2021年04月15日

朝桜、春の草、里の春、牛と春草 (春の日に原町を自転車で回る―俳句十句)


朝桜、春の草、里の春、牛と春草

(春の日に原町を自転車で回る―俳句十句)

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雨しとと残る花散る常の道

朝桜車行き交い六号線

朝桜映えて海見ゆ鳥の飛ぶ

蝶一つ紋あざやかに目の前に

チューリップ原町の通り店多し

山桜そちこち映えて風の鳴る

(牛)

牛のいて春の草食(は)う木の根っこ

タンポポや牛草を食(は)うゆっくりと

菜の花や外に放ちぬ牛二頭

草を食む牛の二頭や春深む


春耕や街の郊外広しかな

春草や家新しく畑かな

牛のいてニワトリも鳴く里の春

昨日はちょっと雨だった、すでに近くの桜はほぼ散った、それで余花になる
川子の坂で山鳩が猫に襲われていた、その時自分が来たので猫は逃げた
山鳩は血を流していた、猫は結構鳥を襲う、鳥もねらわれているのがわからない
これも残酷だともなる、ただ鳩をなぜかエジプトで食べている
日本人が好物だというのも不思議だった
外国通の人が増えたからそうなる
鳥は飛べなくなったらもう死ぬほかない、敵から逃げることもできないし餌をとることもできない
人間も実際は人間としての機能を発揮できなくなったら死ぬほかないともなる
ただ人間の場合は簡単に動物のように見れないから問題なのである

原町というと何か何度言っているけど相馬市とは違う感じなのである
モダンな近代的都市となる、ただ今日チューリップの写真をとった通りは昔の浜街道なのである、現代の通りは六号線の方に移っている
でもそれなりに店はある、でもやはり六号線に道の駅がありそこに行くとなる
原町にはどうしても買い物に行く

前に写真にとった、牛二頭がいた、郊外であり前は寝そべっていた
今回は草を食んでいた、何か牛を見るとどっしりとして安定した感じになる
何か自分の牛の詩がずいぶん読まれていることが不思議である
光太郎の牛の詩として読んでいたのである

牛二頭寝そべり静か秋深む

こんな句を作ったと思う

何か動物でも身近にいるとそれが精神に影響する、牛を見ていると人間自体もどっしりとしたものになる、だから動物と身近に接していた時代は人間は動物化した
動物の面をかぶんたり動作をまねたり踊ったりして動物と一体化するのである
だからニワトリでも籠に飼われて卵を産むロボットにされるときそれはまた人間もロボット化されるのである
そこに自然な生はなく動物はそれぞれの天性をもったものを活かせないとなる

とにかく原町の郊外は広い、だから街も広いが田畑も広いとなる
それで前は5万くらいの人口があった、土地にそれだけ余裕があるからだ
原町くらいだと一人暮らしでも楽である、便利なものが一通りそろっているからだ
ここでは弁当屋もなくなったから食事を作るのがめんどうなのである
ただ原町まで自転車で近いからいいのである
今はみんな車で行くけど自分は車がないから困るのである
ただ自転車者は自然ととけこむのである
まず車だと風を感じない、春風でも感じない、すると自然を感じないのである
その差も大きい、ただ目的地に行くのには車がいいとなる

丸森まで行ってなにか今回異常に疲れた、4,5日過ぎても筋肉が痛く疲れていた
だから年齢的にかなり自転車で行くのが苦しくなったともなる
運動した後に二三日過ぎてからでも筋肉が痛くなったり疲れるのである

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