2021年03月03日

経済の錯覚ー第一次産業から工業化へ (原発事故もその変化で起きた)


経済の錯覚ー第一次産業から工業化へ

(原発事故もその変化で起きた)

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南相馬市の地域特性
https://www.city.minamisoma.lg.jp/material/files/group/3/04_3shou.pdf

経済というとき田舎に住んでいると回りは田畑である、するとそれだけの面積を占めているから農業中心のように未だに見ていることがある
つまり農業となると土地が基本になり土地から生産物を産みだすから土地が広ければ広いほど生産高はあがる
土地が二倍になれば二倍の収穫になり三倍になれば三倍の収穫になる
その土地でも平地があると田畑にしやすいのでいいのである
日本では米がとれる平地が多い場所があって大きな力をもつとなっていた
何万石とかの石高で米がとれる量でその国の力を計っていた

ただそれが戦後の工業化により高度成長時代になると農業の生産にしめる割合が極端に減ったのである、全体の一割とかになっていた、それは地方でも田舎でもそうなのである
でも田舎に住んでいると依然として田畑に囲まれているから農業のしめる割合が多いともみるのである
でも現実は農業に従事して生活している人は一割くらいだとなる
それもこの辺だと梨農家とかトマト農家とか花栽培の農家とが専業農家として成り立っているとなる、米だけでは成り立たなくなったのが農業である
そして田舎でも地方でもみんな会社に勤めている人が多いのである

でも人間はいくら数字で示されても現実と合わないのである
ただ明らかなことは戦前までは養蚕農家が多かった、いたるところ養蚕農家であり
そのために養蚕のために作られた兜型の屋根の家が今でも多く見られるのである
でも養蚕は今はしていないのである
相馬農業学校は養蚕学校から始まったことでもわかる
農業は養蚕が主なものであり絹が輸出産業となっていたからである
でも養蚕とは農業が拡張化したものでありそれも農業だったのである

グラフで見るようにいかに第一次産業の割合が急降下しているからわかる
それでも依然として田舎の風景を見ると田畑に囲まれているから農業が主体なのかとも見てしまうのである
そしてまた漁業は実際は農業よりそのしめる割合はさらに少ない
全体の一割が農業だとすると漁業はまたその十分の一くらいかもしれない
そうなると漁業は確かにこれも漁港はある、でも現実には経済活動の割合では微々たるものだとなる
第一魚にしても必ずしも地元でとれた魚を食べているわけではない、魚でも今ならどこからでも入ってくるからである、そうしてグロ−バル化して広域化した経済で地元のしめる役割りがまた小さくなっていた
ただ魚は活きのいいのがうまいからこの辺では石鰈は贅沢であり年取り魚として大晦日に食べていた贅沢品だったのである

やはり魚。特に「めでたい」に通じるタイが好まれますが、ブリ、サケも人気もので、“東日本ではサケ、西日本ではブリ”といわれるほど「年取り魚」の定番として定着しています。

こういうことが各地でもあった、だから地元で石鰈を食べれるのは漁港があり漁師がいたためであるその恩恵があったということである
ただ高度成長時代になると工業化すると農業もそうだが漁業もさらに遠洋漁業や広域化グロ−バル化で外部からも魚が入ってくるから地元だけで売り買いするものでなくなった
その全体にしめる割合が農業より縮小化していたのである

そこでどうなったのか?

漁業権は残り大きな権利となった

原発に漁業権を売りそれで成り立っていた

漁業だけではもう成り立たなくなっていた、だから後継者もいないのは農業とも同じである、ただ実質では漁業だけでは成り立たなくなっていても漁業権がありそれを東電に売るその方が大きな収入となり原発御殿が建っていたのである
漁業では成り立たない、農業でも成り立たない、後継者もいない、でも東電からの補償金はある、それで十分だとなっていた
グラフで見ればわかるようにそもそも第一次産業は急降下するばかりだったからだ

飯館村でも林業とかで木材やまた石材とかを東京とかに売っていたときは地元にあるものが資源となり村でも成り立っていた、原町機関区はその資材を東京に運ぶために作られた森林鉄道がそこから伸びて葛尾村の落合とかまで通じていたからである
それがグロ−バル化して外国からそうした木材でも資源を輸入するようになったとき衰退したのである
そういう時代の変化があり東電に頼るようになったのである
東電は巨大企業でありその経済にしめる割合も地元では大きなものでありその他は縮小化されたのである

ただこうして工業化して高度成長時代に公害問題が起きた、自然破壊が起きた、水俣病がそうだった、環境破壊の歪(ひずみ)が生まれた
それは日本だけではない世界でも中国でも経済成長すると起きた問題である
原発もまた環境破壊するものだったのである

これまでの経済は第一次産業が主体だった、農業であり林業であり漁業でもそうである
それもグロ−バル化していないから地元にあるものでまかなう経済だった
それはその土地の生態系に基づいてありえたものだったのである
だから公害とかはありえなかった、なぜなら農業でも田んぼでも水が汚染されたらやっていけない、漁業でも海が汚染されたら魚を食べられないからである
貧しくても生態系に基づいて生きるほかなかったのである
そこでは公害は起こりえなかったのである

ただ原発事故ではそうした生態系自体が汚染されると空気まで汚染されると住めなくなった、ということはここあるものをすべて失ったとまでなる
現実に多額の補償金をもらってみんな外に出て残されたのは老人だけだとなる
そしてやがて限界集落のように消滅してゆくとなるからだ
そうした大きなリスクを背負っていたのは原発だったがそれが金になるということで見えなくされていたのである
だから確かに一概に漁業者だけを責めるのは酷だともなる
ただそこに一番矛盾が露見したのである

トリチウムを海に流すなというときそうである、そもそも海で魚をとるということは自治体にしてもその割合が微々たるものになる
松川港にしても漁船は多いにしても現実は火力発電とか天然ガスの供給所とか他にも船が出入りする機能としてあり漁業は縮小化されていたのである
魚にしても現実的には外国からでも他から入ってくる
農業でも米でも外部からいくらでも入ってくるから地元だけに頼るとういことはない
そういうグロ−バル化広域化経済の中でも農業や漁業が縮小化されて東電に頼るになったのである

生業を返せという裁判があった

でもこれもその生業自体では生活できないとなりこの辺では原発に頼っていたのである
生業というとき何なのか?
それは第一次産業になる、その第一次産業のしめる割合が急降下してきた
だからいくら回りが田畑でもその田畑が重要なものでなくなっていたのである
そして次は荒地化した土地はソーラーパネルになった
それも原発に頼るとも似ていた、自然破壊していないようで景観は破壊されている
それで飯館村に風力発電ができると風車を見えないようにしろと川俣村から抗議されているという、飯館村でもそうして自然破壊されてゆくようになった
なぜ川俣村でそういうのか、それは川俣村では元のままでありそこに相当数の人が住んでいる、そうなると風力発電の風車でも見えるのが嫌だと抗議したのである
やはり人がそこに住んでいれば景観を気にするからである
だから人が住まないことは危険になる、人が住まない避難区域は放射性廃棄物の処理場とかソーラーパネル工場とか風力発電地帯とかになりやすいのである

原発事故の最大の被害は生態系が汚染されて住めなくなったことである
この住めないということは最大の被害であった
それで大熊の人だったか家族と故郷に一緒に住めるならロウソクでもいいと言ったことが印象に残ったのである、それは何が幸福なのかを示唆していた
そこまで極端化したことを言わせたことが原発事故がいかに家族でも自治体でも破壊してしまったかを示していたのである






posted by 老鶯 at 20:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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