2021年02月03日

四街道市の地理がわからない (半杭氏のプログを読むーコメント(2)


四街道市の地理がわからない

(半杭氏のプログを読むーコメント(2)

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千葉県でも実際に私は何回か行っている、千葉県となると相馬氏が出た所で相馬という地名もあるから歴史的つながりがある
それで半杭氏が小高出身で関心があり手紙ももらった
それからプログも詳しく読んでいなかったが読んだ、やはり今の時代に何か表現する時プログとかが必要になる、そこでその土地のこと人間のことがわかってくる
ただ地理だけは本当にわかりにくい、千葉県で実際行った場所は富津とかあり他に行っている
富津だと風の強く吹いたことで覚えている、それで千葉県が台風の被害で風の被害で屋根に一番被害があった、富津が風が強かったのでそういう場所なのかとも思った
では四街道市の地理でも歴史でもわからない
半杭氏のプログの写真などを見て何かそこが田舎的風景なのである
でも東京に近いとなるからそんな場所があるのかとも見る
でも何か写真からはのどかな田舎の風景なのである
そこが一番わかりにくいことだった

地理というのは一回その地を踏むのと踏まないのでは相当に差がある
地理は実感として感じないとわからないのである
地図を見ただけだと東京に近いからそんなに田舎的風景があることが実感できないのである、だから地図だけ見てもわからないのである

ただそこから富士山が見えるの?これも意外だった、千葉県からあんなにはっきりと富士山が見えるというのも意外だったのである
こうして地理はわかりにくいのである、どうししても四街道市というのがわかりにくいのである、名前からすると四つの街道が交わるとあるからそういう場所だとはなる
でもその地理でも歴史でもそれだけではわからない、だからいかに地理でも歴史でも理解するのが難しいか知る

確かに利根川とか鬼怒川とか東京とか千葉県の方に流れてそこで運送があった
でも利根川というのも一度を見ていないのである、するとイメージできなくなる
確かに千葉県には何カ所か行った、でも千葉県全体はわからないのである
それは福島県にも言える、福島県は広いからである、海側の浜通りと会津は全く違った景色になり別な世界にもなるからだ
つまり千葉県でも実際に多様な場所なのである、これを旅したとしても一部でありそれで全体像はわからないのである
なんか大学の時も茂原から通っていた人がいた、通うだけで二時間かかっていたようだ
なぜなら私の大学は神奈川県であり東京からはずれた場所だったからである
そこは相当に遠いけど通っていたのである
だからどうしても東京が通勤圏にもなり近いと感じる

結局人を理解するとき人そのものもあるがその住んでいる土地の理解が欠かせないのである、そして日本の地形は複雑でありその土地を理解することがむずかしいのである
私はだから全国を隈なく旅しているからだいたいイメージできるのだがそれでも日本でも広いし地理が複雑だからわからないのである
その人がまずどんな場所に住んでいるのかを知ると通じ合うということがある
そこでまずお国はどこですかとなる、でもその国に行ったことがないとイメージできないのである
だから富士山が写真ではきれいに見えているのが意外だった、あんなにきれいに見えるのかと意外だった
埼玉県でも富士見野市とかあるから富士山は埼玉県とか茨城県でも見える
それも意外と大きくきれいに見えるのである

ともかく人間は二つの世界に生きると豊かになる、それで外国生活した人は日本を見る目が比較するからより日本がどういう国か見える、それで辛辣な批判にもなる
でも日本だけに住んでいる人は日本しかしらないから日本の国がどういう国なのか偏るとなる
半杭氏の場合は中国でビジネスしてきたことがあり中国を肌で知っている
また相馬の小高出身であるがまた四街道市が第二の故郷ともなっている
それで二つの世界に生きているから精神的にも豊かになる
私の場合は旅行しただけだから外国の深いところはわからないのである
つまり人間とは本だけの知識とかだけでは駄目である、私は50歳から海外旅行したので辛うじて目が開けたとなる、でも深い所は外国で暮らさないとわからないのである
そういうことで若い時の留学などは相当に価値がある
外国で暮らす経験は簡単にできないからである
半杭氏の場合は中国とのビジネス経験しているから実感としての中国を知っているとなる

「貴方は何処の国の人ですか?」

英語でお聞きしたら

「ベトナムです。」との事です。

今度は、中国語で聞いて見ました。

「日本の印象は如何ですか?」

若い研修生は、シッカリとした中国語(普通語)で答えてくれました。
https://cutt.ly/jkscewy(半杭氏のプログ)

ベトナム人に中国語が通じる?これは疑問になるがベトナムでは一時漢字を使っていたのである、漢字圏の中に入っていたのである、だから今でも中国がまじっている
日本でも中国の漢字を使っているがその音は中国語であり呉音とかになる

ベトナムの首都ハノイ。かつてベトナム王朝の中枢であったタンロン王城跡の南側に「文廟(ぶんびょう/ヴァン・ミウ)」と呼ばれる儒教の開祖「孔子」を祀った霊廟があります。そこはベトナム最古の大学でもあり、官僚の登用試験である「科挙」が行われていました。敷地内には歴代合格者の氏名が刻まれた石碑が並んでおり、ハノイの受験生は試験前に必ずお参りに行くという、ベトナム屈指の合格祈願スポットです。

文廟の創建は約千年前の1070年、李王朝の第三代皇帝であった李聖宗(リー・タイントン)によって設立されたと伝わります。それまでのベトナム王朝は仏教国でしたが、国として結び付きが強かった宋(中国)から儒教が取り入れられ、その開祖である「孔子」を祀る文廟が築かれました。

その時漢字も使用されていた歴史がある、中国と東南アジアは深い関係がある
カンボジアのアンコールワットの遺跡に中国兵が壁画に彫られている
今でも華僑が東南アジアでは勢力をもっているから歴史は古くから継続されていたのである
そういうことで中国との関係が深く中国語で答えてくれたというのもわかる

ともかく人間を知るのは地理と歴史であり地歴なのである
この両方を知ることによって理解が深まる、でもどっちも現実に知ることがむずかしいのである、日本ですらそうなのだから外国だったらさらに理解できなくなる
だから一度だけでもいいからその地を踏むことは本を読むより価値あることなのである


四街道市の人

四街道市に住む人や
道の辻道祖神の碑
ここに住みつつなじむ人
畑に冬菜や日没るや
寒夕焼けに染まり
かなた富士の峰映える
相馬の小高出身の人
そこもまた故郷や
その土地に老いぬ


中国では紀元前から祀られていた道の神「道祖」と、日本古来の邪悪をさえぎる「みちの神」が融合したものといわれる

道祖神も中国由来だった、半杭氏の写真では大正時代とかあり新しいものだった
そうなると価値が低下する、江戸時代だったらなんでも価値がある
墓を見て歩くがどうしても明治以降は価値がないと見るからだ

いづれにしろ二つの故郷に住むということは精神的に豊かになる
とにかく人間は住んでいる土地の影響を受けてその土地と一体化してゆく
そして死んでその土地の土となりその土地に眠るとなる
そこが死ぬ場所だというとき深い愛着も生れるのである
そういう年までその土地に生きたということである、相馬と四街道に生きたとなるのである
流山市とか北相馬郡とかがあり流山市は相馬氏の軍歌であ相馬流山の民謡がある
そういう歴史としてくながりがある場でもある

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中国旅行のお土産



今はプログとかで自ら表現しないと交流できないともなる
プログだと表現の幅が広くなる、するとその人なりの人物像とかまた地理とかを知る
それで短いコメントでは知りえない全体像がわかる
だから今はコメントはしていない、もしプログで書いていればそれを読むとその人なりがわかり返答もできる、そうでないと相手のことがわからないのである
人間は対話するとなると相当なエネルギーが必要になる
相手を知るといこかとは容易ではないからだ、でもその人がどういう人なのか知らないで対話していると部分的であり何か一過性で終わってしまう
それで深く対話できないのである




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