コロナウィルスで戦争状態に突入しているのか?
(老人と病人や弱者が淘汰される?)
医療最前線を追い詰めるコロナの現状 進む入院患者の高齢化、負担増える現場
コロナウィルスの謎は特徴は老人がかかると死にやすい、それも確実に60代70代80代とかで罹患率が高くなる、それで入院の優先順位を点数化した
一方でコロナウィルスの感染者を受け入れることで医療崩壊が起きる
コロナウィルスではない病気の人が手術を受けられないとなっている
それで自衛隊の救急看護師を派遣してくれるよう要請した
その人たちは派遣の命令が出たら断れないという
それは赤紙一枚で戦地に送られた従軍看護婦と同じだった
ただ戦争とは違うから事前に契約してそうなったのである
自衛隊でも事前に契約して了承してなる、でも戦争の時はすべて強制だった
国家の命令であり逆らうことはできなかった
今何が起きているのか?これを把握することもむずかしい、マスコミだと危険をあおり不安にして視聴率を稼ぐとしている、一方でネットでは経済的困窮で自殺者が増えているから経済活動を止めるべきではないとしている
それも最もだとなる、感染を防ぐようなルールを作りそれを守ればいいのであり全面的に経済活動を止めることは必要ないとしている
つまり経済活動を止められることで死ぬ人が増えてくるからだとなる
ただこの判断はむずかしい、だから政府では経済活動を止めないでGO TO トラベルを止めないのである、感染病にとって人の移動は一番危険であるがそれを続行する
ただこのコロナウィルスの特徴は老人に伝染すると年齢が上がれば上がるほど死に安いのである、また基礎疾患がある人に伝染すると死に安い、別に70以上でも8パーセントはかかるがあとはかからないのである、死ぬ割合でもそうである
つまり弱者が淘汰される、そこで若い人はかかっても死ぬことはほとんどゼロである
今までの感染病は結核でも若い人が死ぬ、それで国民病とされたから深刻だった
なぜ若い世代がコロナウィルスを無視しているのか?
それは自分たちは別にかかっても死なないとかなっているからである
だから別に感染してもいいやとかなって外出したり飲み食いしして騒いだりすることを止められないのである
そして若い世代が高齢化社会で負担になる老人を嫌っている
多くなりすぎた老人は死ね!
そう心で思っているとき当然コロナウィルスで老人が得に80以上になるともう寿命だから死んでもいい、そんな人のために労力をそそぐのは馬鹿らしいともなる
それは高齢化社会で今までそういう気持になっていたのある
だからどちらかというとそんなどうせ寿命の老人に労力をそそぐより今生きている若い世代の人たちを優先すべきだとなる、すると経済活動優先になる
どうせ若い世代は死ぬことはないのだから危機感もないのである
人間は自然でも次の世代に労力をそそぐ、命の継続のために自然の摂理がある
次の世代をのために犠牲にもなるのが生命の原理である、だから親は子供のために犠牲にもなる、特に母親はそうなっていて命が継続される
国家にしても社会にしても若い世代がこれからの社会を作るのだから尊重されるのが生命の原理である
それがわかるのは原発避難区域では若い世代がいなくなり子供もいなくなり老人ばかりになった、シルバータウンになった、それでも町や村が継続できないからやがて廃村とかにもなってしまう、それこそ危機なのである
今だから命の選別が迫られるとき、どうなるのか?
命の優先順位は80以上とかの老人は寿命だから死んでもいいとなるかもしれない
そこに労力をそそぐことは無駄だともなる
それは介護とかでも言えるのかもしれない、若い人がそこで労力をそそぎ疲弊するのは無駄だとなる、それで自分自身が30頃親戚の人に輸血を頼まれたがしなかった
その時登山して死ぬほど疲れていたからである
それで恨まれたがその時登山しなかったら後でできないということもあったのだ
つまりやりたいことをやれないことは後で後悔するのである
私は60まで親にやりたいことをやらせてくれた、だからその後は介護になっても当然であり必死になって介護した、それは自分にやりたいことをやらせてくれたからである
そこに恨みはないのであり当然だったのである、でも親のために老人のために犠牲にされるのは嫌だ、若者には若い世代にはやりたいことをやるべきだとなる
そういうふうに考えるとコロナウィルスは死ぬのは老人でありそれも寿命だとなる
そのために若い人とかでも国家でも労力をそそぐのは無駄だともなる
ただ自分にしても個々人なら生きたいとなる
でも全体的に国家の危機になったとき命の選別となると80以上で死ぬのは寿命ともみる
こういうふうに考えればどういう対策をすればいいのか見えてたいか?
80以上は死んでもしかたがない、見捨てる
なんかこんな選択になるかもしれない、さらに追い詰められればそうなる
それは延命治療ともにている、このコロナウィルスは高齢化社会の問題としてもあったのだ、自然の摂理として弱者が淘汰されているのかともみるのである
ただ個々人ではそうはならない、何歳でも生きたいとなる
ただ全体の生命の法則ではもともと自然界では弱者は淘汰されるのである
おそらく弱者とかの問題は量の問題にもなる、老人が増えすぎることは社会にとっても
自然界にとっても生命の法則に反している
老人のために若い人が犠牲になるのも生命の法則に反している
ただ老人でも実際はコロナウィルスでも70以上でも8パーセントとくらいしかかかっていないのし死ぬこともないのである
だからコロナウィルスの不思議は自然界の法則で淘汰が起きて多くなりすぎた老人を減らしているのかともなる
だから若い世代の活動をとめられない、それで老人が死んでも若い世代には影響しない
むしろいつも増えすぎた老人は死ねと日ごろ思っているのだから歓迎しているともなるのだ
お前もコロナウィルスにかかったら死ねと言われれば嫌だとはなる
それは全体の生命の法則とか維持の観点から言えばそうなるということである
要するにコロナウィルスはその特徴があり性質がありそれに合った対策をとれともなる
今までのウィルスはむしろ若い人が死んでいたからである
だから深刻だったのである、それより経済活動を止められて若い世代が自殺したりする方が深刻だともなる、すると経済活動を止めるなと声高に言う人もいるのがわかる
感染しないようにして経済活動をつづけるべきだというのもわかる
一方でこれ以上感染しないように経済活動を止めるべきだというのもわかる
でもそれを選択するのは何なのか?
それを決めるのは何なのか?
政府なのか国民なのか、はたまたマスコミなのか、専門家なのか、それが混乱しているのである、それはどういう考え方で対処するか決められないからかもしれない
こっちを立てればあっちが立たないとかなり混迷するのである
でもどこかで選択しなければならない、するとどうして選択して決めるのか?
それが問題になる、でも確実に全員が納得する決定はできないのである
高齢者社会だと高齢者をないがしろにするのかという声が大きくなるからだ
そうこうして混迷している内に傷口は大きくなる
戦争だったらもう若い人が率先して死んだ、戦争状態を考えればある程度の犠牲はやむをかないとなる
でも誰でも犠牲になりたくないのである、老人でもそうである、個々人ではそうなる
でも全体を国家的レベルになると全体を考慮して決定せざるを得なくなることは確かである
【日々の感想(今日の俳句短歌と詩)の最新記事】
- 自己投資自己開発できなかった今の老人世代..
- 冬の日に南相馬市の原町区をまわる(井古墳..
- 俳句の英訳の試みー意訳になるー一つの英語..
- 冬の日に相馬市の宇多川を上りから丸森へー..
- 冬薔薇【一日風が唸り吹いた】
- 冬の菊の俳句連作【原町郊外から橲原の冬景..
- 冬に入る―俳句連作−神の手に万物が結ばれ..
- 俳句が写生になるのはなぜなのか? ..
- 鹿島駅舎は古いー駅前の星自転車屋は死んだ..
- 人は死んで何が残るのか―愛は消えない ..
- 国民国家とは近代に形成されたもので新しい..
- 文化の日に近くの地蔵堂をたずねる ..
- 夕陽が輝き秋の雷がひびき鳴る
- 【田舎の秋の風景】ーダリア、秋薔薇、柿、..
- コスモスと川と魚 Cosmos a..
- 秋になり飯館村に行く【秋の風、秋の蝶、実..
- 秋からすぐ冬になるのか (花でも野..
- 秋時雨(急速に秋になってゆく (自..
- 秋になってもまだ夏なのか(鮎、カンナ、朝..
- 認知症にならないためにすること (..