2008年09月05日

志願兵の話

志願兵の話


若い兵隊が不足していたのか、中学校2年生から進む少年志願兵の制度が出来た。その中でも、少年飛行兵が人気であった。両親にとっては、まだ子供と思われる14歳の少年が、志願してお国の為と兵役に従事した。http://wwwi.netwave.or.jp/~hkangawa/newpage17.htm



同じ病室の隣の人の夫は「オレは志願兵」だと言ったとき驚いた。82才だと言った。南方に本当は満州に行くはずだったが南方の戦線が苦境にありシンガポ−ルとかに派遣されたという、もう一人のばあさんは満州の新京にいたという、電話交換手だった。
この人の話しも多少ボケていてわかりにくいが満州にいたことはまちがいない、ここで戦争に行った人がすでに二人いてもう一人は私の家族だがシンガポ−ルで従軍看護婦をしていて4年もいたからこれもまた特別である。今はただ昏睡状態である。ここですでに三人が外国で暮らした経験ある人がいた。戦争はまだ身近なのである。80代の人は戦争経験者であり兵隊の経験者もまだ長寿社会だから生きているのだ。でも82才と聞いたとき、戦争に行ったと思わなかった。それではいつ戦争に行ったかと聞いたとき18才だった。やはりそんな年かと納得した。志願兵で調べたら14才から行った人もあるから驚きである。この人は通信兵だったから直接戦闘で人を殺すことはなかった。18才ではだからその当時驚く年齢ではない、今でもイラクでもアメリカの志願兵がいてそのくらいの年の人はいる。昔だったら相当大人であった。
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志願兵はそれに意義・意欲・好奇心から志願する。理想主義者も多い。
だが、精神的に早く参ってしまうのも志願兵。厳しい現実、自由の無さ、2度負傷するか任期満了まで帰れない

徴集兵は最初から生きて帰ることしか考えていないから精神的に粘り強い。

志願兵はチヤホヤされる。自分の意思で戦場に来たんだから。意思に関係なく駆り出された徴集兵より扱いはぐんといい。

http://ameblo.jp/quattro-bajiina/entry-10029162578.html
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普通は赤紙一枚でいやいやながら徴集されたと思っていた。徴集兵の方が帰りたい一念で粘り強いというのも人間の心理なのだろうか、彼らは戦争はしたくなかったのだ。だから戦争のために洗脳されたのとは違っていた。当時の雰囲気からして若い人、14才でも軍国日本一色だから思想的にもそうなる人がいても当たり前である。そうならない人こそ特殊だとなる。今でもカルト宗教団体に育った人はそうなりやすい、一方で疑問に思う運動しない人もかなり多い、それは民主主義になり軍国日本一色ではない、他の情報がいくらおさえても入ってくるからである。当時は全く情報が封鎖されて大本営発表しかなかったのである。志願兵でも朝鮮人の志願兵もいた。朝鮮人でも台湾人でも特攻に参加した人がいた。韓国に旅したとき仙台の兵隊の学校にいたという老人かいたのに驚いた。日本語はなんとかまだ話せる、でも外国では余裕がなく話を良く聞くことができなかったのが失敗だった。韓国ではまだ日本語をしゃべる人がかなりいるのだ。韓国の兵隊でも日本人の上司についた人もいる。韓国人に命令されていた下士官もいたのである。こういう点で日本は韓国人を差別的に扱かわなかった。韓国人も台湾人も当時は日本人と一体であり上昇志向があり戦争に参加した。アメリカ人もイラクでは貧乏な青年がそういう動機があり志願兵になっているのとにていた。

この人の話はよくわからないにしても上官にはげしくびんたでなぐられたとか言っていた。これはどこでもあった。上官と下士官は日本では一体感がなく敵対関係にすらあった。それが士気の低下につながり日本が負けた敗因があった。日本が一心同体で戦争したわけではなかった。アメリカの方が士気はあったのだ。


兵隊でも上官は米のご飯ですが、部下はご飯が当たらず、死ぬ兵隊などは米の飯を食いたいといわれた。言葉は、耳の奥にこびりついています。

この頃はニシンが大漁で、浜はごった返しで景気も良く、このまま世話になることは出来ず、私は一足先に赤平の炭鉱に居る伯父を頼って行く。すぐに採用してもらえなくて、組で働き、半年後に本採用になり、家族全員が来て生活をする。

http://anond.hatelabo.jp/keyword/%E5%BF%97%E9%A1%98%E5%85%B5


このことが常に語られているから日本軍ではどこでも同じでありあの戦争は上官への下士官の恨みが尋常でなかったことだけは確かである。ここではさらに炭鉱で働いたことが書いてあり小池の炭鉱で働いた女性と同じ径路をたどっている。

この人は実際に人を殺している。外人をたたせて銃剣でつかされたという、自分も銃剣で胸をかすり傷があったという、普通こんな生々しいことをしゃべらないがこの人はそんなことを考えずしゃべった。よく話がのみこめないが本当なのだろう。普通人を殺すというと怖い、でも戦争は普通に人を殺す場なのである。いづれにしろこの人も戦争の生き証人だったのだ。戦争とはまだ終わっていない生々しいものなのである。特に60代では親から戦争の話を聞く人が多いからまだ遠い昔の話ではないのだ。戦争についての話しも無数にある。今はインタ−ネットでも無数に語られている。でも実際に戦争の生き証人から話を聞けるのだから戦争は書類だけの歴史ではないのだ。そして戦争の真実は本当はわかっていない、それはまだ戦争を生きた人が長寿社会でかなり生きているからだ。その人たちが戦争の真実をかえって見えないようにしている面がある。この人はたまたまわけわからず殺したことを話したが普通はしゃべらないだろう。ボケで戦争の秘密をしゃべったという人もいた。この人もボケてはいないが訳もわからずただしゃべったのである。柳田国男が口碑を重んじたのはそれが生きた歴史を伝えると思っていたからである。郷土史とかでも実際に語られたものにも真実があるのだ。だから親から祖父母から聞く話はみな郷土史であり歴史であるから誰でも郷土史は身近なのである。


植民地朝鮮での志願兵制度
http://www10.ocn.ne.jp/~war/siganheiseido.htm
posted by 老鶯 at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
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