八重桜、牡丹、赤い百合(庭と家の花)
母と子と八重桜見るその道を今日も我行く心あたたむ
桜散るあとにほのぼの八重桜母と子の連れ立ち見るかな
今朝見れば牡丹は散りぬ早きかな栄一時風のうなりぬ
散る牡丹残る花びら今朝見えてまもなく散らむ風の唸れる
我が庭に輝き映えしは一時や牡丹は散りぬ夢のごとくに
五六輪赤き百合咲く我が居間に匂いは満ちて家を継ぐかも
飛び交いぬ燕にあれや小さなる街の行き来や我は忙し
庭に咲くタンポポやはや綿毛飛びまた他にそ種を運びぬ
母の思い出の赤い百合
https://ameblo.jp/teddypapa/entry-12441751163.html
ここではこの赤い百合から母を偲んでいる
こうして死んだ人でも偲ばれる時、何かその人はなお生きている
ところが肉親だろうがなんだろうが全く偲ばれない人がいるのだ
それは肉親でもそうなのである、迷惑ばかりかけたとか親を恨んでいる人がいるからだ
そういう人は肉親でも死んだ偲ばれないのである
そうなると死者も浮かばれないとなるがそれは自己責任だったとなる
何か後世に後のものに何も残さなかった、というより不快なものとしてあり思い出したくないとなっている
百合というと白だと見ていた、こんな赤い百合があるとは思わなかった
これは匂わないと言うが結構匂っている
こういう大きな花にはやはり大きな家が広間があると映える
庭の牡丹は今朝見たら散った、花びらが残っていたが散った
そして今日も風が朝から唸り吹いている
この家を作ったのは父であり次に継いだのが姉ともなっていた
姉は気丈夫でこの家をもりたてたとなる、だからその時輝いていたのだ
それも80年とか戦前から家にいても死んだら呆気なかった
でもこの家に姉は輝いていたのだ
つまり人間は栄えるのも一時である、女性でも輝いているのは一時なのである
タンポポでも庭に咲いたが綿毛となり飛び他に移って咲く、常にこのように自然でもとどまらない、移ってゆく、ある所が栄えてもそれも一時であり他に移るのである
ともかく今日はまた朝から風が強い、そして結構寒くなっている
季節は移っている、桜が散り八重桜が咲きそこに母と子がいた
八重桜を母が示して幼子がいた、何がそこに平和を感じた
こういう光景が原発避難区域にない、子供がいないからだ、いるのは老人だけだとなる
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