2021年03月10日

原発事故避難区域が復興できないのはなぜ? (基本となる農業、林業、漁業が失われたから―浪江町の人の言ったこと)


原発事故避難区域が復興できないのはなぜ?

(基本となる農業、林業、漁業が失われたから―浪江町の人の言ったこと)


浪江町のことを報道していたけど不思議だったのは浪江町に住んでいる人が語ったことである、その人は電気関係の仕事であり東電でも働いていた
千人くらい東電で働いていたという、そして浪江町が人口二万にもなったのは東電があったからだと言っていた
その人が言うには街中に住んであさだけ寂れた街になっているのに補償金もらって良かった年金代わりにもらって困らないとか何も街がさびれたと感じいないことだった
なぜそうなのかわからなかった
その人は回りの田畑が草ぼうぼうになっても関係ないのである
自分の仕事は電気関係であり別に事故前でも関係ないと見ていたのである
第一漁業とか農業とか林業でも放射性物質に汚染されたけどそれで被害を受けたのは第一次産業の農業、漁業、林業とかだとなる

そこでは農産物でも果物でも魚でも汚染されていると未だに風評被害があるからだ
ところが今の社会はそういう第一次産業を基礎にしていない
すでに全体の経済の割合は一割にもみたないくらいなのである
すると田舎にいてもみんな会社員であり農業とか漁業とかの従事者ではない
だから意外と田畑に囲まれても農業のことを知らない人が多いのである
でも電気関係とかは従事者が多いから収入源だから常にそこには関心がある

別に周りの田畑で農産物でも魚をとれなくても今の社会は外国からでも入ってくるから関心がないのである、金さえあれば世界から入ってくる
魚でも鮭とかマグロでも外国産だったりする
もし地元でしか魚でも農産物でもとれなかったら死活問題となる 
だからその電気工事者は農産物がとれてくても魚がとれなくても事故後も関心がなかったとなる
ただあのような寂れた街に住んでいて別にかえって良かったといっていることは理解できなかった

そして結局復興は何かというとき農業や漁業のことではない、工業のことである
科学技術のことである、そこに復興の未来を見出しているのである
南相馬市ではロボット工場とかであり浪江町だと水素工場ととかである
つまり原発事故は科学技術の故に起きたことであるがまたその復興は科学技術で成されるとなっているのだ
農業や漁業の復興は一応言うにしてもそれが復興につながらないのである

それは事故前からすでに農業漁業林業は主要産業ではないし一割にもみたない割合しか経済でしめていなかったからである
となると一見田舎だと田畑に森に囲まれているからそれが主要なものだと錯覚するのである、でも浪江町の人が言うように回りの田畑が草ぼうぼうの荒地になっても関心がないとまでなる、そして復興とはやはり科学技術なのである
現代人はたとえこれだけの悲惨な原発事故があっても依然として復興するのは未来は科学技術にあると信じている、それは信仰のようにもなっている
いづれは科学技術が解決すると見ているのである

ただ復興というとき私自身が感じたのは、田んぼが再生したときそこに鷺が帰ってきた
また蛙が田んぼにもどってきて盛んに鳴いた時復興を感じた
それは自然がもどった感じたのである、生態系が回復したと感じたのである
田畑は第二の自然だから自然が復興したと感じたのである
でも浪江の電気工事者はそんなことは一切感じないのである
彼にとって重要なことは電気工事者として仕事があり金が入ることであり回りの田畑が草ぼうぼうになっても何も感じないのである

自然保護があるが自然保護は実際は自然の中で生活している自然から糧を得ているとき自ずと自然を大事にする、それは農業でも漁業でも林業でもそうである
森が利用されないと森はかえって維持されななる、人の手が入らないとかえって森は活かされないから荒れるということがある
だから自然保護というのは成り立たないのである、自然の中で人間が生活しているとき自然も人間も活きていたのである

原発事故の深刻さは空気とか水とか土が木でも汚染されたことである
するとここには住めないとなったのである、その打撃を受けたのは生態系に依存する農業とか漁業とかである
ただ一次産業はもともと工業化で重要なものでなくなっていた
だから田舎に住んでいても軽視されていたのである
また農産物でも魚でも広域化してグロ−バル化すると地元でとれなくてもいくらでも外から入ってくる、するとまた地元にとれるものでもなくてもいいとなる
でも地元の生態系を維持しないと空気でも水でも土でも汚染されると住めなくなるのである

もし生活の基礎として第一次産業があり生態系の維持があるときその自治体全体が崩壊するようなことはなかった
つまり第一次産業が生活の基盤になっていれば全体ではなくても根幹となるものが残存して復興ができたとなる
それで漁業関係者が東電に漁業権を売り事故前も多額の補償金をもらっていたし事故後もなんら生活に困らないのである、やはり立派な家を建てているからである
何かこのことに今回の原発事故でも象徴されていたのである
生態系とかが大事にしない、まず金になればいいとなり零細な漁業より東電から補償金もらって暮らした方がいいとなったのである
それは社会構造がそうなったためでありいちがいに全部を漁業関係者の責任だとは言えない、ただそこに一番矛盾が現れたのである
トリチウムを海に流すなと漁業関係者が言ってもそれはまた補償金をつりあげるためなのかと見られてしまうからである

実際に浪江の請戸の船主が病院で特等室に入り新しい家を建てると言っていたからである
現代の社会は科学技術の社会である、科学技術に後れをとったら世界の競争にも勝てないだから高度成長時代は科学技術で日本が優って世界の競争に先んじていたから豊かになったとなる、それで外国に電器製品を売り石油を買ったり外国の物を買うことができた
日本には売る資源がなくても電器製品を売ればいいとなったのである
でもその科学技術に遅れをとるとグロ−バル化の競争に敗れて日本は貧困化しているのである
かといって農業と漁業とか林業とか第一次産業主体の経済には戻れない
でも原発事故でわかったことはこうして生態系を維持していたものが破壊されると住めなくなるということである

もし根幹になる農業とか漁業とか林業でも残っていれば町でも村でも崩壊しないのである実際に江戸時代から戦前までそうして貧乏でも人はその土地でとれるもので生活していたからである、それは貧乏でも町や村に住めなくなるということはなかったのである
でも東電の原発に頼った結果すべてを失ったとまでなる
だから山尾三省があれほど農業に思い入れがありそれが人間の生きることだと価値を見出したことが逆説として今問われている
ただパンが贅沢とかの生活はもうできない、ただその実践してきたものが何だったのか?それは現代の科学技術文明に対するアンチテーゼとなっていたことに気づいたのである

どう考えても町や村ごと崩壊することはない、相馬藩で天明の飢饉でも三分の一の人口が減った、でも田畑が荒地になってもその土地が資本となり越中とかからの移民が入ってきた復興したのである、それは土地を資本としてその土地があったから復興したのである
でも今は基幹となるものが土地ではない、科学技術だから科学技術が崩壊するとその土地全体が崩壊するとまでなったのである
それは大きな社会の変化世界のの変化で起きたことでありすべて地域の責任とも言えないみんなそういう社会で生きているからである
でもこのことはここだけに起きることではない、科学技術文明になると科学技術が崩壊すると自治体も全体が崩壊してしまうとなる実例となったのである

posted by 老鶯 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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