2021年03月02日

衰退した漁業をテーマにしたドラマ (漁業は衰退して観光とか原発に頼るようになった)


衰退した漁業をテーマにしたドラマ

(漁業は衰退して観光とか原発に頼るようになった)

1970年代には、各国の200海里宣言で漁場が狭まり、遠洋漁業画が打撃を受けました。1980年代後半からは、日本近海の水産資源が減ってきたことなどから、沖合・沿岸漁業の漁獲量も急激に減少しました。

漁獲量も減り、とった魚の値段も上がらず、収入に繋がらないこと、また自然相手の危険で厳しく、そのうえ長時間労働の仕事であることから、特に若い人が漁業から離れていきました。

現在、漁業者は約20万人と過去40年間で3分の1以下に減り、現在働いている漁業者の約30%が65歳以上の高齢者となっています

漁業が最大の生活手段である離島では、人口の減少が問題となっています。例えば長崎県の五島列島では、1960年代に14万人いた人工が、今では半分近くに減り、高校卒業者の約8割は、進学や就職のため島を離れています


漁業もグロ−バル化して衰退した、つまりグロ−バル化経済というのは全般に社会を変えてしまったのである
それが一次産業を駄目にしたのである、漁獲量も減り跡継ぎもいない、それは農業と同じだった、林業でもそうである、カナダとからの外材で家を建てる
すると江戸時代とか戦前は山持ちとかがいて山村でも金持ちがいた
それでこの辺では飯館の大倉で相馬女学校に通っていたという人がいた
親戚の家に寝泊まりして通っていた、相馬女学校は本当に極わずかの人しか入れなかったのである

漁業というとこの辺では相馬市がと漁船も多く盛んに見える、でも相馬港は天然ガスなど輸入する港に震災以後なっている、だから漁港としてあっても漁船以外で船が出入りする港ともなっている、漁業が衰退するとそっちの方が港の主な機能となっているともなる
漁業だけどだとジリ貧になる、もう漁業だけでとか専業ではやっていけない時代である
そしてどうなったのかというとドラマの舞台の伊勢志摩では観光が主要な収入となりリゾート開発が行われた、それで寝屋子として育った子供が観光開発会社の社長となり育った寝屋子の父親と争うようになる
漁業は衰退して観光に重きを置く時代になったのである
そこで観光化することに寝屋子の親は反対するドラマである

これでわかることは漁業を通じて結ばれていた共同体が時代の変化で破壊されてゆく物語でもある、それは農業でも林業でも同じである、グロ−バル化した結果起きたことなのである、その時寝屋子という共同体を維持する風習も壊されてゆく
相馬市の松川浦漁港は大きいが漁港は零細である、そういう零細な漁業でも成り立っていた、それは遠洋漁業とかに変わった、すると地元で魚をとってだけでは暮らしていけないとなる
漁業だけでは暮らしていけないとか原発があった地域でも双葉や大熊でも原町市とかいわき市から離れているから仕事がないともなっていた
それで出稼ぎ地帯になっていて出稼ぎしたくないからと原発を積極的に誘致した
それは漁業関係でも同じである、漁業だけでは生活できないとなっていた

ところが浜通りではこの辺の烏崎村には漁業をしていたがそれも零細である
東北電力の火力発電所ができたとき補償金をもらえた、それで烏崎では景気がいいと高い着物でも売れたのである、また呉服屋が旅行に招待されたりした

日本人の海外渡航自由化は、1964年4月1日のこと。この日に観光に観光目的のパスポートの発行が開始され、1人年1回、海外持ち出し500ドルまでの制限付きで海外への観光旅行が可能となった。

海外渡航の自由化から1週間後の4月8日にJTBが主催した、ハワイ9日間「第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団」の旅行代金は、当時の国家国務員大卒初任給(1万9100円)の19倍という36万4000円。1965年4月10日に出発した「ジャルパック/ヨーロッパ16日間コース」は67万5000円だ。

これらを現在の物価に換算すると、JTBのハワイツアーは400万円、ジャルパックのヨーロッパツアーは700万円に相

このくらいの値段の時烏崎の人は海外旅行していた、ヨ−ロッパにも行っていたことに驚いた、私自身はとても海外旅行は高いから行けないと思っていたのである
それから安くなってみんな行くようになった
この時漁業関係者には補償金が入りさらに原発でも事故前からも多額の補償金が入ったのである、だから二回も大きな金が入ったとなる
実際は零細漁業は一応形だけでは漁業していてもそうした利権にあづかるためにあったのかともみる、だからこそ跡継ぎもいないのである
漁業だけで生活が成り立たないのである

ただその矛盾が原発事故であからさまにされたのである、事故前でもそんなに補償金をもらっているなど知らなかったからだ
それで原発御殿を建てていたというのもそうである
確かにこういう事情があり一概に漁業関係者を批判できないこともわかる
でもここに原発の極端な矛盾が現れたのである

漁業というのはもう漁業をしている形だけでありそれで漁業権を持っていて東電に補償金を要求するために海があったとまでなっていた
それだけ漁業が苦しい状態に追い込まれていたのである
それは農業でも林業でも同じである、それで農業していた子供が親に農業は継ぐなと殴られた、それは苦しいからそうなったのである

寝屋子とは漁業を受け継ぎその土地に生きるものとして自ずと形成された伝統である
それも結局伊勢志摩の場合は観光化してリゾート化してその土地を買い上げられるとかで問題になった、高度成長時代はこうして海外旅行ブームがあり国内の観光ブームが起きた時代だからである
つまり漁業の衰退とともに観光や火力発電所とか原発で補償金をもらうということに生活が変わったのである

ただそれが原発事故でその矛盾が露骨に現れたのである
トリチウムを海に流すなと東電に要求してもそれはまた補償金をもらうための交渉なのかとまで見られる、なぜなら漁業はこのように零細化して生活が成り立たない
ただ形だけが漁業者であり実質は東電からの補償金で成り立っていたからである
要するに魚をとらなくても東電からの補償金で生活がまかなえるとなっているからである事故後もそうである、漁業関係者は生活に困ることはないのである
ただそれは全部ではなく船主などの一部かもしれない、でも漁業組合が交渉する時、やはり補償金をもらうためなのかと見られてしまうのである

だからそもそも東電に漁業権を売りわたすということ自体それが本当にそういう権利があったのかとなる
今になるとこれだけ広範囲に被害があり別に他の人たちは補償されないからである
なぜ漁業組合関係者だけが補償されて安泰なのかとなるからだ
もちろんこのように事情があり言い分はある
ただ漁業権というのは大きな権利でありそれが零細な漁業組合のものになっていることが疑問なのである
水揚げ高でも福島県は宮城県からすると十分の一であり零細なのである
ただ事故が起きなければ問うことはなかった、第一知らなかったからである
だから知らないままで終わっていたのである

ともかく寝屋子という昔からの漁業を成り立たせるための伝統が失われというとき
それは江戸時代から明治から社会が変化して共同体が分解していったのが歴史である
原発事故ではそれが極端化したのである
一挙に限界集落化してもう町や村が消失する危機になった
それも多額の補償金をもらった結果としてグロ−バル化広域化した社会で起きてきたことである、現代の生活はもう一地域で農業や林業や漁業をして生活しているのではない
グロ−バル化であり広域化社会であり一地域でも外部からの人が入り仕事して成り立っている、だから隣の人が何をしているかわからないのが多いのである
それだけ仕事が広域化してグロ−バル化しているからである

昔だったら近くでも何の仕事しているかわかっていた見えていた
今は見えないのである、それで簡単に原発事故で広域化社会で補償金をもらって町や村を復興させるより個々人が家族でも外に出た、仙台市に出て成功した人もいる
だから時代の変化で元のような町や村に復興させることは不可能だとなった
でもこんなに簡単に共同体が崩壊することには驚いたのである
一つの町や村に住んでいても実際は共同体は喪失している
そこで力をもつのは金だとなってしまったのが現代社会なのである
だから市町村でも一時的にありそれも簡単に何かあれば崩壊するという社会なのかとなる代々住んでいてもそれが維持できない、簡単に崩壊するということである
もちろん放射線被害とかあり維持できなくなったということがあってもそういう社会になっているため起きたのかと見るのである



posted by 老鶯 at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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