チャンスを逃す人生
(チャンスは時間は取り戻すことはできない)
人間は常にチャンスがある、何かをする時間がある、でもそのチャンスも時間もたちまち消失してゆく
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、コヘレトの言葉
神を知るべき時がある
結婚するべき時がある
学ぶべき時がある
仕事を覚える時がある
成功するにも時がある
体を鍛える時がある
善を成すべき時がある
苦しむ時がある
楽しむ時がある
出会うべき時がある
旅をする時がある
・・・・・・
こうして様々なことするべきとか学ぶべきとかある、でもそのチャンスを逃しているのだだから老人になるとあの時こうしていれば良かった、あの時学んでいれば良かったとか後悔だけになる
それはチャンスとか時間がいくらでもあると見ているからである
でも何かをすべきチャンスが思った以上ないしまた時間もないのである
だから貴重な時間を逃しているのだ、若き時神を知れというときもそうである
神を知るのは経験を積んだ老人が知るのかと思っている
でも最も血気盛んな時神を知れと言っている
これも意外なのである、そしてその時期を過ぎるともう神を知ることが不可能だともなるのだ、これは怖いことだったとふりかえる
神を知るチャンスとか時期は極めて限られているのである
ともかく結婚でも常に親でも娘とかでも婚期を遅れないようにうるさく言うことがわかった、それは婚期もたちまち過ぎる、そうなると女性としての魅力がなくなり結婚できなくなるということを親は経験しているからそういうのである
男でもやはり婚期があり時期がありそれを逃すともう結婚するのはむずかしくなる
今は何かニートとかまた結婚しない人が氷河期世代とかあり多くなった
その人たちは40とかすぎてゆくと結婚はむずかしくなる
男性でも二十代から30代までが限度だとなるからだ
つまり時間が過ぎてゆくのが思った以上早いのである
人間は何か良いことを善を積もうとしてもその時間がなくなる、ささいなことでも何か善いことをして他者のためにしてみる、そういう時間もなくなる
結局何もせず善を積まずに終わる
何か駅で案内のボランティアをしたけどこれもたまたま駅が無人化して頼まれてしていたそれもまたできなくなった、コロナウィルスで接触しにくくなったからである
だからその時認められなくても何か駅のことで経験したから良かったとなる
つまり何かささいなことでも人はチャンスを逃している
何かすべきことをしないで終わっている
親のことでも親はいつか死ぬ、別れる、すると介護でも苦しいのだけど十分にしていたらなと死んでからふりかえる人がまた多いのである
なぜそうなるのか?それは二度と親でも死んで逢えなくなるからである
それで冷たくしたりすると後悔することになるので介護の問題は難しいのである
この世に出会うということそれは親ですら短いものとなり遂には永遠に合わないともなるすると逢っていた一緒に暮らした時間が貴重だったとなる
たたこれはあらゆることに言える、人間はチャンスも時間でも限られたものしか与えられていないのである
だからこの世で一番無駄にしているのはチャンスと時間である
誰にでもチャンスがある、ただそれを逃しているだけなのである
第一それがチャンスだともわからないことも多いのである
もしこれはかけがえのない人生には二度とないチャンスだと思ったら後悔などないからである
今勉強しなければ後は時間がなくなるとかも思わないのである
こうしてチャンスでも時間でも消失してゆく
そして老人になり誰でも後悔しているのである
それはチャンスとか時間がいくらでもあると思うからである
でも青春などはたちまち夢のように過ぎてしまうのである
そうしてみんな愕然としているのである
一番の後悔は時間を活用しなかった、チャンスを活かせなかったことなのである
そして時間は平等に与えられている、そこに差別はない、ただ貧富の差でチャンスがある人とない人がある、留学となると金がかかるから金持ちしかそのチャンスが与えられないということはある
でも留学だけが人生ではない、他にもいくらでも経験すること学ぶことがあるからその方でもチャンスは与えられている、時間も与えられている
ただなんでもそれを活かすことができないのである
何かを常に活かそうとしていればそうはならないのである
人間は必ず時間を無駄にしている、活かしていないからである
不思議なのは泥棒であれ悪を成すにもチャンスがある、悪事を働くチャンスをうかがう
それも偶然ではなく目的があってする場合、虎視眈々とねらっているとなる
また動物だと獲物を常に虎視眈々と狙っている、それは真剣そのものである
しかし人間そのように虎視眈々とチャンスをねらっていない
何か平々凡々としまりなく時間がただ無意味に過ぎてゆくのである
そこでチャンスがあってもチャンスを逃すのである、動物は獲物を得るチャンスを逃すと餓えて死ぬことがある、だから真剣だとなる
そうなるのは獲物を貯えることができないからである
日々の獲物をねらって食べるほかない、すると日々虎視眈々と獲物をねらうことになる
そこにチャンスを逃すまえという緊張感が生まれている
人間は何かそういうふうに日々生きていない、別に食べるものがすぐなくなったりしないからである、そして日々緊張感もなく生きているとなる
ただ動物のようになっていたら何かまた絶えず獲物をとるために追われて疲れるともなる
とにかく動物はこうして日々獲物をとるチャンスをうかがっている
でも人間はそんなふうにしてチャンスをとらえようとはしていない
要するに千載一遇のチャンスがあってもそのチャンスを逃す、それはチャンスと見ないからである、そして二度とそのチャンスはなくなる
つまり明日またチャンスがあるとして逃しているのである
でもその明日は遂にこなくなるのもまた早いのである
だから求道でも早い時期からしないとできない、老人になって悟るとかは別である
それで若きうち神を知れとなる、でも若いうちは飲めや歌いやとか享楽に走る
また性欲のために費やされる、そのうちたちまちに老いてしまうのである
40になったら白髪がでてきておっさんとか言われるのである
女性でもその美貌もまた衰えてゆくのが早いのである
例えば料理でもこれが経験していれば家族が失ってもできる
でも全然経験しないとできない、第一買い物が結構むずかしいのである
十年くらい一人でしていても買い物がわからないのである
何を買っていいのかわからない、そして料理もできないとなる
それだけ料理できるようになるには時間がかかるのである
そういう経験をしていればこうはならなかったのである
ただこうしてパソコンで文章を書けるのは親指シフトを経験しているからできる
パソコンだってこれを使いこなすにはそれだけの時間が必要になる
結局何でもある程度経験していれば身につくから一から始めたらできない
老人になればもう何か新しいことができても苦しいとなるのである
世間的なことでも株などは若い時にするべきものだったのである、額は少額でも訓練していれば良かったのである、それが60以上とか70以上になってやるというのはリスクになる、株は十年単位で見れば必ず下がっていてもあがる、また上がっても必ず下がるという規則のようなものがあるからだ、すると10年くらい放っておいてもいいやとかなり様子を見ていると上がるのである、だから本当にリーマンショックの時半分に下落した株をもっていたら二倍のもうけになった
それと最近でも株が下がった時買わないかと来た時買っていればこれもこんなに高くなるとは思わなかったから失敗だった
それは自分自身で株の経験がないから銀行の営業の人にまかせたから失敗だったとなる
もし若い時株をしていたら経験しているからもうけられるということがあったからだ
ただそういう経験していないから銀行でも他人まかせになったから失敗したとなる
こうして何か経験していないことをすることはリスクになる
他人まかせでは成功しないのである、株でも経験する時があったとなる
何かする時があったが逃していたともなる、それはあらゆることに言えるのである
その最たるものが神を知ることを逃していることでわかる
こうして人間は何か成すべき時に成さない、それが後で失敗の元となる
結局何かを成すべき時が限られている、チャンスも限られている
だから様々なこと時間でも無駄にしてチャンスもものにできないのである
日々緊張感をもってチャンスでもものにしようとして時間を有益に使うという心構えがあったらこうはならなかったのである、それはただみんな最後は後悔しない人は一人もいない、そのことがわかるのは遂に死ぬときだとなる
それが否が応でも思い知らされるのである
死ぬことを老人になってから考えて遅いのである、若き時に死は何なのか知らねばならない、人間はいくらでも親でも他人でも死に接している、すると死のことを一番恐怖するからである、もう老人になると同世代でも日常的に死んでゆく
そして永遠に逢わなくなってしまうのである
死ぬにも時があるというとき人間は死ぬべき時でもだらだらと生き続ける
それが何かいいようでかえって苦しみをもたらしている
人間は死ぬべき時に死なない、現代は長生きになりそうなりやすい、死ねない時代だとなる、それはかえって無益に生かされているから若い人に早く死ねとか言われる
ただ百才まで生きても意味ある生はある、ただ無用化して廃人のようになっても生きている人がいる、それは迷惑だとなってしまう
だから婚期を逃すと同じく死期を逃したともなる、それは本人にとっても周りの者にとってもいいものではない、それぞれの人生が立場があり一概には言えないがやはり死期というのもある、その時を逃すとまたかえって苦しむだけだとなる
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