家は単なる建物ではない先祖の死者が生き続ける場
(天皇は家から発した、国家とは天皇家のことだったから)
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野馬追いに出た御家と只野氏と天皇の菊の紋がある、これはまさに歴史の象徴としての旗なのである
家をローンで買ったり家を新しく作ることは金がかかりすぎる
もう家に不動産にも価値がないという見方もある
それは空家とか少子高齢化で家そのものが価値がなくなったからだとしている
つまり家でも消費するものであり一時的なものとしての価値がないとしてそう言っているそれは経済的にはそうである、ただ家とかには土地でも経済的価値では計れないものがある
人間はすべてを経済的価値では計れないのである、家もそうである、家は単なる箱ではない、その家で営まれる生活があり家族がいて家がある
家というのは何か家という建物だけではない、そこで家族が暮らした精神的なものも受け継がれる、家は今のように30年くらいで古くなり新しくされるから不用だというのは現代的見方である
家はそれぞれに家の家族の歴史がありそこに何か一時的に消化される、消費されるものと違っている、特に日本では家は単なる建物ではない、家にはそこで人間が長く一緒に暮らした結果として精神的なものが付与されている
そもそも家が拡大したのが一つの国なのである、公(おおやけ)とは大きな家のことだからである、大きな家とは今では公共的な建物である
そこで政治でも行われるし公共的なものに使われる共有の建物となるからである
天皇とはそうした公(おおやけ)の象徴なのである
悠紀殿と主基殿の天皇の座のすぐ近くに「寝座」があるため、「新天皇が神と寝ることにより神格を得る」など、いろいろな説が流れされてきた。
折口がこの見立てに不可欠な要素として持ち出したのが、「天皇霊」という概念だ。折口によれば、〈天子様の御身体は、魂の容れ物〉であり、天皇はその魂(「天皇霊」)を受け入れることで完全な天皇として「復活」する。すなわち折口は、天皇の権威をほかならぬ「万世一系」の「血筋」ではなく、「肉体を入れ替えて復活をとげる霊魂」という超越的存在の継承によって説明しようとしたのだ。
大嘗祭ではそうして家の中で天皇を継承する儀式が行われる、それは秘密にされている
そこには他所からせ計り知れないものがあり代々天皇を継承する儀式なのである
それは家を受け継ぐことでありその家が拡大したものがもともと国だったからである
だから選挙で大統領を選ぶとかにはなりえない、家を受け継ぐものは長男であり血縁である、それは江戸時代までつづいたのである
御家と御家中とか江戸時代に言っていたのも家が公(おおやけ)になっていてそうなっていた、家を継ぐものは血縁であり長男に定められていたのである
家を拡大したものが国家でもあったのだ、ヨ−ロッパでもハウスブルク家などが大きな国を支配したとなるのもそうである
王の座はそうした王家が代々受け継いできたとなるからである
王は多数決とかでは決められない、王の権威は代々受け継がれてきたことにある
日本では天皇になるのである
とにかく自分の家族でも全部死んだ、残ったのは自分一人である、それで遅かったが家を自分は受け継いだとなる
その座を受け継いだとなる、それで母親の座った場所に自分が座っていると不思議である母親の座がありその座に自分が座った時、母がそこにあり自分がそこに座り母を受け継ぐとなったのである、父親はすでに中学の時死んだから遠い祖(おや)になっていた
だから私の場合は家族という時、姉と母になるのである
60年から70年も一緒にいたからである
不思議なのは家は嫁である、女と家が一体化したのが嫁なのである
それは家を一緒にともにする、家と一体化するのが嫁となるのである
確かに嫁いで60年とかなれば自ずとそうなるのである
母親が死んで4年とかになるが何かその母がいた座に母がいる
自分が座った時、その母の生を受け継ぐという感覚になっていたのである
ただ複雑な家族だから一概には言えないが今になると母はこの家の嫁となった
女と家が一体化した存在となり死んでもその座にいるという感覚になる
そして家は自分に受け継がれたともなる
私の家の歴史は父から始まる、双葉の新山で酒屋に丁稚として勤めていた
それで暖簾分けしてこの町にきた、この土地はその時買ったものである
それから駄菓子屋から店をはじめた、それで繁盛したとなる
子供時代の思い出としては近くの井戸から風呂の水をバケツで運んだことがあり
それは家族総出の仕事だった、その時水道がなかったからである
その時の家はトタン屋根のヤハな家であり必ず雨漏りする家であり洗面器でその雨漏りをためていたのである
それから台風でその家は水没した、屋根まで水が来たのである、それで近くの旅館に逃げた、その時もう家は使えないほどになった、でもなんとかそれでも使えるようにした
そういうことがあり私の家では逃げるための二階を建てることが悲願になったのである
それで姉と母がこの二階の家を建てたのである、それは大きなものだったら回りで驚いたのである、うらやましがられたのである、その頃まだそうして家を建てることが簡単にできない時代だったからである
でもその後も水害にあった、床上浸水したのである、ここは街で一番低い場所であり
上から道が川のように流れてきたのである
今でも去年の大雨で水があふれて水が家に入ってきて水浸しになったのである
幸い床下で助かったのである
とにかくそれだけここが土地が低い場所だからそうなるのである
自分の家にはそういう歴史がある、それぞれの家には必ずこうした歴史がある
それが何代もつづく家だと家の歴史がある
そういう歴史があるとき家は単なる箱ではない、そこで暮らしたストリーがあり歴史がある
その歴史を受け継ぐことになる、そういう歴史があるとき家は単なる箱ではない、建物ではない、その家を通じて営まれた家族がいて歴史がある
それを受け継ぐのがその子供たちだとなる
ただその歴史もその子供たちでも受け継がない、空家化するとか他人が入ってくるとそうした歴史は受け継がれない、他人にとってはそこで暮らしたともないのだから関係ないとなるからだ
ただ他人でも嫁はその家と一体化するから受け継ぐとなる
家にはそれぞれ歴史があり単に一時的なものとして消費するものとは違うのである
都会だとまず家は一時的に消費するものとなりやすい、アパートでも転々とするとか
移動するからである、でも一旦土地を買ってそこに家を建てて住めばやはりそこは単なる箱ともならない、やはり思い出が詰まった家であり単なる箱ではないのである
だから家が失われると思い出でも失われることになる
ただその家はその家族にとっての家であり他人には関係ないとなる
ともかく津浪とか原発事故とかでは家が失われたりまた家があっても子供たちが移住して老人だけか取り残されるとかになった
老人は家に思い出があり愛着がある、それで家を離れたくないのである
だから単に家は消費するものであり一時的に建物の箱として利用しているのとは違うのである
確かに経済的には価値がなくなるとしても精神的価値はあるしそれはそもそも金に変えられないのである、すべてを金に換算することはできない
土地の価値でも一部を切り取って家を建てる土地がある
でもその土地に生きるというときその景観とか大きな自然の中で価値が生まれる
ただ経済的な価値、金にならないものは価値として認められないのである
でもそこに実際は人間として替えがたい価値があるともなる
そういう金では計れない価値が現代では無視されるのである
そこに人間として空虚なものとなり充実した生の営みが消失するのである
住宅は所有するものではなく、「消費して、使い捨てするものだ」という感覚が当たり前になっていく
物だったらそうなる、でもこの人は(鈴木傾城)は右翼である、そしたら伝統的なものを大事にする、家にこだわることは確かに保守的な思考ではある
だから家のために一生を費やされるというのも馬鹿げていることもわかる
でもそれは単に寝起きするとか食事するとかとしての場ではなく家で営まれる生活がありそれが思い出となり家の価値が生れて来る、つまり家は人が住むことによって精神的価値が付与されるのである
だから家を受け継ぐというとき建物だけではない、何か精神的なものを受け継ぐのであるそれが自分自身が遅くなりすぎたにしろ家族が全部死んで感じたのである
家には先祖が親が生き続ける場所なのである、次の代に受け継がれ生き続けるのである
それが象徴的なのは天皇霊を受け継ぐとかに儀式化されたのである
国家とは国の家なのである、家から発したものが国家となったのが日本の国家の由来なのである、それを否定するにしろそうして国家が受けづがれてきたことを知るべきである
(人間と空間)オットーリードッヒ,ポルノウ
この本は家について深く考察している、人間の思考は家があって家から思考している
一見天皇とかなると家と関係ないようでも深く家と関係して生まれていたのである
(人間はそこで自分が空間のなかに根を下ろし、空間の中のすべての関係がそこへと関連づけらている、そのような中心を必要とするのである
体験されている空間もまた今日なお一つの中心に関連付けられて、一つの中心から構築されているそれこそ人間が住んでいる家屋である
人間の家屋は人間の世界の具体的中心になるのである
天皇が生まれた経過はこの家なのである、日本の中心となった家なのである
それは日本では江戸時代でも継続されていた、侍でも長男が家を受け継いでいた
そういう家中心の社会がありそれは明治になっても受け継がれた
不思議なのは一家の墓が生まれたのは明治以降なのである
それまでは個人墓であり夫婦墓でもあった、一家の墓がないのである
だから強制的に一家の墓が政府の政策として強制されたともなる
それは国をまとめるものとして家を中心にして基礎にしたということである
そして天皇家が日本の家であり公(おおやけ)であり国家だとなったのである
天皇とは何なのか?家から思考するとわかりやすいのである
いづれにしろ戦後は家の重みは失った、核家族とかなりこれまでの家の感覚はなくなっただから家は一時的に消費するものだというのは戦後にそうなった感覚である
そこに家は一代で終わるということになった
そして膨大な空家が生まれたのである、これからも生れる、近くでも本当に大きな家で一人暮らしの人が多いのである、私自身もそうだがそんな大きな家に一人でいるのはもったいないとみるのである、これからも800万軒とか空家が生まれ壊されるともなる
それより原発避難区域になったところは空家だらけになり町や村自体が消失しかねないのである、それは全国でも限界集落があり村や町や市まで消滅してゆくというからその変化が大きいのである
そこで失われるものは家という建物だけではない、何か精神的なものも失われる
天皇家すらもう維持できないということにも現れている
天皇家すら維持できないということは庶民の家も維持できないのが普通だとなる
そこで失われるものも大きなものがある
歴史とは代々受け継がれるものでありそういうものが箱としての家ではない、精神的なものが失われることになるからだ
天皇の御製歌(おほみうた)一首
あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも
まさにこれなのである、これは地元の木材で作った家であり外材を使う前はみんな地元の木材で作っていたのである、それで私の家も橲原の木で柱を作ったとして自慢していたのである,グロ−バル化でそういうこともなくなったというとき故郷とかに対する意識も薄れたのである、経済的に地元より外国であれ外部と関係している時は自ずとそうなる
今は家はハウス会社が外からきて一二週間でプラモデルのように組み立てるだけである
地元の人がかかわることもないのである
だから一時的に家を建て消費するという感覚になるのである
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