2021年06月14日

グロ−バル化を交通の歴史からふりかえる (輸送量高くなり物価もあがる、グロ−バル化は終わる)


グロ−バル化を交通の歴史からふりかえる

(輸送量高くなり物価もあがる、グロ−バル化は終わる)

ブルームバーグ): 世界的な海上貨物輸送費の高騰は思いの外、人々が毎朝飲むコーヒーや子供のために購入を考えている玩具など幅広い日用品価格に早く反映される可能性がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b52d278a03963f34130203a2c32d276a13cff312

グローバル経済を批判して来た、それがウッドショックで外材が入らずに国内の木材が高騰している、また輸送量がコンテナ不足とかから高くなり日用品で高くなる
輸送量が物の値段に入ると高くなる、ただそれが意識されないのである

この辺の農家で梨農家がいる、その梨をリヤカーで相馬市まで運んでいたという
15キロくらいある、するとその労力は大変なものになる
でも相馬市は人口が多いのだから売れるとなる
経済は内輪で回っていたのが普通でしる、私の家で店をしていたときも近くの農家から野菜とか仕入していた、それも姉が自転車で運んでいたのである
その自転車でも昔だからいい自転車ではなかった、つまりその時車もないのだから近間で物を回すほかなかったのでしる

それで例えばテレビがない時代にニュ―スを見ていたのは映画館だったのである
必ずドラマを見る前にニュースを見ていたからである
そのフィルムは蒸気機関車で運ばれてきたのである
情報すらそうしてフィルムを運んで手間かけてみせられていたのである
テレビがない時代に映像を動画を見ることは特別なことだったのである

1時間半ものの映画だとフィルムが5巻必要だったから、大体1巻が15分くらいかな。1970年代前半までは、1時間半の映画にフィルムが9巻必要だったんだよ。1巻あたりが10分たらず。10巻だったとすると、9回フィルムを切り返さなくちゃいけなかった
https://liginc.co.jp/277492

裏方で大変な作業をしていたのである、第一これだけ重いのだから運ぶこと自体が大変だった、つまり情報は物として運んでいたとなるのだ
その頃駅中心の街だったというのはどこも同じである、物流の拠点が駅になっていたからである

明治三七年に入ってから、これまでの馬車鉄道にかわって登場した市街電車が大量輸送を可能にしたことは、〔浅草〕六区興行街の転身をうながす引金のひとつになった。東京電車鉄道が敷設した浅草橋―雷門、上野広小路―雷門間の路線は、赤毛布の盛り場から市民の娯楽センターへと、浅草の性格を変貌させる。旧市街に居住する市民が夜になってからも、気軽に浅草を訪ねることができる条件がつくりだされたのである。
http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN6/fujioka.html

東京だと電車鉄道ができて浅草の歓楽街が発達したとなる、車もない時代は電車が交通になり足になったのである

人間社会は交通と密接に関係している、すべての道がローマに通じるというときもそうである、道というインフラがローマ帝国を作ったのである
シルクロードとかもそうである、絹を運ぶ道が中国を栄えさせた
そして海が道となったのが大航海時代でありそれがグロ−バル化の先駆けとなった
ただその時はヨ−ロッパ中心のグロ−バル化だったのである
船によって海を道とすることによってグロ−バル化がありえたのである
それでアジアは植民地化されてきたのである

次は明治時代は鉄道によって築かれた時代ともなった、鉄道が全国に通じたときそこに関所はない、どこにでも自由に日本中を行けたということが大きな変化だったのである
だから鉄道で全国の見知らぬ人と乗合すということは不思議な経験だったのである
藩内で生活していた人たちが気軽に関所がないのだから遠くに行けるようになったからである、でも実際は荷物をのせるのが主役であり乗客は脇役だった
もともと北海道とかなると鉄道ができたのは石炭を運ぶために作られたのである
石炭は今の石油と同じだったのである、それで高校でもコークスというストーブを使っていたのである
常磐炭鉱があるように常磐線でも石炭を東京に運ぶものとして作られたのである

そして原町紡績には原町駅から機関区となっていた駅から引き込み線があった
そこから生糸が横浜へと運ばれてアメリカなどに輸出されたのである
そうなっていたのは輸送は鉄道が主役でありあらゆるものが鉄道で運ばれていたからである
そして駅から網の目のように森林鉄道が発達していた、だから高瀬川のところにもトンネルを掘った森林鉄道が走っていた、そして葛尾村の方まで通じていたのである
木材とか石材を運ぶものとしてそうなっていた
だからその時意外と地方の村はかえってにぎわっていたのである
ただこの時代からやはり東京中心の経済が加速されていたとはなる
東京に運ぶためにこうした交通網ができたとなるからだ
そういう因縁はフクシマの原発に受け継がれていた、東京に電気を送るために作られたからである、東京はやはりそれだけ大きな都会となって人口が密集したからである
私の姉は看護婦免許をとるために東京の新宿で試験を受けたとかある
つまり地方ではそういう資格をとる試験を受ける場所もなかったとなる

ともかくこうして歴史を振りえると運ぶことの発達が世界を変えたのである
それがもうここにきて頂点に達した感がある
何か運ぶとういことがもう限界にきた、それがかえってマイナスに働くようにもなった
世界中の人々がモノでもヒトでも何でも運ばれて交流することはいいことだとされた
でもそこにも負の面が大きくなったのである
からたここにきて世界全体でも限界現象が起きてきた、そこにコロナウィルスが世界中に伝染した、それも交通が発達しすぎたから人々が飛行機などによって同時間で接触するからたちまち世界中に広がった
つまりグロ−バル化が負の面をもたらすことに気づいたのがコロナウィルスだったのである

グロ−バル化の負の面が目立つようになった、世界市場とかいうのも実際はもう機能していない、マネーゲームとか金融資本主義とかなりそうした中で株取引でもギャンブル化したりまともに機能していない、というのはグロ−バル化になるともう誰もその実体経済を知りうる人はありえないということである、あまりにも巨大すぎるからである
だから天変地異のように恐慌とかが襲って世界中が混乱する
要するにあまりに巨大なるが故に機能不全に陥る、だから株などは機関投資家のプロでもわからないというのはそのためである、必ずしももうけていないからである
それはとてもグロ−バル経済など知りうる人は一人もいないとなるからだ
もう人間で作りだしたものが操作不可能になったのである

だからもう人間の手では制御できずに自壊するともなる、そういう時期にきている
いろいろい経済について専門家が言っても誰もわからない、株になるとそこは博打場にもなっている、そんな経済が成り立つのかとなる
経世済民が経済の語源だとして民を救うなどありえないのである
だからコロナウィルスで窮地に追いやれても株が上がってもうけ笑っている人がいる
また数パーセントの人がアメリカの富の半分を得ているとかもう経済は破綻しているのである、そうなると誰も真面目に働こうとしなくなる
数パーセントの濡れ手で粟で金融でもうけているとかなんとかになり真面目にこつこつ働くことが馬鹿らしくなるのである

だからどうしても新しいシステムが世界で必要になっている、その大きな変わり目に来ている、この世界的システムが機能しなくなり自壊しつつある
次なる世界システムを作らなければならない大きな変わり目にきている
その時世界的大きな激変が起きて大きな痛みをこうむる
だから何をしようとしても財産でも守れないかもしれない、戦後の焼け野原のような極端なことが起きるかもしれない、その時私の母は東京で前の夫が事故で死んで補償金をもらった、それで一生楽に暮らせると言われた
でも預金封鎖になり故郷に買ったわずかの土地しか残らなかったのである
紙幣は本当に紙くずになったのである
それと同じことが起きるかもしれないというときそれは世界的な大変化の時代になるからだとなる、だから個々人で財産を守ることはむずかしいとなる
全体が世界が国家が変わる時それに個々人では対応できないとなるからだ

ともかく家にいながらにしてアマゾンとかで何でも買えるとか家にいて情報でも何でも手に入る時代である
そして個人でも放送局となっている時代である、テレビ局にさえなっている
出版社にもなっている、そこで仲介するメデアが必要なくなる
第一プログのようなものでも意外と写真でも表現できるから表現力があると思った
つまり個々人がメデアをもった時代になったのである
これは大きな変化である、コロナウィルスで巣籠り生活になってさらに促進された
家にいながらにして仕事でもなんでもできる時代になったのである
だから別に田舎にいても情報弱者とかにならない、ボタン一つ押せばアマゾンから次の日には配達されている

それで早いなと感心する、この変化が大きいものだった、それは歴史をふりかえればわかる、情報伝達するにしてもどれだけ大変なものだったか?
それがボタンを押すだけでできるとなった時代である
私は車をもっていない、すると8キロしか離れていない原町より東京からアマゾンで配達されるものが安く早いのである、これも奇妙なのである
するとアマゾンが普及すると媒介する仲介する店はいらなくなるとなってしまう
だからなんらか店でも時代に即したものとして変化を要求されている
それは銀行でもそうだしあらゆる面でそうなったのである

戸を出でずして天下を知り、窓まどより窺(うかが)わずして天道を見る。その出ずること弥(いよ)いよ遠ければ、その知ること弥いよ少なし。是を以て聖人は行かずして知り見ずして名(あき)らかに、為さずして成る。(老子)

これは今の時代を予言していたのだろうか? 巣籠り生活を予測していたのか
家にいながられにしても情報を得られるからだし家の中で何でもできてしまうとなるからだ
ただ世界は実際にその地を踏んだりしないと理解できない、ただこれはグロ−バル化の批判なのである、何かこれも逆説を語っている

その出ずること弥(いよ)いよ遠ければ、その知ること弥いよ少なし

意外と人間は灯台下暮らしであり近間をかえって知らないのである、狭い範囲でもそこに世界があるともなる、世界の問題がつめこまれているともなる
それは人間だから共通のものが世界中にも適応されるともなるからだ

posted by 天華 at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/188758703
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック