2021年02月14日

春の曙、春の山、霞む山(春の俳句十句ー相馬市へ行く)


春の曙、春の山、霞む山(春の俳句十句ー相馬市へ行く)

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遠くに霞む山と海が見える


曙に明星輝き目覚めかな

二階より春の曙我が家かな

広き廊春日のさすや家を継ぐ

春の山一村の墓地ともに眠る

船の行き遠山霞み波ひびく

春光や南へ向かうバイクかな

百輪の椿や往来六号線

城跡のお堀に写る春の雲

松川浦鴎飛びつつ船あまた

昔なれ百間橋や春日没る

急がじや春の夕暮れ我が帰る


春の鴨波紋広がる静けさや細き月しも池に映しぬ




家というのは人間に相当影響する、精神にも影響する、狭い家に住んでいると心まで狭くなる、そもそも日本人の家は狭すぎるからだ、それで茶室が文化になったのである
それは日本人の家がもともと狭いからそれを活かしたものとして文化となった
でも実際は広い家の方がいいのである
その家の広さが人間の精神まで影響するからそうなる
広い家でゆったりしていれば心にも余裕ができる
私の家は土地は最悪である、街で一番低い土地にあり水害にも二回あっているしこの前も水があふれて家に入ってきたからである
家自体は大きいのでゆったりする、二階には広い廊下がある
そこを歩むと気持ちがいいのである
そこから毎日春の曙を見ていると気持いいとなる
家というのは家そのものも価値もあるが景観がいい場所にあると価値が増す
私はそれで喫茶店とかでも景観のいい場所にあるといいとなる
外の景色を見てコーヒー飲むのは価値がある、せせこましいところだと嫌なのである

相馬市は地震で道の駅でも店も休んでいた、商品とか地震で落ちた、相馬市では数軒屋根の瓦に被害があった
どういうわけか南相馬市は震度6強にはなっていない、相馬市と新地はなっていた
それで相馬市に多少被害がでた
ただ今回の被害はわずかだった、死んだ人もいない、だからこうして俳句とか短歌も出せる、これが東日本大震災のようになったらそんなところではない
ただ八沢浦が美しい入江に戻ったというときはひんしゅくをかった
その時実際にそこで死んだ人が結構いたからである
ただ自分としては入江になったことが先になりその風景に驚嘆したのである
それはここが入江だったらなとイメージしていたからである
それが実際そうなったときほど驚いたことがない、奇跡だと見た

浜通りの風景は太平洋が見えて山が見えることである
春となり山が霞む、一方で大平洋が広がり船が見える
岡山から転勤してきた人が瀬戸内海は船が常に行き来しているからいいとか言ったら
こちらの海も広いからいいと言った
つまり瀬戸内海の海をいつも見ているとそうなる
こんなに広い海もいいなとなるのである
人間は同じ場所にいるとその景色にも飽きるのである
人間はその住んでいる場所から見える景色がある、それそれぞれ違った原風景となる

相馬市の城跡のお堀には春の雲が映っていた
それから松川浦に行き小泉川の百間橋を渡り帰ったきた、橋は新しい橋を作り工事中だった、百間橋とは当時は長い橋だったから名付けられた
それだけ長い橋を昔は作ることが難儀だったからである、それで百間橋と名付けられた

夕暮れに溜池に波紋が生じて春の鴨が池にいた
森には細い月が光っていた、自然はこうして調和する、乱れることはないし静けさのうちに暮れてゆく、
ただ地震も自然の作用だとなるがこれだけはあってほしくないものである
天国には海はないというとき海は何か怖いものであり落ち着かないものだからである
ただ浜通りは海が原風景になっている

とにかく今回の地震は怖かった、その余震も大きいのが来た、だからまだ大きなものが来るかもしれない、ただ被害は少なかったからやはり春を楽しむとなる
これが被害が大きかったら楽しむとはならない、それで短歌でも俳句でも出せるとなる
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