められたのはそれは世界的変化としてナショナリズム的志向になる、グロ−バリゼーションでもある程度は許容されるし貿易も必要である
でもそれが過度になり世界的な歪みをもたらしたのである
それを是正するものとしてコロナウィルスが生まれたのかともみる
一つの時代の変化が起きたともみる
ヤマトタケルノミコトのお歌として伝えられる歌に
いのちの全けむ人はたたみこも平群(へぐり)の山のくまかしが葉を うずにさせ その子
いのちの全けむ人はとはまさに郷(くに)に全体として不可分に結びついた郷(くに)に生きる人のことである、そしてくまかしの葉ををずにさせ・・・とはその森の豊かさを身に帯びる、または森の霊力を帯びるともなる
だからこういう感覚は自然人として生きた古代人とか原始人的な感覚なのである
人間と自然が一体化していたのである
これからの時代は経済的単位としての人間ではない、郷人(くにびと)として生きることにアイディンティティを見出して安定してし継続する生きる力を取り戻すことである
リストアーすることである、そういうときいかに原発事故がそういう郷(くに)を破壊したことは大罪だったのである、放射性物質で森の木々まで汚染されたし森全体も汚染された、それは30年でセシウムは半減するとしても消えないからだ
その罪は余りにも重すぎたのである
【飯館村の最新記事】
- 母なる山と実り【飯館村の詩】 【万..
- 相馬藩内の市町村の特徴−花から見る ..
- 松川浦から飯館村への塩の道(詩)
- 飯館村の海岸地帯の気候風土の相違 ..
- 飯館村のあいの沢の管理事務所の人と山野草..
- 飯館村の樅の木(詩)(原発事故で失われた..
- 飯館村の木戸木(ことぎ)で残された老人が..
- 夏の日に飯舘村へー飯館村には芙蓉が似合う..
- 飯館村考(小国という地名がなぜ多いのかー..
- 飯館村考ー何が失われたのか? (一..
- 飯館村の大倉村から佐須村から霊山へ ..
- 飯館村の村議会選挙の問題(2) (..
- 地域エゴは人間の争いの原因として常にあっ..
- 秋の蝉、芙蓉、秋涼し(飯館村の秋ー飯館村..
- 飯館村村議会選挙運動で思ったこと ..
- 廃屋から感じる淋しさ (原発避難区..
- 木の根っこ(飯館村の春の詩―私の思い)
- 飯館村の国の詩 (飯館村の復興)
- 蕗の薹、春風、紅梅(飯館村の春の塩の道を..
- 冬の日の飯館村(ホームページから抜粋) ..
https://wakelet.com/wake/MB5a7Q8auA2N-yHengVA3
https://wakelet.com/wake/gymACWhEoidqVeEki8fN_
https://wakelet.com/wake/OS3fXsgyjLsO339qzC1Ya
https://wakelet.com/wake/zZtPgil6LJC5O0mEtMK4e
https://wakelet.com/wake/inDE6w08av3E0X2-QjAcY
https://wakelet.com/wake/edp_uPmArHBZniMQoUbUl
https://wakelet.com/wake/TXvEl7H_F9ayPpaO09PVa
https://wakelet.com/wake/RqVCZNx6owKUIVEWg62gA
https://wakelet.com/wake/gCKm9-NW0u3MbcGAUaoeX
https://wakelet.com/wake/2nLaKBkhidSV-zX1hfc22
https://wakelet.com/wake/QdIpElzD9TAyGJFRW9xfJ
https://wakelet.com/wake/4S2Hg6XIfs0njfqEr2KTp
https://wakelet.com/wake/NLqrMcpgrfaCXIi4vNfTP
https://wakelet.com/wake/S61yzRKwJJkczYI5q-Kba
https://wakelet.com/wake/Ub6tsEDKdGofR0vhelLZl
https://wakelet.com/wake/v7szI_-RcAcw1aGguCtSG
https://wakelet.com/wake/B_OGO2lAaXnqFGPxpQTYo
https://wakelet.com/wake/aispPhfEYYpD4kGwHAXIR
https://wakelet.com/wake/K0hDTCsDoNlS1FRA1gkNq