冬の鴨、年の暮(今年も終わりとなる)
冬の鴨寄り合い三羽橋の下
塵つかず石により咲く冬薔薇
寒鳥の今日も叫びて餌求む
何かあれ根っこ一つや冬の暮
親残す家あり幸い冬籠もる
我が家や遺影に向かい年の暮
俳句は本当に写生だと思う、冬の鴨がいつも通る橋の下にいた、それも三羽である
それがなんとも心にしみた、買い物に行くだけで風が吹いたし寒いからである
この句は何も飾るものがない、見たままである
だから普通だとこんなものが俳句になるのかと見る
でもそこに写生の奥深さがある、奇をてらうことではない、平凡でもありのままに心打つものがある、事実は小説より奇なりともある
歴史は事実であり事実の重みがある、それは偽ることができない
ただドラマになると脚色されるから事実が見えなくなる
それでドラマと歴史の真実は分けるべきだとなる
寒鳥とは金のない人でもある、金をせびりにくる、また三羽の冬の鴨とはまた人間なのである、何かそこに寄り合う鴨がいる、それが心にしみる
今は何か豊かであり貧乏がわからなくなった、でも日本は貧困化している
だから水道,ガス、電気がとめられる、それも毎月なのである
ただ今の貧困は豊かさを経験した豊かさの中の貧困である
物はありあまるほどある、貧しい時は物もないのである
そうなるとこれだけ物があふれていても買えないという苦しさがかえってあるとなる
また今は貧困は見えないのである
現実に老人でもゲートボールを毎日している人は貧乏ではない、余裕があるからしている貧乏な人が今は見えにくいのである、だからわからないともなる
ともかく今年も終わりである、今年はコロナウィルスで明け暮れた、ヤクルトの女性が二週間くらい配達できないときがあるかもしれないと連絡した
それは福島市に工場があるからだ、福島市は医療崩壊になるとか放送しているからだ
福島市でクラスターがあり増えたからである
これも困ったことである、とにかく外出がしにくい、ただ私は本当に遠くに行かない
ここ十年介護になってから旅もしない、近間を回るだけである
それで写真にこるようになった、近間でも絵になる写真になる場所があると思った
要するに人間は近間でも良く見ていないのである
近間でも発見していないのである、だからいい写真を撮ろうとするとき近間でも見直すことになる,カメラは人間の眼で見えないものを映すからである
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