2020年12月09日

冬景色 冬籠もる 冬紅葉(桜井古墳を冬にめぐる)


冬景色 冬籠もる 冬紅葉(桜井古墳を冬にめぐる)

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このレンズは前と後ろがぼける
だからこのレンズはボケさすにはいいとなる



みちのくや心にしみぬ冬景色

みちのくへ上野を離れ枯野かな

ふるさとに我が老い家主冬ごもる

寒鳥の鋭く一羽朝に来る

我が親の残せし家に冬ごもる  



(桜井古墳)

冬日さし公園歩む老夫婦

誰が眠る墓地を尋ねて冬紅葉

冬椿桜井古墳を囲み暮る




国に住む時の長しも我が命ここにありなむ冬深むかな

みちのくへ秋の夕日や我が帰る電車急ぎてひびきけるかな 


日のさして冬の紅葉の映えにけり桜井古墳のここに鎮まる

主二人桜井古墳に眠るかな棚引く冬の雲に閉ざさる  

落葉踏み桜井古墳主(ぬし)二人長くも眠る新田川の岸




みちのくというとき上野を電車が離れるとやがて夕日が車窓から地平線に沈んでゆく
その時の印象が忘れられない、だんだん家も少なくなってみちのくへ帰る
そういうことをくりかえしてきた、みちのくというときやはり一つの原風景となる
ただみちのくと言っても広い、どうしても秋田とか青森はみちのくともならない
岩手県辺りまでだとなる、実際芭蕉が旅したのは岩手県の平泉までだったからである
ただみちのくは一つのアイディンティティの場所になっていることは確かである
風土としても歴史としてもそうである、その冬景色が心にしみるとなる

桜井古墳の方を回った、冬紅葉がきれいだった、写真もうまくとれた
なかなか紅葉がきれいな所がこの辺にないと思ったがあった
相馬市の城跡の冬紅葉もきれいだった、ここはさらにきれいに映えていた
写真もうまくとれた、これはやはりレンズが影響している
このレンズが安い二万もしないものだった、でもこのレンズは前と後ろがボケてとれる
それが特徴みたいだ、レンズと写真が深く関係していることを知った

なぜここに原町市にこの大きな桜井古墳があるのは謎である
この古墳をみれば原町がこの辺の中心だともみる、でも実際は隣の鹿島が古代の中心地でもあった、真野郷があり「みちのくの真野の草原(かやはら)」笠女郎の万葉集の歌は鹿島区の真野地域とされるからである

いづれにしろ桜井古墳には二人の遺体が棺にあった、つまりこの辺で勢力があった支配者が二人いたとなる、それで共に葬られたのかとなる
それはわからないにしても二つの勢力がありその融和のために一つの古墳地葬られたともみる、それは謎である    

埋葬された人物は、古墳の立地や築造年代からも新田川流域を治めていた浮田国造の初祖・鹿我別命だったと考えられる[5]。しかし、2箇所の棺の痕跡は何を意味するのかなど今後究明すべき点も多い。

浮田とは鹿島区でありここが国造(くにのみやっこ)が置かれたのだから一番古いとなるではなぜ原町市にここにその初めの祖が葬られたのかとなる
そこに密接な関係がありそうなったのである

この二人の主というとき自分の家にも二人の女性がいて家を支えて来た
だから一人というのではなく夫婦でも二人であり二人がともに協力して支えるということはある、何か歴史という時、人は死んでもその後にその死者のことを生者がかたり昔でも一つの織りなす物語となるのである
人間の歴史は今だけで作られていない、過去から延々として人は生きて死ぬことを繰り返しているのだから死者もそうして物語の中に生きつづけるのである






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