2021年02月21日

文系大学学部廃止論はなぜ (原発事故でもコロナウィルスでも文系と理系の対立)


文系大学学部廃止論はなぜ

(原発事故でもコロナウィルスでも文系と理系の対立)


コロナ禍で加速する「理系専門家の教祖化」にダマされてはいけない
https://news.yahoo.co.jp/articles/ffec6ff44a23a7b952ea6d33e3017bce6c47602b


原発事故でもそうだった、放射線量が常に言われた、それは数字なのである
それで武田邦彦氏が年間一ミリシーベルを主張したとき一ミリシーベル男として批判された、つまりすべてが数字で計られる世界が理系である、だから数学がその基礎にある
コロナウィルスではやはり感染者数が毎日発表されてその数字に一喜一哀する
これは共通している、感染者数とかですべてが判断される世界では共通している
でもその数字がごまかされていることもあった
モニタリングポストの放射線量は低くされていた、その下の土を掘って捨てて設置されていた、だからその周りを計ると倍とかなっていた
それは自分で計ったからわかった、自分は文系だけど放射線量を計る機械があり理系でなくても計ることができたのである

文明が生まれたのは数量化すること数値化することである、それで麦の生産高を計る書記が神の様な力をもつようになった、それは官僚が今ではそうである
国の仕事は税金をとりそれを配分することである、それで財務省が一番力をもっている
学者でも予算を出すのはその財務省なのである
その研究が有効なのか価値があるのかを判定するのは研究者ではなく政府てあり官僚なのである
だから科学者が力をもっているようでも実際はその上に政府とか官僚とかがいる
するとその人たちは文系が比較的多い、すると理系より文系が上になるのかとなる

何か似ているのはいろいろな物つくりとか何か作り出すものが理系だとする
でもその理系が経営者として適しているかというと必ずしも適していない
経営者となると社会全体を相手にするし人を雇いモチベーションを与えるとか何かモラルとかとも関係して来る
経営者になるとまた人間そのものも問題にされる、人を使うことは機械やロボットを使うのと違うから複雑になる、それで会社でも必ず派閥争いがある
それは政治の世界でもそうである、つまり何か泥臭い人間の世界である
物を分析したり機械をロボットを作ったりするのとは違った生々しい人間の戦いがある

その人は理系である、一級の免許も持っている、でも技術者として雇われるているときは問題なかった、優秀とされた
でも経営者になったとき事業に失敗した、経営者になることは機械とかばかりに接しているのとも違う、様々な人と交渉したり営業をすることにもなる
それはまた商売にもなる、でもその人は営業とか商売の面で失敗したとなる
それは技術者というだけではない、人間相手でありそれでうまくいかなくなった
他の人でも社長になった人が仲間に裏切られて事業に失敗して原発事故の作業員としてここに来た、そういう人が事業に失敗したような人が原発事故以後かなり来ていたのである経営者になるとそうして人をまとめるということもしないとうまくいかない
利益配分などでももめる、それは戦国時代の殿様とかにもあてはまる
人を指導するとかなると機械だけに接しているのとは相当に違った世界だからである
それで経営者は文系も多いとなるし政治家でも文系が多い

何かどうしても上に立つ人でもただ自分の利益と出世とか地位とかばかり求める人に人はついてゆくのか?それが疑問なのである
その人は経営者だけど他人のために荷物一つを持つことも嫌がっていた
その人はただ経営者となり社長となり偉いとして世間に示すことで経営をはじめたともなる、自分は技術者として優秀だからはじめたが経営者になることは違ったものだった
経営者とは社会のためになることを必要なことを見出して援助することにもなる
そういう謙虚な心も必要である、経営者の人間性も問われる
あんな社長とは一緒にやっていられないというときそうである
その人間性まで問われているのである
雇い人を奴隷のように思っている人がはたして経営者になれるのかとなる
ただそういうことを実行すると雇う人が雇われる人と変わりなくなる
自分自身がそうなったことでもわかる、雇われる人が次々に要求して来る
そうなると自分自身が雇われるていると同じになる

そもそもなぜシャカであれキリストであれ社会の指導者になったのか?

その人は何か理系の専門家だったのか、その人たちがなぜ社会を導くものとしてありえたのか、それはモラルの模範としてあったからだとなる
何か理系として技術者として優れていたからではない、モラルの模範としてありそれが社会を導くものとして歴史的に重要なものとしたのである
モーゼの十戒とかでもそうである、それは法律にもなった
だから法学部とかが検察とか他でも上に立つのが現代だとなる
社会の規範として重んじられたのである

江戸時代はその模範となっていたのが侍だったとしている
でも侍は貧乏だった、庶民と変わらず貧乏だったのである、でも敬われていたのはモラルを示す模範としてあったからである
モラルの模範となる人は自己の欲ばかり追及する人では困るのである
それでシャカは洞窟で悟りを開き何ももっていない、家も家族もなかったのである
キリストも同じである、枕することなしであり寝る場所すらなかったのである
でもそういう人を社会の模範としたのは人間にとってモラルが一番大事だからそうなったそれでヨ−ロッパの大学では神学部と法学部と医学部しかなかった
そこから大学がはじまった、神学部はまさに宗教でありモラルである
法学部もモラルと深く関係している、医学部は今の理系だとなる

原発事故がなぜ起きたかを追求して来たけどそこにもモラルが関係していた
そもそも嘘ついていたからである、「安全神話」などありえないのに権力によって作られたからだ、嘘ついていたということである
もしそれでも安全のために尽力していたらいいとなるが安全のためのコストを省くために安全神話を作った、事故が起こらないとなれば安全のために努力する必要もないからだ
現実にはコストをかけないためにそうしたのである

一旦高い場所に作るのもわざわざ削って低くして作った

十数メートルの津波が来ると科学者が警告していたのに備えなかった

それはコストがかかるからしなかったのである、もしそういう安全の備えをしていたら
責められない、でもただ「安全神話」を作り肝心の安全計ることはせずコストを減らして利益をあげるためにそうしていたのである
不可抗力だとするが津波でも備えなかった、それは金がかかるからしなかったのである
そういう備えもしないのにただ「安全神話」のみ主張されたのである
そして一挙に崩壊したのである
日本のように地震が頻発するような国土に必要なのかとかも議論されない
アメリカでは西海岸には最初原発は作らなかった、地震があり東の方に作っていたのである、アメリカには竜巻がありそれで電源を地下に設置した
それを日本でまねたのも日本がの風土を地震や津波を考慮しなかったからである
でも科学者が十数年後に津波か来ると警告していた、でもまもらなかったのである
それは一見技術的問題のようにで理系の技術者の問題のようで根本的にモラルの問題だった、嘘をつくなという簡単なことを守れ無かったのである
それが御用学者は百万年に一回くらいしか起こる確率がないと言っていたのもそうである専門家がコロナウィルスでも40万人が死ぬとか科学的合理的でない判断をする

核の問題でもそもそも核が人間に必要なのもかどうか?
それが議論されただろうか、そんな危険なものそのものを作るべきではないということも主張されても良かった、でも科学技術は何であれ是認されるのである
そんな危険なものを作ってそれが武器になったらどうするのか
それが広島長崎の原爆となり現実化したからである

そして武田邦彦氏が言うには機械とか物質の研究ばかりしている人は頭が冷たくなるという、それもやはり本人が理系の研究者であり学者だからそう感じたからだろう
つまり人間の情を失うから頭が冷たくなるとなる、もし感情が豊かで愛とか情愛でもそうはならない、心が良心にはじなければそうはならないのである
そして現代は知、情、意があるとき知が巨大化して頭でっかちになり情が喪失した時代である、機械マニアのような人もは必要である
ただそうなると情を失う冷たい人間になる、人間を人間とみない、物体とみて医者なら研究材料にさえみる、現実にそういうことがあったからだ
それで昔せ馬で曲がり屋とかで家の中で飼って一緒に暮らしていた
動物と接することは情が育まれる、機械と違って動物には情が通じるからである
だからペットブームにもなる、現代の社会が情が枯渇しているからそうなったのである

機械化ロボット化数字化がグロ−バルになる、無人駅も増える、何でも機械化ロボット化数字化数値化して計られる、そこにはもう生きた血の通う人間はいなくなる
病院でも機械に囲まれロボットに囲まれて情なき世界で死んでゆく
一つの物体数字として処理される、非人間的世界である、そういう社会がナチスを産んだというのもわかる、人間が人間ともならない、ただ大衆であり群衆であり数字となる

病院で議員すら番号で呼ばれたということに怒ったというのもわかる
つまり人間はもう数字であり番号なのである、選挙なども非人間的なものでありただ数として人間を処理しているだけである、数がどれだけ集めるかが問題になるだけである
それは規模が大きくなりすぎたからそうなる、ギリシャのボリスはせいぜい一万であり
直接投票である、その規模があまりにも違っているのである
だからもう選挙自体機能していないのである

ロボットに機械には情がもてない!

これが致命的なのである、ロボットには感情がもてない、
感情がもてないというとき限りなく悪魔のようにも人間の大量殺戮にもなる
またロボットには愛情ももてないし良心もてないし善悪もない、だからロボットがAIにでも支配されると
冷酷に人間を殺戮することにもなる、そこで良心の呵責とかも感じないからである
そういう恐ろしいSFのような世界が生まれるかもしれない、そして人類は滅亡するとかもありうるのである、科学技術にはそうした恐ろしい危険なものも潜んでいるのである

不思議なのは認知症の人が人間でなくなったのが知能が低下して馬鹿になって人間でなくなったのか?
そのことを介護して考えた、でも感情はある、悲しいかうれしいとか感じる、そして愛も感じる
介護する人が冷たい人とかも感じる、だから感情的なものは通じている、すると知的に低下したが感情は正常であるから人間だとも見るようになょた、そして最後はそのことをわかっていて感謝して死んだのである

明治以降富国強兵で武器を作るために理系が優遇されて研究所ができて国の予算がを与えられた、戦後は高度成長時代になりやはり理系中心主義となった
グロ−バル化で技術競争に勝たねば日本は凋落するということでそうなった
それで文系大学廃止論がでてきたのである
戦争でも理系の学生は学徒動員されなかった、それと同じように文系廃止論がでている
確かに文系は遊びだというのも本当である、別に大学に行かなくても文系だったら勉強できるからである、だからそこに金を投入するのは無駄だとなる

でもコンピュターとかインタ−ネットにITに技術が変化した、これは何か今までのバードな機械とは違うのである、人間の知的なもの頭脳とか関係してくる今までにない技術である、機械翻訳でもそうなように人間の知的な頭脳的なものをアシストして人間の頭脳の代わりをしてくれるのである、こういうものは今までありえないものだった
それでAIの開発が進むと本当に人間の頭脳にもなる、それも人間より優秀なものともなる膨大な情報処理ができるからだ、それで将棋でも膨大な譜面を記憶して対抗できるから
プロの棋士に勝ったのである、でもAIが万能というと万能にはならない
その癖を読み取り弱点を見出して引き分けにしたという、つまり人間の知で対抗できたともなる

ITの世界はハードな物つくりとかの世界とは違う、人間の頭脳とも心とも関係して来る
だからこれは必ずしも理系のものではない、物つくりは機械は理系のものである
でもコンピュターとかインタ−ネットは理系だけのものではない、プログラムを作るのはそうかもしれないがそれを利用するのは文系とも深く関係している
それで私自身がインタ−ネットでまたソフトで膨大な写真とかを変形して作っている抽象画がそうなのである、全然絵の才能がないのに創作しているという不思議である
またコンピュターを使って小説まで作ったというのもそうである

なぜそれができるのかというと膨大な情報にアクセスしてそれを組み立てると創作品になるからだ、私自身が抽象画を作っているのとも似ている
知識でももう天文学のような知識にグロ−バルに拡大した
するとその膨大な知識から結びつけるとか編集するとかするとそれがまた独自の創作品のようになるのである
ただコンピュターが俳句とか短歌を作れないということはやはりコンピュターの限界だとなる
何か科学技術には無限の可能性があり宗教にもなったのが現代である
ただそうみせかけるのでありそうはならないのである、むしろどこかで原発事故とかなにか大きな挫折がくる
それが核戦争のように人類絶滅ともなりうる恐ろしいものである、そういう警告もあり科学技術万能理系のみ必要だというのは問題がある

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posted by 老鶯 at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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