新年の短歌ー寒雀の時代?(ヒマラヤの花ーラリグラス)
これは500円で安かった
寒雀あまた集まり年暮れぬ
我が一人家守りて寒さかな
霊前にともに映えにき花の色この家栄えむ年の始まる
新年や白菊清楚松の葉にそえて映えにき大和心かな
新しき芽の出でるとめでたきや未来に伸びむ命にあらむ
健やかに今年もあれや松の葉に菊の添えさし我が願うかな
年明くも変わらぬ貧やいかにせむ今年はことに冷えにけるかな
妻亡くし老いも悲しきまた一人なおも生きなむ何を支えに
今年は本当に年の暮も寒かった、寒雀が群れていた、大きな家を守っているのは自分一人である、だからも寒いとなる、家が栄えるとしたら一人では栄えないともなる
この花は束でスーパーで売っていた、500円である、それにしてはいいものだった
なかなか花は買えない、だから一軒花屋が倒産してなくなった
一軒しか花屋がない、フラワーアレンジメントするにも手間なのである
家事をしてまたその他にいろいろすることがむずかしい
ただ今はカメラにこっている、カメラで撮ると何か見えないものが見えてくる
だから今年も写真を撮る訓練する、写真は撮り方によって相当違ったものになる
またこりすぎるとレンズを買うようになると金ががかかるから問題である
日本の心となると何なのか?文化的にはいろいろある、生け花とか庭とかいろいろある
俳句とたか短歌もそうである、これは日本語があって日本がの風土があって作られてきたものだからである
だからおめでとうとは芽が出ることだったのである
新しい芽がでる、それでおめでとうとなる、この感覚は農耕民族だから生まれたのである植物が育ち稲でも米が主食となるからそうなる
遊牧民ではそうならないし麦を主食としていると文化が相当に違ったものになる
大和心と大和魂は違う、本居信長が言っていたのは大和心であり大和魂は吉田松陰が残した辞世の歌で有名になった
でも吉田松陰はアジア征服を目指していた、だからこれは何か戦闘的なのである
もともとは大和心でありそういうものではなかったのである
それでネパールの奥地の村を訪ねた番組は興味深かった、まさにもヒマラヤの奥地に取り残された秘境の村だった、私もトレッキングで3000メートル級のところを歩いて8000メートルの山を見たときは驚嘆した、ただその時曇っていたので良く見えなかったのが残念だった、とにかくもう一度行くしたらヒマラヤを見たいとなる
この辺でもネパールの女性が働いている、福相で働いている
その女性はどこから来たのだろうとなる
そのヒマラヤの奥地の村では何を食べていたのか?それが自分も行って謎だった
何か食べるものがあるのかと見たからである、そしたら栽培していたのは麦だったのである、米は作っていなかった、寒冷だから作れないとなっていたのだろう
ジャガイモなどは作っていた、それにしてもそういう場所で良く生きれると思った
日本だと江戸時代であり福島県だと桧枝岐のような隔絶した村である
そこでも主食はソバであり米は食べていなかったのである
そもそも米というのはみんなが食べていたわけではない、山では日枝と粟とかを食べていたのである、ただそれが必ずしも貧しい食とはなっていなかった
かえって白米だけを食べていた人が脚気になったのである
ラリグラス雪おおう高きに咲きて散る雪を踏みつつネパールを知る
ラリグラスとはシャクナゲのことである、ネパールのは赤いシャクナゲであり300メートル級の場所に一面に咲いていた、そこは雪に覆われていた
その雪を踏みしめたときネパールを知るとなる
つまり真っ赤なラリグラスと真っ白な雪のコントラストが美しいとなる
だから外国でもその土地を踏まないと実感できないのである
日本の風土もまたそうである、大和心とはなにか?日本の風土を知らないと理解できない俳句がまさにそうである、季語を理解するには地本の風土を知らなければならないからだだから一年くらい住んでみないとわからないのである
それで外国は一回くらい旅行してもわからないとなる
とにかくこれだけ旅したから思い出すのである、冬は特に冬ごもりであり過去の経験を思い出すことに向いている、ただその時どれだけ記憶しているかが問題になるのだ
時間がたつと全く忘れてしまうからである
今年はどうなるのか、いいこと言う人はいない、それで去年も寒雀を見た、あまた群れて年も終わった、何か日本はみんいな貧乏になって寒雀になるのか?
コロナウィルスでもそうだが何かもう日本が経済成長することはありえない
それは世界全体でもそうである、資本主義自体が限界にきて行き詰まっているからだ
日本が豊かだったのは過去のことになる、貧乏人が増えている
ぎりぎりで生活している人が増えている、そういう人は必ず電気、ガス、水道代が払えないのである、それでもめているのである
東京辺りだと家賃が払えないとなる
ただそういうなかでも希望はある、コロナウィルスでも全部悪く働くとはならない
いい方面に働くことある、貧乏になっても今度は助け合いが必要になる時代になるというのもそうである、そうしないと暮らしていけなくなるからである
何かわずかのものでもオカズでも互いに隣近所でたしあって助け合うような時代になるともなる
ただ未来はわからない、結局意外なことが起きるから予測できないのである
この辺で起きた津波とか原発事故を見ればわかる、予想した人は一人もいなかったからである、ただ悪いことばかり起きるとも限らない、あれ時代が変わって自分にとっては良かったなともなるかもしれない、それは全部ではない、ある人にとってはいい時代になったともなるからである
団塊の世代はいい時代を生きたのである、別に苦労しなくても才能がなくても時代が高度成長だから成功する人が多かったからである、今はまず成功する人はよほどの才能がないとできないからだ、ただやはりこういうときは才能ある人は有能な人はやはり成功しやすい、高度成長の時代に才能がなくても成功することはないが実力の時代になり有能な人はかえって成功しやすいとなる
何か今私は今までの経験とか創作したことがありそれが膨大なものとなっている
それをまとめる発表することがある、その作業に追われているのである
だから家事があり暇なく何かをしている
自分のしてきたことはライフワークであり継続しているからそうなる
会社員だとライフワークになっていないから退職するとやることがなくなっている
だから若い時カラライフワークをもつべきだとなる、なぜなら人生百年としたら会社をやめても30年から四十年人生があるからだ
これが長寿社会で大きく変わったことなのである
新年生け花ーこれは見ごたえがある
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