2021年01月11日

商業の歴史をふりかえる (商業は政治力となる軍事力があって成り立つ―グロ−バル経済も同じ)


商業の歴史をふりかえる

(商業は政治力となる軍事力があって成り立つ―グロ−バル経済も同じ)


経済という時、例えば商業の歴史も牧畜とか農業があるとするとそれと同じように古い
人間の歴史がはじまって以来商業は貿易ははじまっていた
なぜならある地域だけであらゆるものがあるわけでもない、また生産もできない
だから自ずと貿易が起こり物々交換も起こる、貿易は何かと交換することである
それで物々交換となるとめんどうだから必然的に貨幣が生まれたのが人間の歴史である
宝貝というのは珍しいから貨幣になった歴史があり漢字で貨幣とか財とかに貝の字が使われたのはそのためである、つまりそれだけ貨幣の歴史が古いのである
それはどうしても人間は一地域だけだと限られた物しか得られないからそうなった
縄文時代ですら貿易があった
ヒスイが発見されているからだ、それは日本海側の糸魚川からとれたものであり
青森の三内遺跡から発見された、つまりそういう遠くからも運ばれていたのである
すでに貿易があったという証拠になる

第一聖書にも記されている神との契約というとき商業がなければその言葉もありえない、商業には契約が欠かせないからである、するとそれだけ商業の歴史が古いということである、契約の虹というのもそうである
そして商業は交通と密接に関係している、遠くに行くとなると交通が発達しなければできないからだ、それで砂漠とか平原とか草原とか川とか海が交通路になり商業が発達した
そこは自然の交通路になっていたからである
日本では山が多いからそれが障害となり交通が妨げられて商業が盛んにならなかったともなる
そしてそういう草原と砂漠とかは遊牧民がいて移動して暮らしていたのである
すると遊牧民は自ずと商業民族となるというのもわかる
それで遊牧民が航海民になった、地中海のフィニキア人は遊牧民だったというのもイメージしやすいのである

歴史家ヘロドトスは、その著書「歴史」の序文で「ペルシア側の学者の説では、争いの因をなしたのはフェニキア人であったという。それによれは、フェニキア人は、いわゆる紅海からこちらの海に渡って来て、現在も彼らの住んでいる場所に定住するや、たちまち遠洋航海にのりだして、エジプトやアッシリアの貨物を運んでは各地を回ったがアルゴスにも来たという。」

紀元前11世紀にはテュロスはイスラエル王のダビデと友好関係を結び、紀元前10世紀にテュロス王のヒラムはイスラエル王のソロモンと共同で紅海の貿易に進出する[7]。紀元前9世紀にはテュロスを中心にフェニキアの貿易網が栄え、その様子は旧約聖書のエゼキエル書に記されている

finicia1.jpg




これだけ古いのである、ソロモンの栄華というときまさに貿易があった商業が盛んになっていたからだとなる、、テュロスは今のシリアでありイスラエルの隣なのである
誤解しているのはイスラエルは半分は砂漠であり商業の国でもあった
だからラクダとともに泊まる宿がある、交易の国でもあった
イスラエルは遊牧民の国であり農業の国ではない、農業はイスラエルが建国して砂漠を畑とか果樹園に変えたのである
そもそも砂漠は遊牧民の世界であり自ずと商業が発達する
その延長として海が交通路になるのは自然だとなる、この辺が地理的に理解しにくいのである、私は実地にイスラエルに行って理解したのである
地理は実地にその場所に立たないとわからない、そのイスラエルからギリシャに船で渡った、それはまさにフェニキア人と同じだったとなる
途中船はキプロスに寄り6時間くらい停泊したのでそこで買ったのがイギリスのコインだったというのもそこはイギリス領に一時なっていたからである

いづれにしろ商業は人間の歴史がはじまるとともにあった、日本の縄文時代でもあった
ヒスイが青森の三内遺跡に日本海から運ばれた、日本海は冬をのぞいて穏やかだから交通路になったためである、太平洋洋側は海が荒いから交通路になりにくくかった

斉明天皇4年(658年)4月に船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、飽田・渟代二郡の蝦夷を降伏させる。降伏した蝦夷の酋長・恩荷に小乙上の冠位を与えるとともに、渟代・津軽二郡の郡領に定めた。

飽田・渟代(秋田、能代)となっている、つまり日本海側の歴史はそれだけ古いということになる

ともかく経済を理解する時、商業とか貿易でもこれだけ古い、そこで必然的に交換の道具として貨幣も生れた、聖書でもキリストが神殿で商いの場所にするなと起こった時、神聖な場所が商売で汚されていたからだとなりまたそれだけ商売が盛んになっていたからである
その商業か貿易が盛んになることは必ず経済戦争に発展する
川が交通路になるとその通行のために税金をとるとかなったりする
それで戦争になったりもする、それは現代のグロ−バル経済になってもそうである
米中の覇権争いとなるのはそのためである、商業には政治と軍隊がからんでくるのである商業から戦争が起こり安いのである

商業でも貿易でも本来悪いことではない、貿易して富が増大することである
互いに利益を得ることである、でもそれも全面的にいいものとはならないのが人間の歴史だったのである、それは富の奪い合いとかなり戦争の原因になったからである
まさにグロ−バル経済というのもそうである
それが一見いいように見えても実際は必ず争いになる、富をめぐる争いになる
それが米中の対立となる、政治がからんできて政治とはまた軍事力となりその力で商業の利益を得るとなるからだ

すべての道がローマに通じるというときすべての富がローマに集まるという意味にもなる今ならすべての富がアメリカに集まるともなる、だからドルが世界で通用する
そのドルが世界の基軸通貨共通貨幣になっているのはアメリカが覇権国であるからである第一ドルでなければ石油も買えないのである
それに中国とかが反発するものわかる、そこで対立して戦争までになる

商業の発展には交通が基本にある、だから常に移動して暮らしていた遊牧民は自ずから商業民族にもなる、そして商業は貿易は必ず他国を通る時、盗賊に襲われる
それから守るために軍事力が必要になる、安全が保証されないとできないのである
それで政治力と軍事力が必要になる、また関税が生まれるのもそのためである
それは安全を保証するのものでありやむをえないとなる
だからローマ帝国でもすべての道はローマに通じるというときその帝国内では安全に商業もできるとなった、そして富がローマに集まったのである
モンゴル帝国でもそうである、あれだけ広い地域を治めたと安全に商業を貿易ができるようになり貿易が発展したとなる

第5代皇帝クビライによって元が成立すると、1260年(中統元年)に諸路通行中統元宝交鈔(中統鈔)が7万3千錠(365万貫)発行されて通貨が統一された

中統鈔の材料は桑の樹皮であり、繊維状にした内皮にニカワを混ぜて薄くのばして縦長に裁断し、銅版画で印刷して皇帝の御璽を押印した。中統鈔には皇帝の権威を表す龍や銅貨の図柄、額面金額、発行所、発行所の役人の名前、製造所、そして偽造者を惨殺刑とする文言が印刷された

貨幣が紙幣ともなり統一されたのはモンゴル帝国が成立したからである
それはアメリカ帝国が成立したと同じである、こうみると歴史は繰り返されている
ドルが世界の基軸通貨となったのはアメリカ帝国が成立しているからである
でもその覇権が奪われると中国が新しい通貨を発行して世界を支配するとなる
つまり経済の上に政治力があり軍事力が関係している、それは変わらないのである
つまり民主主義だとか自由経済だとか言っても結局その上に現実的な力として政治力があり政治の力の背後には軍事力があるとなる、だから人間の歴史は本質的に変わりがなく
同じようなことをカルマとして繰り返しているとなる
グロ−バル経済は一見自由であり公平にみえてもそうではない、やはり政治力とその背後に軍事力があって成り立っているのである

posted by 老鶯 at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/188298293
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック