山中伸弥が「人類は滅ぶ可能性がある」とつぶやいた「本当のワケ」
チームのほうが誘惑に弱くなる―大衆民主主義は全体主義になる
ところがチームになって、責任が分散されると、慎重な姿勢は弱まって、大胆になってしまう。たとえルールがあっても、そのルールを拡大解釈してしまう。気がついたらとんでもないことをしていたというのは、実際、科学の歴史だけでなく、人類の歴史上、何度も起きたし、これからも起こりえます。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67554?page=6
チーム化することは団体化することである、人間は団体化すると個人の責任感とか希薄になる、そして団体組織化することは力を持つことであり権力を持つことである
なぜ民主主義が危機になっているのか?
要するに議員を選ぶにしても何にするにしてもすべて数で決まるからである
その数を集めることがすべてでありそこに正義も不正義もなくなる
数が多い方が正義なのであり何であれ数が多いことで決まる
カルト教団であれ選挙の時は利権団体の票が優先されるにはまとまった票が得られるからである、個人の一票など意味ないしあらゆることで個人は無視されるのが民主主義だともなり危機になる、アメリカの大統領でももう選挙に不正があったとして暴力になる
数の多さで決めることにみんな疑問を持つようになったからである
そしてナチスは民主主義の選挙から生まれたのである、とにかく数を集めれば票を集めればその正当性が得られるからだ、そして全体主義になった
もう全員がハイルーヒットラーになったら誰も逆らえない、止めることもできなくなったのである
そこに民主主義とか選挙でも決して正しい判断をするものではないことがわかる
赤信号みんなで渡れば怖くない
まさにこれである、巨大な数となり集団となるのが大衆民主主義なのである
それはギリシアのボリスの一万とかの民主制とはまるで違ったものになる
それでまたナチスはラジオから生まれたという説がある
人間が集まるとなると限度がある、でもラジオだと何百万人にも向かって訴えることができる、それが今ならテレビであり戦前は新聞で朝日新聞が戦争をあおったとなる
現代の大衆民主主義がそうした危険がつきまとっている
数がすべてになりその真意など関係ない、善悪も関係ない、数が多いことがすべてであり正義なのである、要するに数が権力化するということである
それが創価でも他のカルト教団でも宗教がからんでくると余計にそうなる
逆らう者は罰当たるとか地獄に落ちるとか何百万人の人の念がそうなるから怖いのであるそれはカトリックなどでも異端者が火あぶりにしたのと似ている
宗教の歴史の暗黒が見主主義で再現されるのである
そういう歴史があるから政教分離の法律が生まれたのである
数が多いことが正しいのではない、数が権力である、こうなっていることが怖いのであるでも民主主義はすべて数で決まる票の数で決まるとしたらそうなるのである
確かに暴力で決めるのではないからいいとなる、民主主義とは完全な制度でもないのだから暴力で決めるよりはいいとなる
でも数の多さで決める時、それは全体主義になる、そしてナチスのようになり最悪となるのである、それは歴史が証明している
共産主義もまた全体主義であり反対者は粛清されて何千万が殺されたとしている
共産主義はあからさまに反対する者は許さない、死刑にされる
民主主義は反対する者があってもまた数がすべてなのだからいづれは全体主義になる
それがナチスであった、それは数がすべてだということによっていたのである
数が多いということは責任が分担される、一票の責任は選挙では十万分の一くらになるから誰に投票しようが責任などないのである
もし一人十票とかなれば責任が生じる、でも実際は投票するのに責任を感じる人はほとんどいないのである
一万くらいのボリスだったら直接選挙であり一人一人が責任を感じていた、でも大衆民主主義では誰を選ぶにしろ責任など感じないのである
責任が分散されると、慎重な姿勢は弱まって、大胆になってしまう。たとえルールがあっても、そのルールを拡大解釈してしまう。気がついたらとんでもないことをしていた
こんなことが科学の分野でも起きていた、でも科学の分野なら科学こそ真理なのだから科学の真理に反することはいくらチームになってもできないはずである
それでもチームになると責任感が薄れてしまう、チーム化する団体化する組織化することはすでに権力化することである
すると正しいか正しくないかより権力が力を優先されて決められるのである
それによって大きな過ちが生まれる、チームでみんなでしていることが決めたことが正しいとなるからだ
原発事故でもそういうことがあった、地域の住民は金になればいいとしかない、すると危険だからやめた方がいいという人は一人もいなかったとなる
なぜならみんな金が欲しいからそれに逆らうことはできなかったからだ
反対したらその地域に住むことすらできなくなっていたのである
でも事故が起きて逆に住民が故郷に住めなくなったのである
この教訓は大事である、ナチスでも国を逃れた人がかなりいたからである
反対したらその国にすら住めなくなった、回りが一時創価の会員だらけになったらこれも全体主義になりそれに逆らう者は住めなくなる
そういうことが起こることがありえたのである、他でも数があらゆることで優先される
マスコミでも視聴率を稼ぐことが最大の目的である
それで宣伝費で稼ぐ、みんなが見ないことには宣伝できないからである
民主主義とは何かとなればもう大衆民主主義であり数がすべてであり数ですべてが決められる、そうなると理由などない、数さえ集めればなんでもできる正しいとなり逆にナチスになり全体主義になる、少数者は完全に無視される
それはインタ−ネットでも起きている、いかに視聴率をとるかがyoutubeなどでも最大の問題になる、とにかく見る人が多ければ影響力も大きくなりやはりテレビのように宣伝費が入るからだ
だからインタ−ネットでも営利が入ってきて視聴率優先になったのである
つまりマスコミ化してきたのである
田中首相が数と金が政治だと言ったのもそうである、選挙は数で決まりまた金をばらまいて票を得るからそうなっていたのである
現実民主主義でもそうなのである、政治とは数と金なのである
それは大衆民主主義ではそうならざるをえない、膨大な数によって決まるからである
そこで正しいとか正しくないとかは追求されないのである
そこでマスコミがテレビが馬鹿な大衆相手に導く、大衆にはむずかしい理屈など言っても無駄だとなりハイルヒットラーになった
つまりいかに大衆を操作するかがマスコミの問題でありそれで視聴率をとり宣伝費をもらうということだけが目的となる
大衆民主主義は容易に全体主義になる、それは数がすべての世界だからそうなる
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