2020年12月02日

冬景色、冬紅葉、冬桜、冬の菊(小高まで俳句十句)


冬景色、冬紅葉、冬桜、冬の菊(小高まで俳句十句)

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この時風が吹いて薔薇がゆれていた
それが表現されていない、ただこの写真はうまくとれた
遠くをとるレンズではないらだ

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冬桜

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冬桜が咲いていた場所


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浜街道の冬紅葉

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小高神社


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冬景色心に染みて古り住みぬ

家一軒色合い深く冬の菊 

十数輪風に吹かれて冬薔薇

奥の家知られずここに冬桜

蔵残し空家となりぬ冬の暮

社一つ落葉に埋もれ捨てられぬ

閑散と小高神社に冬紅葉

みちのくの街道暮れぬ冬紅葉  

みちのくに冬夕焼けやともに老ゆ

冬日没る余韻の深く黙す山   


今日は小高の方まで自転車で行った、冬景色がいい、それほど寒くもなく風もないので良かった、冬景色でありそれが心に染みるというとき人間はある場所に冬も住まないとその土地のことがわからないだろう、会津とかなると雪に埋もれた冬を知らなければ会津をまた雪国を知ることができない、冬景色が心に染みる、それはそこに住んでみてわかることなのである、それは厳しい冬でありそこで耐える日々であり籠る日々になるからだ
                                                        
堤谷の奥に桜が咲いていた、冬桜だろう、めずらしいと見て写真をとった

日本書紀の巻第十二「履中記(りちゅうき)」で、402年に履中天皇が磐余市磯池(いわれのいちしのいけ)で11月に船遊びをしていたとき、季節外れの桜を見つけたことにちなんで、宮を磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)と名付けた、というエピソードが記載されています。

今は磐余池(磐余市磯池)は残っていませんが、跡地とされるところが橿原市東池尻町に残っています。
宮である磐余稚桜宮の跡地と伝わるところは、現在桜井市谷の若桜神社(わかさじんじゃ)です。
若桜神社の境内にある「桜の井」が桜井の地名の由来でもあります

百(もも)伝ふ、磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を、今日のみ見てや、雲(くも)隠( かく)りなむ. 大津皇子(おおつのみこ).

この磐余の池なのである

とにかくこうして桜でもその磐余(いわれ)が古い、それだけの歴史が奈良にはある
その頃から季節外れの桜に注目していたのである
桜井の地名の由来だというのも驚きである、第一402年となればその古さに驚く
やはりみちのくとなればそんな古い記録が残らないからである 

堤谷の方で草が枯れた道をたどると家があった、その時ここには住んでいないと見た
やはり住んでいなかった、新しい蔵が残っていた、人はいなくなった
雰囲気で人がいないということを感じるのも不思議である
小高地区には歯がぬけたように空家になっているのが多い
堤谷の地区はソーラーパネルがびっしりと敷き詰められていた
あの光景も嫌だなと見たが結局土地を放置していても一銭にもならない、だから小高地区は土地があっても農業もやるのも大変だから簡単に金にソーラーパネルになりやすい
原発事故で荒地化した土地はソーラーパネルとか風力発電になりやすいのである

社一つがあった、石段を上ったがここにはお参りする人もないみたいだ、雷神社とかあった、何か捨てられる神社がある、人が住まないとそうなる
特に飯館村では人が住まないからそうなっている

なんか小高神社でも閑散としてわびしい、老人夫婦の店があった、何か陶芸を趣味でしていた、その子供世代は小高を出て帰ってこないという
他にも若い世代が小高を出て帰ってこないで老人だけが取り残されている
小高の街は車が通らない、人を街を通らないが車は通っているからだ
このことは次に書いてみよう

小高までそれほど遠くはない、今まで行かない山の道を行った、自転車でもそれほど遠くとは感じない、浪江となると遠くなる
帰りはすでに4時ころで薄暗くなっていた、つまり暮れつつあった
日が相当に短くなっている、冬至になるまで相当に日が短くなるから早めに帰らないとまずいと思った

この記事へのコメント
小林勇一様
暫くぶりで御座います。
小高町も困ったもので御座います。実家も既に酪農は止めて、牧場は太陽光発電に変わっています。小林様のブログで50年振りの、阿武隈山脈に沈む夕日を見る事が出来ました。懐かしく存じます。有難う御座いました。小林様の益々のご健闘をお祈り致します。敬具
Posted by 半杭正幸 at 2020年12月03日 20:30
半杭さんのプログを読みました、それで富士山の写真が出ていたので千葉県から富士山が見えるのか、うらやましいと思った

茨城県までは富士山は見える、富士見市の車のナンバーを見かけたけどそれは埼玉県だった、埼玉県からも富士山が見えて富士見とか富士見野市がある

地理はわかりにくい、四街道市というと東京に近い、その地理もわかりにくい
ただ千葉県から東京湾から結構大きく富士山が見える写真を見た
あんなに大きく見えるのか意外だった

中国とビジネスしていたから中国に詳しい、客家(はっか)とと客人のことだった
なるほど中国は広いからアメリカだと移民になる
中国も民族が混交しているからそうなる、ただ中国もまたわかりにくい
結局旅行したくらいで外国はわからなかった

最近確かに皇帝ダリヤを見かける、写真を見てこの花だと知った
写真を見ると東京に近いのに結構自然がある場所なのかとも見た
最近写真に凝っている、写真も撮り方によってずいぶん違っているしカメラやレンズでも変わる、それで自然を見る目とかも変わるから写真の趣味にしている人は多いと思いました

プログを詳しく読んでいないのでまた読んで感じることがあったらコメントします

インタ−ネットでは何かプログを出していないとその人なりのことがわからないので
コメントしずらい、その人がどういう人かわからないから最近はコメントはしていませんでした

また何か感じることがあればコメントさせていただきます

(四街道市に住む半杭氏へのコメントの一つ)
http://musubu2.sblo.jp/article/188196999.html
Posted by 小林 at 2020年12月07日 16:09
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