2021年02月07日

都会に出る人と田舎に残る人 (原発事故からも考える)


都会に出る人と田舎に残る人

(原発事故からも考える)

それはつまり移動が階層化されていることを意味しよう。学歴、そしておそらく特別の資産やコネをもたない者は、地方を出づらい傾向が高まっているのである。

言い換えるならば、「移動できる者」と「できない者」の二極化が、地方では進んでいる近年、国境さえ超える社会的な移動が活発になっていることがしばしば話題になっているが、移動の拡大には、あくまで学歴的、資産的な偏りが大きいのである



東北だと仙台市に住みたいという人が多い、一つの憧れになっている
仙台市に住めば一人暮らしだと金はかかるにしても食事では困らない、いくらでも多様な食事のものもが提供されているからである
私の住んでいる所は弁当さえ売っていないので困る、つまり都会に需要があるからいろいろなサービスが生まれる、田舎では需要がないからサービスが生まれない
花屋にしてもそうである、クラウンオブダイナスティとかのチューリップとかを売っていて仙台の駅で買ったのもそうである
そして買い物にしても通販はあるが直接多様な商品に触れられないのである
直接説明も聞けないことが問題なのである
ショッピングの楽しみは仙台市だったら十分だとなる

ただ田舎と都会の差が本当になくなった、田舎でも十分に快適に過ごせるというのは本当である、第一贅沢したらきりがない、欲望にはきりがないからである
そういう欲望を全面開放して追求したのが現代の資本主義である
つまり欲望を抑えろということがないのである
そのことが意外と危険なものでもあったのだ
この辺ではある人を見ると限りなく欲望を追求している、いい家が欲しい、車が欲しい、うまいものを食べたい・・・・無限に欲望が拡大する
そこで何が起きたのか?

原発で豊かになれる、誘致しろ!

原発はこうして地元の人によって積極的に誘致されたのである
とにかく第一次産業は衰退していた、農林漁業は衰退して跡継ぎもないなとかなっていたそれで漁業組合は東電に漁業権を売って補償金で事故前も贅沢な暮らしをしていたのである、ただそれは農業でも林業でも衰退して金にならないからそうなった
だかち飯館村ですら原発で働ていた人がいたのである
三倍くらいの金がもらいるからそうなったのである
欲望を無限に拡大して是認することは実際は危険なことだったのである

この記事で言っていること資産をもっていると田舎に住みやすいというのは確かである
また東京とかに出なくなったのはむしろ都会に出て東京に出て行けるのは学歴とか何かもっているものであり普通の人は田舎に残っているという
高度成長時代は中卒が金の卵として迎えられたが今は何かかえって大学出て優秀な人でないと東京では働けないという事情があるというのもそうかもしれない
そして東京に出て行った昔の世代はすでに東京で資産を築いているというのもそうである東京でも資産をもてたとものと持てないものの差が生じている

それで都会へ東京などへ出て行ける者は恵まれた人だとしている
田舎だと一億円もらえたら都会に出て行くのになという人がいた
それが原発事故で多額の補償金をもらったときこれ幸いと仙台市とかに移り住んだ人が結構いる、それでその資金で成功した人もいる
つまり田舎を出るにしても金が必要になる、その元手があれば都会に出れるとなる
田舎から出れる人はかえって恵まれた人だとしているのもわかる
田舎から出れない人はそこで安住しているのではなく出る能力もないとなる

田舎では本当に資産家であり地位がある人はボスになり住みやすいのである
でも資産家ではない人は地位もない人は住みにくい、その差が目立つから階層社会になりカースト制になりやすいのである、だから公務員とか土建業とかの社長とか農協職員とか銀行員とかは安定した職業である、特に医者などは一番威張っていられる職業なのである前は地主などいたが農家となると今は資産家にはならない
銀行員も最近は貯金しても利子もつかないから田舎でももう安定していない
                        
田舎と都会の差がなくなっても田舎で暮らすとなると階層化されて暮らしにくいとなる
でも都会に出るには資金があったり学歴があったり能力がないと出れないともなる
それは全般的に階層化する格差社会になっているからだともなる
いづれにしろ田舎の階層社会で縛られて生きるのも嫌だとなっても都会にも出れないというのが現実なかもしれない、田舎ではその人にあった職業などわずかである
東京辺りだと多様な職業があり知的な職業もある、田舎にはない、それで最近はニートなど田舎でも必ずいる、親に食わせてもらっているから田舎でも不自由でも自由に生きているという奇妙さがある、実際は自分自身がそうだったのである
田舎では親が資産家だと楽なのである、親の威光で楽できるとなるからだ
階層社会格差社会では親の資産でも地位でも受け継がれるとなるから田舎ではそうなると住みやすいとなる

いづれにしろ人間は二つの世界に住むと豊かになる、田舎だけではそうはならない
都会的なものが必要になる、でも現代は田舎でも都会的になっている
別に隣の市に行けばそれなりのものがそろっている、車があればいつでも行ける
田舎に住む不便はなくなっている、それでもたりないというのは贅沢である
その贅沢が危険になる、過度の富を求めるのは危険なのである
結果として原発事故になったのもそのためである

とにかく金になればいいしかなかったからである、そして際限なく富をもとめ贅沢をもとめた結果なのである
ただ家族がばらばらになっても故郷に住めなくなっても何かそういうふうに反省している人は少ない、原発事故の被害にあった人でも依然として際限ない欲望を追求している
それが悪かったなど反省している人はまれなのである
だから今度は補償金をとれるだけとって楽な暮らしをしようとしかない
何か故郷を復興せせるとかなんとかないのである
それより多額の補償金を得た人は東京とか仙台市に移り住んで帰ってこないのである
それは放射能被害があるということでとがめることもできないのである

つまり一旦贅沢を覚えた人はもう荒廃した故郷を復興させようとかはない
戦後の戦争の引揚者のように開墾して苦労するようなことはしない
ただ補償金をもらい他に移り住めばいいとしかないのである
だから何か復興ははかどらないし無理だとなる、それは時代の影響でそうなった
ともかく都会と田舎の関係も時代によって変わる
コロナウィルスでも変わってくる、東京脱出組が多くなる
ただそれも東京周辺だとなる、そこには意外と田舎的風景があるからだ
東京の通勤圏とかにもある、だから田舎でも東京からあまり離れた所には移らないとなる


posted by 老鶯 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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