2021年02月05日

2010福島県過疎地域 (震災前から山村地域は全国的にもグロ−バル化で過疎化)


2010福島県過疎地域

(震災前から山村地域は全国的にもグロ−バル化で過疎化)

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過疎化という時、山村は過疎化していた、この辺だと飯館村とか葛尾村とか浪江の津島とかがそうである、霊山周辺でもそうである
山村が過疎化しているのは全国的である、全国の過疎地域は山村に多いからである
その原因がヤマの木材を利用しなくなったことである
エネルギーを炭に頼っていた時代は山村はかえってにぎわっていた
長野県辺りでも炭焼きをして炭を運ぶ人が大勢いたというのもそうである
炭焼きは一大産業でありまた養蚕も大きな産業だった、それでいたるところに養蚕をした兜作りの家が残っている、それは山村だけでも平地でも残っている

それだけ養蚕が輸出産業であり農家の生業となっていた
絹はアメリカに輸出されていた、それで外貨を稼ぎ日本の国力を増大させたのである
日本は資源がないから輸出産業がないと貧乏になる
それは戦後の高度成長を作ったのが電器製品を世界に売って豊かになったのと似ている
現在日本の経済が停滞しているのは世界に売るものがないからである
石油もなにもないならそうなる、木材自体がカナダとか外材を輸入して日本の山村地域は過疎ともなったのである
もともと山村には山持ちがいて金持ちもいたのである
それで大倉の女性が相馬女学校に親戚の家から通ったというのもそうである
相馬女学校は簡単に入れない、エリートしか金持ちしか入れなかったのである

山村が過疎化したのはグロ−バル経済になり肝心の森の木があってもそれを利用しない
それが致命的だったのである、豊富な木材があったとしても利用されないからである
燃料は炭から石炭となり石油から原発とかに変わったからである
それで飯館村など原発が遠いから関係ないと思っていたが飯館村の人も原発で働いていたのである、それだけ原発は金になるからこの辺では働いていた人が多いのである
その前は戦争の引揚者が不便な地域に開墾に入った、その数も多い
だから戦後でも人口が一万以上もあったときがある
そんな時になぜそんな人口を養えたのかとなる
木材とか石材とかを原町機関区から明治から戦後でも運んでいた
それで森林鉄道の跡が葛尾村まである、それは全国に網の目のようにあった
それで山村でも活気があったとなる

そして福島県では双葉町とか大熊とか原発のあったところは過疎地域になっていない
浪江は津島などの山をかかえていたから過疎地域になっていたのか?
そこでも原発で働く人が多かった、第一二万とかなると人口としては多いからである
とにかく山村であれ戦後の焼野原の時、団塊の世代が生まれその数が多かったのである
だからなぜそんな貧乏の時、何もない焼野原から子供が大量に生まれたのか不思議だとなる、そんなとき子供を産む気になるのか?
今は貧しいから子供を育てられないというとき何か理解できなくなる
ただ昔から貧乏人の子だくさんとなっていた
子供はまた労働力として必要だった、教育して大学まであげることなど考えていない
農家だったら労働力として子供を見ていたのである
すると子供に労力を金をかける必要もなかったのである
今でも東南アジアの貧しい国ではネパールとかベトナムでも親に仕送りしているとかなる
だから親子関係も時代の変化で変わる、親に孝行が子に親が尽くすとなるのが当たり前になった、すると子育ては金がかかるか苦労が多いとなり少子化の原因にもなったのである別に貧乏でも子供育てていたからである

ともかく山村の過疎化は深刻である、でも活性化する方法がない、もしかしたら日本がの貧困化がもっとひどくなると外国から木材を変えなくなったり石油でもガスでも買えなくなったりとかすることもありうる、そうなるとき日本にあるものを利用して生きるほかなくなる、そうなるとまた農山村でなんとかあるものを活かして生きようとするかもしれない、ただ時代は逆戻りしない、逆戻りするようでも同じものとはならないのである
でもなんらかで山村を活かすことが起きてくる
それは日本が外国から木材でも何でも物資でも買えなくなるときそうなる
炭を使いとは言えないが何か日本にある資源を活かすほかなくなる

今大きな時代の変わり目でありそこで何が起きてくるかわからない
社会の根本的見直しかあり改革が成される、そうしないと日本自体が成立たなくなる
明治維新とか戦後の焼野原からともに70年過ぎて起きた
だからそういう大きな変化が起きて来る、それが世界的にも起きて来る
そういう兆候がこの辺だと震災以降原発事故など極端なものとして現象化したからである資本主義でも民主主義でも崩壊の危機にもある
株式などは実際はギャンブルだとしているのもそんなことが許されるのか?
それでヘッジファンドに対抗して一般投資家が空売りを許さなかったというのもそうである、そのからくりに気づいたからである
自由な市場などグロ−バル経済では成り立たないのである
国産金融資本家に金が集められる、収奪されている、ヘッジファンドに対抗したのもそうである、だだ一般の投資かも損するというから株の世界はわからないのである

とにかく今は時代の変わり目であり何起きてくるかわからないのである
コロナウィルスもその一つでありこれがどうなるかも予測できないのである
そもそも未知だから予測できない、大きな時代の変わり目には予測できないことが起きるだから様々に不安があり不安の時代になる
ただこうしてまた社会は変わり新しい時代を迎える、その時に産みの苦しみがある
それを乗り越えると新たな社会に変わり新しい時代を迎える

世界的にはアメリカは衰退する、もう社会自体が分断して崩壊しつつある
その反乱としてヘッジファンドに株の不公平を正すために一般投資家が戦ったともなる
それはわからないにしても何かこうして変化が起きている
コロナウィルスでも生活の仕方を変えるニューノーマルとかが言われる
これも時代の変化で起きている、社会全般が変わる
ただ自分の場合は何か現代社会でも文明でもなじめなかった
おそらく資本主義であれ民主主義であれその根幹のモラルが崩壊している
もう金になればいいしかない、そういうモラルが消失したとき何が起きるのか?
アメリカのような混乱と分断が起きて中国でもまた大きな分断が起きるともなる
中国はもともとモラルがない、金になればいいとしかもともとなかった
商売の国でありそのために何でも盗み利用する、それが国是ともされる
そういう国だというときモラルの消失からやはり退廃してゆく

このモラルの観点からすると日本は比較してだがあまり嘘つかないとか信用するとかとなっていた、それは日本国内で身内だという感覚があったからである
日本人は外国人からも信用されるというのがそうである
もちろん日本人には様々な欠点がある、ただ日本人は商売でも信用されているということは確かだとなる
そもそも戦争でも敵味方塚など作る国はないからである、殺すか殺されるかが大陸であるそして敵はみな殺しにされたのが歴史である
中国では墓まで暴くということで敵は死んでも許さないとなるからだ

いづれにしろ今年の経済も波乱含みだとなる、株価が上がっているのはもう限界であり大暴落が来るというのは一致した見方である
それは三月になるとか言われる、そのころコロナウィルスの大量倒産が現象化するからだという、すると今年一年はやはり波乱がつづく、コロナウィルスでも収まらない
そして今年中に株の大暴落は来るのが一致した見方なのである
2020年も波乱の年だとしていた、それがコロナウィルスだったということは当てた人はいなかった、でも波乱の年だったというのは当たっていたのである

確かなことはグロ−バル経済は終わる、国内回帰に向かう、それよりコロナウィルスでデスタンスをとれと言うのが合言葉になった
デスタンスをとれとはグロ−バルに人,物が行き来することを止めることなのである
また国内的にその地域地域を見直すことや回帰することにもなる
まずグロ−バル経済ではもうモラルはない、世界がギャンブル場のようにもなる
自由市場などない、国際金融資本家に操作されているとなる
それに気づいたからヘッジファンドに一般資本家が対抗したのである
グロ−バル経済が山村を疲弊させたことも確かである
だから山村の過疎化でも国内の経済でも見直すときであり変革の時なのである
ただそれはかなりの痛みをともなうから心せねばならない、それを乗り切った時新たな時代を見ることになる


posted by 老鶯 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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