最悪の事態を想定できない人間
(不安が的中する、第六感が働かない時代)
人間は最悪を想定しない、それはしたくないとかありこのままの状態がつづく、また続いてほしいという願望がある
だから誰でもそんな最悪のことなど考えたくないのである
それで常に目前の利益だけで判断するのである
何か不安を感じるというときそのことが意外と本当に当り最悪のことが起きる
第一原発でも「安全神話」を言われても何か不安だなと住民にはあった
特にすぐ近くだったら余計にそうである、でもその不安を無視したのはそれが利益になるから無視したのである
目の前の利益が常に優先されるからである
もし不安があるならやはり科学的に検証するということが必要だった
でもそれも権力の圧力でできなかったとかある
でも地元になればその不安は解消しないということあった
それでも利益優先になり無視されたのである
社会にはなんとなく不安だなというのがある
そういう不安感とか第六感みたいなものが人間にあるし動物には本能的に働く
でも今はすべて科学で考える、すると科学の専門家が技術者が決めることになる
素人の不安感など無視される、何か科学的根拠があるのかともなる
それで石巻の日和山の前を通ったとき、すぐ前が海でありこんなに家が密集していていいのかと見た、海を前にして家がある、港があるのは普通である
でも荒い波でも直接打ち寄せるじき前に家が密集していたのである
入江とになっていればまだいいがそれもない、だからこんなに家が密集していいのかと
見たのである
そしたら津波で大被害になったのである
何となく不安だなというときそれが意外と的中する
例えば東京とか高層ビルとかに住んでいるとかになるとやはり地震が来たらどうなるのかと不安になる、技術的にそうはならないとしても不安になる
その保証はないと思う、第一東京という都市自体があれだけ密集して住んでいるのだから地震とかになったりしたら大被害になることは一応想像できる
江戸が大火の被害に度々見舞われたのは木造の家が密集していたからである
それで何度も大火で被害があり長屋ではただすぐ何も持ち出さないで逃げることであり
あと家は壊して延焼を防ぐことしかなかった
何も持っていないから身一つで逃げるようにしていたともなる
また貧乏で物は持てないからそうなっていた
ともかくそもそも人が密集する都会は人間にとって生物にとって危険なのである
それは本能的にわかる、コロナウィルスでも東京などが感染者を止められないのは人が密集して住んでいてその密集状態の日常を止めることができないからである
コロナウィルスは人の行き来を減らすしか止める方法がなかった
だから村の入り口には疫病が入らないようにと人を入ることを止めたとなる
そのために大きな藁人形とか神社を作ったのである
関所もあったから人の行き来を止める機能もあった
それでも江戸時代にコレラは長崎から入り蔓延したのである
何か不安だなというときそれが意外と的中する、それは確かに科学的根拠がない
でも人間はこの科学的根拠も無視するのである
眼の前の利益の方が大事なのである
それで科学者が学者が若林辺りが仙台市で住宅地として広がった時、津波が来たら危険だと警告したら抗議されたのである
不動産屋にしては地価が下がるとして抗議されたのである
こうしてとにかくは人間は目の前の利益が優先になる
津波など来るものかとなり無視される
最悪のことは誰も想定しない、そうなると利益にならないからである
だからそんな縁起でもないことを言うなとなる
つまり最悪なことを見たくないからそうしている
でもその最悪なことが起きた、津波と原発事故で起きた
誰も空気と水と土と森が汚染されて住めなくなるとは思ってもいなかった
もう空気も吸えない、水も飲めない、食料も作れない、木も燃やせないとかなるとは思ってもいなかった、それは「安全神話」で最悪のことを想定させなかったのである
ただ利益のみを言い地元でも利益のみを求めたのである
利益になる金になるとなれば危険も無視されるのである
地元では目の色を変えて利益を求めて危険を無視したのである
ただこれは大きなことでなくても個々人でもなんとなく不安だなというときそれが的中する、それは自分自身でもそうだったのである
何か家のことで不安だった、引きこもりであり楽をしていたがこんて楽していいのかともありまた親が病気になったら死んだらどうなるのだろうかと不安だった
その不安は最悪のものとして的中した
介護のために四苦八苦して自ら病気にもなり死ぬ思いをしたからである
その時誰も助ける者がいず自分一人でやるほかなかった
かえって来た人は弱者化したときそれをいいことに攻め立てたのである
ある程度想定していたがこのように最悪を想定していなかった
それを見たくなかったのである、でも否応なく最悪のことが起きたのである
いづれにしろ何か不安だなというときそれが的中して最悪のことが起きる
トロイの木馬でもそうである、それが何かわからなかったが引き入れた
不安であったが引き入れた、そうしたら敵がそこに隠れていたのである
原発でもそうだった、実は不安があった、敵は隠されていたのである
また故意に隠していたのである
だからなんとなく不安だということは当たる、でも最悪のことを人間は嫌だから見たくないからさけるのである
そんなことあって欲しくないとして無視する、そうして最悪のことが起こる
それはコロナウィルスにも言えるのかもしれない、最悪になることもありうるが楽観論もある、だから判定しにくい、ただの風邪だという科学者もいるしそれも論拠があり否定できない、ただわからないから最悪な事態になることもある
医療崩壊というのがそうである、それが起こりつつある
それは未知だからそうなる、だから不安をあおることは良くないともなる
マスコミは不安をあおり視聴率を稼ぐともしているからだ
だからその判断もむずかしいのである
ただなんとなく不安だというとき簡単に無視できないのである
それが的中しやすいからである、それはそうして起こる最悪のことを人間は見たくない
それで最悪に備えない、安全も無視されるのである
そうして原発でただ「安全神話」を作り科学者の専門家集団でも最悪を想定していないから備えもしない、避難させるにも支持も出さない、そして一番危険な山側の津島に浪江の人たちは逃げたのである
それは最悪を想定していないから事故になったときお手あげになりアメリカにスピーディの放射線量を報告した、アメリカ頼りになっていたのである
最悪を想定していれば事故の避難訓練をする必要があった
でもしなかったのは「安全神話」を作っていて安全、安全をしつこく言っていたからである、安全でないとは言えなかった、そうなれば原発を作れなかったからである
最悪に備えよ!
これは常に日本では洪水があり災害が多いからそうなる、去年の水害でもそうだった
いたる所が決壊したり堤防も破壊されてそれを修復するのには何年もかかる
それも想定外だったのである、これからも最悪のことは起きる
ただ人間は日々の生活に追われ利益に追われ見ないのである、最悪を見たくない
でもその最悪が容赦なく人間の都合とは関係なくやってくる
それが津波と原発事故の教訓だったとなる
ただコロナウィルスにどう対処していいか、ただ不安をあおるのは良くない
でも医療崩壊とか最悪のことが起きつつもある
それに備えるというのも必要である、たこれも楽観論が多いとなる
若い多世代は影響がないとしてそうなる
老人はどうせ死ぬんだとなり無視される、それが楽観論を生んでいる
不安をあおの良くない、ただ人間は最悪を想定しない、したくないのである
これは確かなのである
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