2021年06月02日

なぜメデアがマスコミが問題になるのか? (メデアは仲介するものー直接に聞いて見た情報でないから)


なぜメデアがマスコミが問題になるのか?

(メデアは仲介するものー直接に聞いて見た情報でないから)

massmedia111.jpg

メデアとは仲介するものでありメデュウムというとき中立という意味になる
メデアというとき何か人づてに聞くうわさ話とかもそうである
ある人を通してそれを聞くからである、直接話を当人から聞いているわけではないから
それを全部うのみにすると間違いやすい、それで噂話しは尾ひれが必ずついてだんだん
ありもしないことが大きなものとして広まる
ということは個々人でも媒介する仲介する人となるからである

またメデアというとき何か銀行とかがメデアとも見なかったが
やはり仲介するものだからメデアだとしている
それで銀行の営業を通して株とか投資信託とかを頼んだこと自体があくまでも仲介者する人を頼んだので失敗したともなる
なぜならその銀行であれ証券会社であれあくまでも仲介者であり直接株式に投資するというのではないからである

だから仲介者に手数料がとられる、そこで銀行であれ営業の人はまず手数料をどれだけ多くとるかということしか考えない
それで転売を常にすすめるのである、売ったり買ったりさせるたびに手数料が入るからである、そもそも長期間で株はみないともうからない、でもそうなると銀行であれ証券会社であれ手数料がとれないから転売させるのである
リーマンショックの八年前の株が元にもどり上がった時、その金をJ=REITに回したのもそのためである、それ以来銀行の営業の人を信じられなくなった
ただ仲介してくれるのだから手数料はとられる
そもそも株式市場に参入するには仲介者がいなかったら素人はできない
だからその仲介する者によって左右されてしまうのである

今クラウドファンディングが普及して来た、クラウドとは群衆のことである
なかなか長距離の折り畳みの自転車がない、でもそれが欲しいという人が多くなる
群衆化するとそういう人がそういう自転車を作る人たちに直接投資する
するとそういうことは銀行から金を借りてしていたのだが直接投資になる
それでメデアを介さない生産する者と消費する者とは直接結びつく手法がインタ−ネットで生まれたとなる
銀行に金を借りる必要がないからである、そこでメデアとなる仲介者の役割が喪失して
銀行の役割りがなくなる、投資先も金を借りてくれる先がなくなる
そういうことで銀行は窮地にたたされる

マスメデアとかマスコミはメデアでありそれがマスメデアとなる
そもそもあらゆるニュースはマスメデアによってマスコミによって報道される
個々人が伝達者ではない、でもそれも仲介者だからフェクニュースとかでも広まる
マスコミでマスメデアでとりあげるとそれが個人の噂の伝達より巨大な力をもつから
第三の権力までなった
何か現代社会はこうして仲介するものが大きな力をもった時代である
それは社会が村単位とかではない狭い単位ではない大きな単位になったからとても情報でもメデアを仲介するものがないと伝えられないからである
だから報道の役割か大きくなった、でもそこでマスメデアがマスコミが大きな権力をもつことになったのである
とにかく個々人でも直接接して聞いた情報ではない、仲介者の意のままにも報道される情報なのである
会社が宣伝費を払いマスコミにマスメデアに商品を宣伝してもらう、その媒介となるのがメデアだとなる、だから金をくれる会社の悪いことは言わないとなる

それで商品でも消費者が直接その商品を評価するときはマスコミでもマスメデアでも介さないからかえって的を得ている、信用できるとなる
例えは電器の量販店でも消費者が欲しいものを売るのではない、その店で売りたいものを売るとういことがある、店もやはりメデアであり、商品を売るメデアだともなる
だから常にこうしてメデアによって曲げられる社会にもなっていた
消費者は弱い立場になっていたのである

とにかくこの世で直接の知り合いとか直接に逢って話しして得られ情報は限られている
その他の膨大な情報は何かメデアを通して得られたものだとなる
だからマスコミとかマスメデアを通してしか情報を得られないとしたらメデアが大きな力を持つことになった
ある人が意見を言うにしてもメデアをマスメデアをマスコミを通して言う時、これも歪曲されるのである
仲介するものが無色透明でもない、中立でもない、会社から宣伝費をもらっているとき
その宣伝する会社の商品を悪くは言えないのである

なぜ民主主義がなりたたくなっているのか?
それは民主主義といっても一万くらいのギリシャのポリスで行われていたのである
それは直接民主主義であり顔も知っているしどういう人かも人づてではなく身近に接している人の間で行われていた、それが何百万票とか何十万票とかになるともうその人個人がどういう人なのかわからない、人づてに聞くだけである
だからその票になるまとまった人数が投票してくれる組織団体があって決まるとなる
個々人より自民党とか公明党とか立件民主党とか共産党とか党に投票している
個々人がどういう人なのかなどわからないし個々人の票は無力なのである

それは利権団体民主主義になる、小選挙区制だと余計にそうなったのである
狭い範囲なら個々人のことを知っていたからその個人に投票していた
もう現代のように規模が大きくなると個人は何の力もない、むしろやはりマスメデアとかマスコミが媒介して伝えるものが大きな力をもった
第一名前すら知らないとなり芸能人が参議院議員でトップ当選していたのもわかる
それはマスコミでマスメデアで一番名の知れた人だったからである
それで東京都知事になった青島とかは俺は選挙運動しないと言って選挙運動もしなかったが当選してきたのである、それはマスコミのマスメデアの力でありその人に何かできる能力などなかったのである

いづれにしろ村単位の社会からグロ−バル化社会になると情報に左右される
それを左右するのはマスメデアでありマスコミでありそうなるとNHKがあれだけ力をもったのはまるで神殿で信託を述べるような聖職者ともなる
何かマスコミが重大なことでも決めるとなってしまう、宣託するものがマスコミだともなった時代であった
それでNHKを常に批判している武田邦彦氏がNHKの人はいかにも善人のような顔している
でも実際は違うといういう、確かにラジオの時代は顔が出ないから顔で判断できなかったテレビがは顔が出るから何か悪人に見える顔とか美人でないと出せないともなる
見映えが良くないと出せないとなってラジオで人気だったNHKのニュース番組に出ていた人がやめさせられたということがずっと前にあった
どうしても顔が出ると顔から判断するからそうなったのである

その結果として映像が大きな力をもつようになった、そのテレビの映像でも真実を伝えるものではなくフェクニュースをマスコミでも作って問題になった
油まみれの海鳥が世界に放送されたときイラクは悪者にされて世界に伝えられたのであるそれほどの影響力をマスコミがもった、それは誰も世界となると現実に接することもできない、その当事者から直接聞くこともできないからそうなる
世界が拡大するとかえってフェクニュースでも真実になりやすいのである
そもそも嘘なのか真実なのか確かめようがないからである
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/188725137
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック