2020年11月07日

エホバの証人のボランティアにかかわる勧誘に注意


エホバの証人のボランティアにかかわる勧誘に注意

何かわからなかったが女性から電話がきた、最近ずっと電話に出ていない、変な電話が多いからだ、でも用事ができて電話に出る必要がありでた
それが失敗だった、何か駅のことでボランティアのことで聞いてきた
何か私のプログでも読んでボランティアしたい人なのかと思った
それでわからないままにいろいろ経験したことを声明した
こういうことはネットとかでもあり相手のことがわからないから話さなくてもいいことを話したのである
つまり対話するには相手がまずどういう人か知らないと対話できない
私はこういうものですが・・・聞きたいとならないと対話できないのである
だから今ではプログを書いても対話していないのである

自分なり詳しく駅でのボランティアのことを話した
何かその人も駅にかかわりボランティアするようなことを言っていた
長く話したが最後に(私はエホバの証人)ですと言ったので切った
何でそんなことを聞いてきたのか?
それはボランティアを通じて布教するためだったのである
そんなこと駅でできるのか、許可されるのかできない
そもそも布教のためのボランティアは本来のボランティアとは違ったものになる

とにかくなぜエホバではそんなにしつこく勧誘するのか?
その理由がわからない、創価なども一時しつこく勧誘して顰蹙をかった、今はあまりしていない、そもそもなぜそんなに会員を増やしたいのか?
それは会員を増やして権力をもつ日本に力を行使するためなのである
それは韓国系のキリスト教でも言える、外国系のキリスト教を受け入れることは危険なのである、その背景に国家があり国家が関与して他国を支配してゆくことがあるからだ
それで秀吉からキリシタンを禁止するようになった

宗教を説くのではない、会員を増やして一票をとり政治権力を得たいとかがある,
創価などはそうである、ただ日本人だということは違っている
エホバの証人の本部はアメリカにあるからだ
するとアメリカ的なキリスト教を受け入れることになる、それが問題なのである
それで内村鑑三はアメリカでキリスト教を学んでも外国人の宣教師を拒否した
金銭崇拝のアメリカを批判していた、そして日本人のいい点を見出した
こういうことは外国生活経験している人はそうなる、実際の生活から比較できるからそうなる
アメリカが何でもいいわけではないのである
別に布教するにも会員を増やすとか権力を得ることに関係しないならいい、でも実際はそうではない、アメリカが背後にありアメリカの意向が日本人にも反映されてくるのであるそうして日本人の良さは失われる
現実に戦争に負けてから日本人の良さは失われた、もう日本人ではない、アメリカ人になったのが日本だったのである
もちろんアメリカの良さもあるがすべていいわけでもないのである

例えば日本の歴史でも奈良時代に中国文明を習ったとしても宦官制度を取り入れなかったとかすべて取り入れていない、漢字でも取り入れてもその漢字の意味が同じ漢字でも中国人が意味するものと日本人が意味するものが違うようになったのである
つまり日本人化した漢字になっていたのである
それは仏教でも日本人化した仏教でありもともとの仏教とも違ったものになり鎌倉時代に全盛時代となる、親鸞とか日蓮が日本的仏教の創始者になったからである

内村鑑三のキリスト教は日本人的キリスト教なのである、武士道キリスト教というのもそうである、それはアメリカ的キリスト教ではない、アメリカ的キリスト教は宗教を事業のように考えて慈善を強要するのである、宗教を心の内面のものとしない
それで会員がふえれば成果としてみる、一人でも改心すればいいとかないのである
宗教が内面の心の問題だとするとき集団化組織することはない、せいぜい二人三人集まる所に私がいるだろうとキリスト自身が言っているからだ
そんなに会員が集まる所にいるのはサタンだともなるのである
なぜならその人たちは実はサタンに導かれているともなるからだ

キリスト教は別に教会に行かなくても布教されなくても聖書を読まなくても神を知ることができる、私は一回も教会に行ってキリストの話とか聖書のことを聞いたことがないのである、だからある意味で奇妙だとなる
ただ私は何か迷える子羊であり変なカルト教団に入ったりまた一時は工事現場から落ちて死ぬような経験したり天才的な師を崇拝して偶像崇拝になったりしてその偶像を拒否して神を知ったともなる
だから本当にそうなったことは奇妙だとなる

ただ私が求めていたのは死の問題であった、父親が中学生で死んで以来死のことばかり考えるようなったのである
それで宗教を求めるようになったのである、自分にとって宗教とは死の解決をすることだった
その死を解決するのは聖書でありキリストが死から蘇ったことで証明している
それは永遠の命がエホバから与えられるということである
さすればその人は信仰者になるキリスト者になるのである
かえってそうした集団組織に入ると永遠の命は得られない、まず聖霊は集団には与えられない、個々に与えられる、その経過も違っているからだ
組織集団化したキリスト教でも宗教は実際は宗教ではない、何かそこで信徒として支配するとかなる、だからプロテスタントには牧師はいないのである
牧師に支配されるたのがカトリックだからである

いづれにしろ「求めよ、さらば与えられん」というときそうしたアメリカ系統とか韓国系統でもそういう組織集団に求めることは危険なのである、そこで奴隷化されるからである宗教は奴隷化するためにもあるともみるからである
教会でもそうである、何かそこでも背後にアメリカなどからの金銭的援助があって成立しているかもしれないからだ
むしろ求める時、そういう場所に行かない方がいいともなるのだ
ただ正直は自分は特殊なものとしてそうなったから模範になれない
でもみんな教会に行って信者になると思っているがそうではないのである
そういう場所に行くことはかえって本来の信仰から離れ別な目的のために使われことになる、それは日本のカルト教団でもそうだったからキリスト教でも同じなのである

ともかく何らか会員を獲得するためにボランティアにかかわる
そんなことのためにボランティアをすることは間違っている
ボランティアで社会に貢献していることを言う、それも会員を増やす手段としてそうしているのである
一番の問題は背後にアメリカがいてその影響が日本に行使されることなのである
だから内村鑑三は外国の宣教師はいらないと言ったのである

何かコロナウィルスで一軒一軒勧誘にまわりにくいとか会合もきないとかなった
これはそんな宗教でもない集団勢力を弱めた、韓国のキリスト教のカルト教団でもクラスターが生じて教祖が謝った
ソーシャㇽデタンスとうのも密を避けるというのもそうである
そもそも宗教が集団示威行動するものではない、密室で一人祈れとキリストも言っていからだ
だから現代の宗教は異常なのである、また都会に密集して人が集中しているのも異常なのである
都会自体が密だからコロナウィルスを止められないとるからだ
だからこういうとは神からの警告なのかとみるのある



posted by 天華 at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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