2021年02月26日

震災から十年ー(復興予算は何に使われたか) (復興とは何かー補償金をもらうことだけになった?)


震災から十年ー(復興予算は何に使われたか)

(復興とは何かー補償金をもらうことだけになった?)

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“国民1人あたり25万円” 復興予算はこう使われた
〜人口減少時代の災害復興〜(クローズ゙アップ現代)

インフラに建物や道路などで三分の一くらい使われた



復興とは何なのかというとき町を元の状態にもどす、前よりもいい町にする、創造的復興をするということで国の税金を一人当たり25万円も出した
でも結果的に復興はすすまない、原発避難区域はその補償金で故郷を出て行った
そして立派な家を建てそこで仕事をもち定着して子供も育てている
そうしたらその人たちは故郷には戻らないし復興など関係なくなっているのである

ただ残された親は老人は子供たちに帰って欲しいとなる、元の町にもどしてほしいとなるこうして内部でも心も分断しているし現実生活でも分断してしまったのである
それで復興とは補償金をより多くもらうことであり肝心の町の復興はみんなで一致して考えない
そのことは家族でも子供世代と親世代で分離してしまったことでもわかる
親たちはいくら戻って欲しいとしてももう生活が別々になったのだから帰らない
すると残された親世代は元の町に戻してほしいという切なる願いがあっても
老人だけではもう町自体成り立たないのである
それで少子高齢化であり人口減少が前からありそれも影響したのである
だから老人だけの町、シルバータウンが成り立つのかということである

また子供世代が帰らないとしても残された親世代の老人は帰って元の町にしてほしいとなっても現実に世代間で分断している現実があり修復はもうできないのである
それが外部の人を入れて復興しようとしたがこれもなじめず定着しないというのが多いという、だから国民一人当たり25万円もの復興予算をつぎ込んでも道路とか建物とかは立派になり復興したとなるが肝心のそこに住む人がいないのである

それで奇妙なのは飯館村である、農家でもこしんまりした新しい家が建っているので住んでいるのかとみたら住んでいないのである、それでそれはそこに住んでいた人が時々帰ってくる別荘だという、また施設とか学校でも50億とかかけて立派にしても肝心の生徒は5人でそれも村内には住んでいないのである
おそらくたいがい福島市であれ村の外に出て家を建て住んでいる
テレビでも見たが浪江の人が本宮町にあたらしい家を建てて住んでいる
でも時々浪江に来て自分の家をみたり田畑を見たりしている
でもそういう人はもう浪江町に帰らないのである

そしてもっと補償金をくれ!

これが最大の関心事であったし町自体の復興ということは外部の者がすることであり
そこに住んでいる人たちは補償金をもっともらいその金で仙台市とかに移り成功した人が話題になった、補償金を資本として事業を始めて成功したのである
その人は町の復興とか関係なくなっていたのである
そして親は老人は残されていて帰って欲しいとなっている

補償金をもらった⇒町を出て行く資金となった⇒故郷には帰ってこない

立派な施設や学校や道路は作った⇒肝心の利用する住人がいない

ただでは外に出て行った人を責められるかとなるとそれもできない
なぜなら武田邦彦氏などは十年過ぎて心筋梗塞とか甲状腺ガンが増えていてとてもそこには住めないとしているからだ、ただそれは明確にはなっていない

不思議なのは復興というときもともとそこに住んでいる人が中心になり復興がある
でも肝心の中心になるべき復興の主体となる人たちが流出してしまった
それで復興とは一体何なのかわからなくなった
南相馬市でも小高はやはり三分の一くらいは帰っているとしてもほとんど老人なのであるだから車が街中を通らない、もともと人は街を歩まないにしても車はひっきりなしに通っているからである、それが車が通るのが少ないのである
だから静かなのである

ただ正直自分が何か言うと批判になる、だから最初は復興してもらいたいと思っていたが今は無理だともみる、かえって最初から帰ることをあきらめた人が賢いともされる
見切りをつけて土地が安い時に買って家を建てた
土地の値段が原町とか鹿島とか相馬市とかでも上がったからである
それだけ原発避難区域から移住した人が多いからである
だからいわき市には二万とかの人が移り次々に新しい家を建ててひんしゅくをかったのである

でも十年すぎてインフラとか宮城県とか岩手県でも防潮堤とか建物とか道路は復興した
それで石巻市でも立派な会館を作ったがその維持費が高くなるので困っているとなる
そんな立派な建物が必要だったのかとされている
でもそれは市民の要求だったのである、だから市政が悪いともならない
では維持費を誰が出すのか、市で出すとしたら市民の負担にもなる
国では復興予算は減らすからである、原発事故の国からの援助も十年過ぎて縮小される
その額も大きい、そして医療費でも高速無料化も終わる
それも南相馬市だと30キロ圏内は十年もつづいたのである
でも30キロからはずれた地域は医療費補償でも半年で打ち切られたのである

それで意外と補償金をもらうにしても個々人で差がある、土地とか家をもっていたとか財産があった人は補償が大きくなる、でも浪江の復興住宅に住んでいる人は夜でも電気を消している、相当に苦しい生活をしている、それは意外だったのである
なぜ双葉の人がコンビニ強盗したのか?
これも不可解である、双葉だったらまだ避難解除されていないから確実に補償金が入っているから生活に困るはずがないと見たからである
ただその辺の詳しい事情はわからないけど意外と補償金にしてもそれだけでも生活できない状態になっている人も増えたともなる
外に生活を移してもそうなるとまた金がかかるからである
復興住宅では家賃が今ではとられている、それも負担なのである
その他そうした大きな金が入ると浪費しやすいことである、何か女遊びとかに使ったり浪費した人も多いのである
それでギャンブルに狂った人もいた、仮設に入った人たちは何もすることがないのでパチンコ通いだったのである
それで外から来たボランティアが馬鹿らしいとなったのである
モラル的にも荒廃したのである、被害者自体がそういうふうになっていると外部の人も本気で助けるのかとなる
そしてただ補償金をもっとよこせとか被害者意識のみが残る
すべてが原発事故のせいだとなる、事業に失敗してもそれせ原発事故のせいだとなり責任がないともなる

ともかく南相馬市では国の支援金が縮小される、それは相当に影響する
だから生活保護でも最低限保障されていない、医療費くらいが無料だとかなっている人がいる、生活保護でもそうなっている、それで市の財政も苦しくなっているからそうしているのかともみる
復興というと国民一人25万もの税金を投入しても必ずしも復興にはならなかった、かえってその補償金で自治体が分断されたりした、家族もばらばらになり住むようになった、それは立派な建物であれ施設であれ道路ができたとしても回復しないのである
だから金だけですべて解決するとはならない、かえって金で人の心は分断されたとなる
それで水俣病でも補償金でだめになったというときここも同じなのである
公害になったら終わりだと言っているからである
補償金をもらう闘争が復興であり肝心の町の復興とかはなくなる
だから今は自分はかかわりたくない、ただ南相馬市だと小高もそうなのだから市の財政とかで影響してくる、だから復興してもらいたいとなる

でも復興の主体になるのは誰なのか?

小高の人にとってみれば補償金を多くもらえるのは当然であるとなりそれを言うと怒る
そしてもっと補償金を出せとなる、でももう国でも打ち切りであり市の財政でも苦しくなる、つまり小高区は死にとって負担になってくるのである
そこは老人だけの町だとなれば福祉でも負担が増える、それで介護士がいないので青森の施設に送られているのである
これはここだけではない、限界集落がインフラとかで80倍の負担がかかるからもうつぶした方がいいとか都会の人が言う時もそうである
少子高齢化でもう維持できないからである、するとそういう場所に金をつぎこんでも無駄だとかなり、三陸の津波被害の時、官僚がじいちゃん、ばあちゃんの町に金をつぎこんでも無駄だと言ったのである
そのことは批判されたけど現実問題として何か解決方法がないからそう言ったのである
日本全体が少子高齢化で人口が減り空家が800万軒になるというのも驚きである
そういうことが津波や原発被害地域で極端なものとして現象化したとも見るからである
posted by 老鶯 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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