2021年06月09日

グロ−バル化ボーダレス社会で歪めれた世界 (その土地土地の生態系が無視されて文化が生まれない)


グロ−バル化ボーダレス社会で歪めれた世界

(その土地土地の生態系が無視されて文化が生まれない)

自立を目指すということは境界線を閉ざすとういことではなく、それをうまく管理することである、各地域社会は各地域内の生命の営みの調和と一貫性を損なうことなく互いの境界線を介して交換活動を行う能力をもたなねばならない


健全な生活と地域社会と人間の幸福には「場所」と境界線が不可欠だという認識だ
そしてその認識が今度は多様性を賞賛し、人間と地球の利益のための国際協力を支持すると同時に、地方の独立性を守ろうとする新しい「建設的ローカリズム」を生み出している
(  ポスト大企業の世界ー貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へーデビット・コーテン)

●自然の境界としての生態系の境界

●人為的人工的歴史的境界

●二つ合わせた境界

グローバル社会とかはボーダレス社会をめざした、境界を廃止することを目指した
多国籍企業となると境界があると障害になるから廃止されるのがいいのである
多国籍企業とはその土地とか風土とか国土とかを無視する、それが障害になるからである工業化すると国土とかとは関係なくなる、国土は無視されるのである
電気でも原発を地域に作る時、その土地のことは生態系などは考慮しない
一旦事故になったら空気、水、土、森とかが放射性物質に汚染されて住めなくなった
それはその土地の自然や風土の生態系を無視して作られたからである
つまりその土地の生態系など無視して破壊してしまうのである

グロ−バル化がなぜ危険なのか、それは人間も生態系の中でしか生きられないからである生態系を無視して生きられないのである、そして生態系にはそれぞれの土地に国土にあり境界がもうけられていた、それでコロナウィルスでもウィルスが風土病と言われたようにその土地特有のものとして生まれていた
それでもそのウィルスはその土地内でとどまっていた、でもグロ−バルにボーダレスになりたちまち世界に広まったとなる、人から人へと伝染するから人の流れが無制限になればボーダレス社会になればとめることができない
江戸時代でもコレラが長崎から入り日本中に広まったことでもわかる
それだけ伝染力があるのがウィルスである、でも全く秘境として閉ざされていた桧枝岐とかは伝染をまねがれた、城のある会津の城下は蔓延したのである

人間はその土地土地の生態系の産物だともなる、食料もそうであるが人間も生態系から離れてありえないのである
人間の体そのものがその土地土地の生態系から長い時間をかけて作られてきている
なぜ日本人に糖尿病とか前立腺癌とか他の癌でも増えたのか?
それは欧米型の食事になったことが影響している
そもそも体の構造が欧米人とアジア人とか日本人では違っているからだ
欧米人は余分な糖分を脂肪に買えるとかりそれで太っているとか肉を消化する酵素がでるとかある、アジア人に日本人にはそうした体の機能が備わっていないのである
日本人はもともとやせている人が多かった、太る人が増えたのはやはり食の影響である
痩せる体質でも食の影響で栄養をとりすぎると太るからである
それが何らかの病気をひきおこしている、食べるものが人間の体を作るからである
つまり人間も生態系の産物だとなる
日本人はもともと肉食はわずかしかしていなかった、でも明治維新後外国にまねてに肉食が増えてきた、それが影響して体でも心まで影響されたともなる

これは体とかの問題としても現れた、精神的問題としては国々の文化が破壊されて喪失したともなる、文化はcultureでありculitivateから来ている、その土地を耕すことから生まれている、その土地土地に根ざしたものが文化なのである
それはその土地土地を耕すことで長い時間をかけて育成されてきた、ヨ−ロッパてもワインでもその土地の名がついていてそれぞれ別な味を作ってきた
それは日本でも同じである、農産物でも果物でも味が違ってくる
それはその風土から土地から育成され作られるからである
外国で河があれほど重要なものとなりヒンズー教でガンジス河が聖なるものとなったのもそうである,河が生態系として風土として国を作ってきたともなるからだ
それで日本ではそうした大河がないから外国を基本的な所で理解できないとなっている
父なるラインとかエジプト文明はナイル河の賜物とかが理解できないのである
日本はむしろ山の国であり海の国だからそうなる

グロ−バル化とかボーダレス社会は人間の多様性を失う統一された規格品を作り売るのにはいいが多様性である文化は失われる
それが様々に影響したのが現代だとなる、コロナウィルスもこんなに急速に広まったのもそうである、日本人に欧米人と同じ病気が増加したのもそうである
食べもの自体がそれぞれの国の文化の基本となっていたからである
その食べ物の影響で日本人は欧米人と同じになり病気も同じく増えたともなる
それで世界から和食が見直されるのもわかる、和食は健康的なものだったとして見直されたからである

ヨ−ロッパはエジプト文明とかペルシャ文明とか中国文明と違って多様性がある
その源でありギリシャでもその国土が地勢が多様なのである
山あり海あり島々があり多様な自然風土である、だからそこでボリスが生まれ民主主義の発祥の地となったとなる
一方でエジプトとかペルシャとか中国でもその地勢は平坦でありあまり変化がない
ただ共通しているのは長大な河があるとなる、そういう所は大帝国が生まれて圧制にもなる、その点イタリアなどは山があり海に面しているとか多様な地形がある
それで都市国家が生まれたともなる、ただローマ帝国もそこから生まれた
そのローマ帝国もアジア的専制とは違ったものであり土地土地の自主性を重んじた共和制とかになった、ペルシャとか中国の様な強烈な専制政治ではなかったともなる

とにかくヨ−ロッパは多様性がある、都市国家とかがあり地方都市が栄えた
小さな都市が国家となり自治が発達した、それは河を通じて商業が発展したからだともなる、その多様性がヨ−ロッパの文化を作って来た
ベルギー人が俺はベルギー人だというときそういう小国でも自負があるのはそのためである、ただヨ−ロッパでは絶え間なく戦争があったとなる
ただ多様性がある所に文化が生まれるがペルシャとか中国になると大帝国となり圧制となる,一将成って万骨枯るとなる、中国は今でもそうなのである

そして不思議なのはなぜヨ−ロッパには天才か多く輩出したのかとなる
それはやはり大帝国ではなく小国に地域的に分立した都市国家体制がそうしたともなる
地域の風土からまた歴史から独自性が生まれて天才を作り安い要素があった
天才と言ってもそれはやはり歴史とか風土と深く関係して生まれているからである
そういう天才が集まりルネサンスが生まれたともなる
その天才が生まれる基盤があり多様な地域があり生まれたとなる
天才という時以外と大都会から生まれると思っているが大都会から生まれない
地域の小都市が生まれている、これは何を物語っているのか?
小都市国家に何か独自性を育むものがあったとなる

大都会になるとそういう基盤がなく一千万の大都会から天才は生まれなかった
第一フィレンツにしても五万くらいの都市国家であり小さいのである
それなのにあれだけの芸術が創造されたなのである
今の大都会だと文化が生まれないのである、天才も生れない
日本でも何か文学関係でも地方の富裕層が生まれている、太宰治は豪邸に住んでいたし
宮沢賢治も金持ちの家で自由に才能を伸ばすことができた
そしてその土地に根付いた農業指導者だった、つまりそのバックグランドが田舎であり土地に根ざして文化が生まれともなる
どうしても大都会となると政治都市であり商業都市になり工業都市となってしまうからである
そしてそれだけの人口になると大衆群衆となり人間は統計的数字でしかなくなる
大衆を相手にするとき本来の文化は消失して消費が主になる
何か独自に作りだすものがない、民衆は民謡とか文化を作りだしたが大衆は作りださない宗教でもカルトとなりただ数を増やして社会を威圧することだけになる

飛鳥、奈良とか京都とかなると文化都市でもあった、それは規模が小さいからなりえたともなる、その都市が巨大化すると文化は生まれない、自然と遊離した人工的世界となる
グロ−バル化とかボーダレス世界からも何か世界の人が交流するのだから新しい文化が生まれように見える、でもグロ−バル化とは地域性を喪失させる
するとその土地を耕すcultureは生まれないのである
そして経済のみが優先される貨幣が世界を均一化するともなる、すべての価値が貨幣で計られるからである、世界市場化して金の力が増大する
そこで極わずかの人がアメリカを中心に数パーセントの人たちが莫大な富を得るのであるでもフィレンツのように芸術家のパトロンともならずその莫大な富で文化が生まれていないのである、アメリカには文化がないからである
映画が確かにアメリカが産みだした文化とはなる、でもそれも大衆的であり本当の文化は生まれていない、作られていないのである
ただコンピュターはやはり文化を作る基ともなったことは確かである
とにかく芸術的分野とか哲学思想とかの分野ではみるべきもきがない、ただ工業と技術と商業の実用主義の社会になる

いづれにしろグロ−バル化とかボーダレスの世界は何か文化的には不毛なのである
ただ大都会そのものが文化を生まない、そこはカオスでありもう文化を産む基盤を失っている、文化とはギリシャのポリスとかヨ−ロッパの小都市国家から生まれてきたことでもわかる、巨大化するとそこは政治国家になる、それが中国である
中国にも文化があるか大帝国を作るから政治軍事国家となりやすい、14億人を治めるには政治軍事力を前面に出さないと統一できないからである
そういう政治軍事国家からは大帝国が生まれても文化は生まれないとなる

健全な生活と地域社会と人間の幸福には「場所」と境界線が不可欠だという認識だ
そしてその認識が今度は多様性を賞賛し、人間と地球の利益のための国際協力を支持すると同時に、地方の独立性を守ろうとする新しい「建設的ローカリズム」を生み出している

これを目指すべきなのだが地方の問題は経済の衰退が影響している
ヨ−ロッパの都市国家には貿易などで富が生まれていたからである、やはりある程度の富か生まれないと文化も醸成しにくいのである、そのアンバランスがあり国家自体が歪になっているのである

コロナウィルスがグロ−バル社会をを変える
(人間には境界が必要でありそれぞれの風土に適応して生きるのが自然)


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