2020年12月05日

人間の価値は歴史的価値となり消えない (死んでから人間の本当の価値がわかる)


人間の価値は歴史的価値となり消えない

(死んでから人間の本当の価値がわかる)


人間は死ぬと何も残らず消えてしまうのか?
人間が死ぬと十年くらいすぎると家族だと何か死者はどうなってゆくのか?
それで弔う(とむらう)とは問い明らかにすることだというのもわかる
死者のことを問い明らかにする

それは死んで十年くらい過ぎると人の心は死者をいたむことから冷静になりその人自身が何であったのか問うことになる、それが弔うになる
その時真にその人の価値を人間の価値を問うことになる

価値と言っても人間にはいろいろな価値があり多様である
家族で生きるとその家族の中でどういう役割を果たしたのかという価値を問う
ぐうたらで迷惑ばかりかけていたような人は死んでも血がつながっていても弔うこともできない、ただ苦しめられ迷惑ばかりかけていた親だったら弔うことすらできない
何ら価値を認めることができないのである

ただ人間の価値というときそれが様々でありだから他者からみてその価値がわからないのである、家族でどういう役割を果たしたのかとなるとそれも他のものはわかりにくいからだ、家族でも一様ではないからわかりにくいからである
人間の価値はそれだけ多様なのである
この人間は生きる価値がないとか生きた価値がないとか社会で言ったとしても家族では価値ある存在の人も普通にいるからだ

歴史的価値というとなるとそれは一家族の問題ではない、日本国家から日本の歴史から世界史での価値とまでなる
それで戦争のことをその価値を弔う(とむらう)問うことがむずかしくなる
それで自分の家族の一人が従軍看護婦だったということでその歴史的価値を問うことになる
今でも墓に二等兵だとか一等兵だとか日本軍の位を墓に刻んでいるのが普通にある
でもそれを見て日本軍の位がどれだけの価値が今認めているのか?
この人は日本軍の位で高いから価値があったと認めているだろうか?
今になると何か自分自身でもそんな位が意味あるのだろうかとなるし注意している人すらわずかだと思う、つまり価値を認めなくなったのである

ただ私の姉が従軍看護婦看護婦としてマレーシアのジョホールバルで四年間苦しみ働いてことを聞かされた、そのことが戦争に負けたからといって全く価値がないとはならない
それを感じたのは今コロナウィルスで医療崩壊するとか危険だから募集しているけどやりたくないとかなる
それを見ていて国家のために命をかけて働いた看護婦がかつていたということをふりかえる
それが価値ないこととはならない、今はただ金のために働くだけであり医者は危険をさけているしそうできるが看護師はできないという、つまり看護師の方が直接危険にさらされている、いくら50万もらっても割に合わないとなるかだ

つまり人間の価値はどうして生まれるのか?

その時々や時代によっても違ってくる、また歴史的価値となるものは百年後でも二百年後でも見直され注目されることもある、でも全く捨て去れる価値もあり人間もある
ただ長く歴史の中で生き続ける価値がありそれが本当の価値だとなる
それは死後もさらに歴史の中でその価値は衰えることなく生き続ける
その時その人は死んでも生き続けるとなる、つまり死ですべては終わらないのである
ただそれだけの価値を持ち続ける生き続けるとなると相当な功績がないとありえないとなる

今日ドラマで特攻隊のことをやっていた、その特攻隊員は出撃する前に5日間くらい恋人とあい別れた、でもそれが最後の別れではなかった、途中徳之島とに不時着して生き延びていたのである、でもその後は戸籍からも存在を消して亡霊のように生きていた
そして40年後くらいなのか恋人とあった、でもその人に何か価値があったのか?
その人は特攻隊として死んだ時価値が生まれていたのである
その後の人生は別であり身を隠して生きていてもそこに価値は生まれなかったのである
それは新たに別な価値を作りだして生きることになったからである
40年となれば長い、だから昔の恋人とかはもう価値を共有できない
その人が特攻隊として死んだ時、国家的価値として残されるともなった
ただそれを無価値だともされるがその人の価値は時代を生きることは特攻隊になり死ぬことだったのである

人間は死ぬと最初はただ悲しいとかなる、でもだんだん時間が過ぎるとその人を弔う、
その人を問うということで弔(とむら)うになる、その人の価値を問うということになるその人の一生の人生を問い弔うとなる
本当に価値ある生を送った人は死んでも生き続ける、不朽のように生きつづける
その時、その人は死なないともなる
ただそれは今を見てはわからない、今は価値のない人でも作品でも価値あるとされる
でもその人は死んでも百年後とかに価値ある人ならその人は歴史の中で生き続ける

歴史の中で不朽の価値を残す者
それは死んでも歴史の中で生き続ける
その価値は衰えることなく
純金のように輝く価値
それは色あせることなく価値を増して輝く

ともかく歴史の中で何が価値あるものなのかというときまだ見出されない価値もある
百年くらいではまだその価値が確定されないとなる
歴史的価値とは百年では短く判定されないのである
それで明治維新でも今にになるとその価値判断が変わったりするのである
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