2021年04月06日

山桜咲く大原から高倉を回る (生業もなく活気がなく空家が増える山村)


山桜咲く大原から高倉を回る

(生業もなく活気がなく空家が増える山村)

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双子山とかなる

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山桜が結構咲いている

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春来るも前田に空家ここに住む人は死ににき墓はあれども

病院に空家となりし家のことしきりに言いし人は死ににき

山桜錦となすも大原や前田に後継ぐ人なし淋し

清らかに山より水の流れ来て二輪草ここに咲きしも奥の道行く


大原の前田に私立病院で同室だった人がいた、それはS氏である、その病室からは大原の方が見えた、一か月暇でありその大原のことをその人は語った
ただその人は一人で住んでいたのである、息子夫婦はいても住んでいなかったのである
市内に移り住んだからである、それで死んだ後のことはなにかやと話ししていたみたいである
そして心配していたのは飼っていた猫のことだったのである

前田という地名はそこに草分けの人が住みそこから大原村の中心になった
なぜなら現実に大原からさらに橲原の方に上る道の脇に田が隠されるようにありそこが遠田となっているからだ、だからS氏の住んでいた前田は村の中心だったともなる

病院で知り合った人は大原の墓地に眠っている、その通りに空家がまたある
それが煉瓦の風呂があり何かそこは不気味である、幽霊屋敷のようになって残っているからだ、ただ煉瓦の風呂を作っているということはそれは自慢できるものだった
その風呂は家の中にはない、外風呂である、便所も外である
水道もなく水洗トイレがないときはみんな外風呂だったり外の便所であった

そして自分の家でも風呂は父親が手造りしたものだったのである
外風呂であり桶の様な風呂だった、鉄砲風呂であり上から材木屋でのいらなくなった木材の切れ端をもらって新聞紙で燃やしていた
それが自分の仕事だったのである
現実に自分自身がそういう暮らしをしていたのである、ただ子供の時だから記憶が薄れてしまった、炭を使い囲炉裏もあった、それは街中で暮らしていてもそうだった
だからそういう暮らしがあったということが不思議になる
山村でも農村の生活でもそれと同じだったのである
そういう生活は貧しくても金はかからない、金をかけることもできないからそれで生活が一応なりたち飯館村だって一万人も住んでいたときがあった
だからそういうことが信じられないとなる
人間はそういう場所でも実際に今より多くの人が生活していたのである

何か空家が目立つ、ここだけではない、街からちょっとはずれた所でも空家が目立つ
おそらく農業していたのだけどやめた家かもしれない、というのは家の隣に御堂があたりするからだ、御堂は実は縁側があり中でもみんな集まる場所であり公会堂のようになっていた、それは農村社会ではそこが中心となり共同するものとしてあった
ただ農村社会でもそれが壊れて過疎化すると捨てられて廃墟化してゆく
それが大規模になったのが原発事故の避難区域である、空家だらけだからである
ただ農村とか山村の過疎化がありそれが日本では進行してゆく
ここでも原発事故以降山の小規模の農家は田畑を放棄して草ぼうぼうになっている
そこにソーラーパネルを置かれる

大原村の隣の大谷村でも八坂神社があり薬師堂があるがそこでちょっと話した人の家は壊されていた、その人はすでに市内に移り住んでいたのである
何か八坂神社もまた多い、これは疫病を防ぐものとして建てられたとかともいう
その隣に薬師堂があったからだ、ただ薬師堂が村の中心になっているのは病気を治すめたに祈る場所としてあったからである、病気になったらこうして祈るほかなかったからである

それから山間の道を行き高倉のハートランドはらまちに行った、そこは閉鎖状態であり一部バンガローが壊れていた、あそこはあまり利用されずじまいだったのか
震災以後は放置されてしまったのか、一人何かそこに外部から来た人がいた
その人と駅であった、そしたら詳しく南相馬市の神社のことを研究していたのである
その人が今住んでいるかどうかもわからない、第一ハートランド原町は長らく休園しているからだ
こうして何か山村には活気がなく生業(なりわい)も廃れている
そもそも農業だけをしている人は少なくなっていた
でも今の状態より田んぼで田植えしたり稲刈りしたり生業があって一応農村の形があったそれが震災以後は荒地化してしまったのである

南相馬市農業農村活性化施設に係る対応方針
https://www.city.minamisoma.lg.jp/material/files/group/34/7644-3.pdf

高倉に関してはあそこはあまり場所がいいとはいえない、高倉ダムがあり行きどまりになっている、広い土地もない、飯館村だと広い土地がありそこだと山村の空気に今でもふれることができる、ただそこも震災以降は荒地となり人は住んでいない、時々そこに住んでいた人がなつかしんで新しく建てたこじんまりとして家を別荘として利用しているだけなのである、そこにはもう生業(なりわい)がない、何か生業が形だけでもあればやはり活きた村となる、でも人も住んでいない生業もないというときそこは死んだ村になってしまったのである、ただ家があり住んでいる人は大原とかにもいるから原発避難区域とは違っている

とにかくあのように山桜が身近に咲いている、それが山に暮らす人の錦だけども人が住んでいないとなると生業もないとすると村自体が何か活気がないとなる
それから鹿島区の川子の原町火力発電所石炭灰埋立場への道を下るところで知っている人がゼンマイをとっていたのである、そんなところでゼンマイをとれるのかと意外だった、かなりの量をとっていた、ゼンマイは山の方にあると思っていた
そこはゼンマイが集中してあったのである、その人はもともと仕事しないニートである
自転車にのっているから合っていたのである、何か自転車に乗る人は仲間になりやすいのである
奇妙なのはその仕事もしないニートが山菜とりをしている、それがまさに生業だとなる
他にもコゴミとか山に入ってとっている、これも料理するのがめんどうだけどその人はしている、田舎ではセリとか野草でもとる人が女性ではいた、ただ放射性物質で汚染されてからとらなくなったのである、それが飯館村では一番打撃だった
つまり山菜料理が定番になっていたからである、その暮らしが奪われたことも大きな損失だったのである

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