夏の日、立葵、(幅広き街の道)
立葵は明るい陽射しにあう、梅雨の時期に合わない花である
声高に鳥のさえづり幅広き道に映えにき立葵かな
我が歩む常なる道に山鳩の葉群れの陰にとまり見ゆかな
雨ともし溜池ありて流れ来る水の音聴く田の畔歩む
赤々と夏の夕陽の没りゆくに声の限りに雲雀鳴くかも
我が庭に二色の花藍色に紫の花色深め咲く
この頃暑い、それで熱中症気味になる、老人は汗がでない、自分は特に出ない、すると熱中症になりやすくなった、この熱中症は甘くみれない、一二回痙攣起こしたからである
それで死ぬということもありうる
それでアマゾンで熱中症を警告する機械を注文した
知っている人は汗かいて嫌だと言うけど汗をかくのは体温調節するから健康なのである
ただその女性は腰が悪いと常に言っている
いつもの土手の道を歩くそこの木に山鳩がとまっていた
それを写真にとった、カメラは軽いのと重いのとでは相当違った感覚になると思った
重いととっさの場面をとりにくいのである
だからこの一万の中国製のカメラは優れている、でも大きいし持ち運びにいいとはならない,ズームも弱いからだ
ただこれだけ大きくても軽いということはカメラとして優れていると知った
何か一眼レフは重いからだ
六号線に出る幅広い道はめずらしい、どうしても日本の道路は狭くなる、アメリカとか中国だととちが広いから広い空間を活かせる、それで啄木の歌があるのは札幌だとなる
幅広き街の 秋の夜の 玉蜀黍の焼くるにほひよ
北海道は日本では平原のような所があり大陸的だからである、それで梅雨の時期はいつも行っていたからぜいたくだった、梅雨も嫌だし暑さも嫌である
ただここでは海からの風は吹いて涼しい、ただ右田浜の松原がなくなったことは残念である、あそこでいつも休んでいたからである
何の鳥か一羽しきりさえづっていた、街の中に鳥が来て鳴くということは回りに自然があるということである、でも店とかはほとんどないのである
あそこはツルハのための道路だともなる
今年は雨が何かこの辺でともしい、ぱらぱらとしか降らない、それで田も一部乾いているとも見る、でも溜池がありそこから水が流れて来る、その音を聞いて安心はする
いくら雨が降らなくても水は山の奥で流れている、水をためる機能がある
だから丸森のようにソーラーパネルで山全体をおおったのは危険ともみる
木がないから水をためられないし大雨で土砂崩れもおきやすいとみるからだ
夕陽が赤々と映えて沈んでゆく、何かそれはもう人生の終わりに輝く太陽ともみる
その時雲雀がしきりになく、つまり人生の最期に声の限りに歌うのである
それで今私はそうして旅したとかを回想して作品をまとめているのである
庭にまた一つ花を植えた、この花はなかなかいい、色合いがいいのである
庭作りはやはり老後の楽しみにはいい、生け花などもいい、巣ごもり生活にもいい
ただ花が高いのと庭が広くないとそれなりに楽しめないとはなる
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