なぜ人は家で死にたいのか?
(人は最後に自分のしたことを語り自慢したい―老人の幸せとは)
糖尿病で知っている人が半年とか入院していた、いったん退院してまた入院した
何か症状が悪い、栄養も点滴でとっている、でも家に帰りたい、退院したいと言っているでも病院に一旦入ると医者の許可でできないと退院できない
でも一応その人は自分のことは自分でできる、寝たきりにはなっていない
だから家で一応食事の用意でもできる
ともかく病院にいるのが嫌になったというのは分る、自分自身も二カ所の病院に入院した体験がある、一か月入院したときはあきあきした、また病院で看護師に虐待されたこともあったので病院を恐怖するようになった
虐待されたのは南相馬市立病院ではない、病院とは実際は怖い場所である
隣の福祉施設に入っていた男性も痰がつまり何か虐待されていた
それを見て看護師とかわらって治療していたからである、その人には身寄りがなく施設の人がつきそっていた、そういうふうに見守る人がいないと病院はさらに恐怖の場所になる
別にその人は娘もいるしめんどうみている、でも娘でも何か話しが通じないとか言っている、それで親しい日ごろ世話している女性に携帯でいつも連絡している
その女性は話しがうまいのである、何かお笑い芸人の素質がある
「家が泣いているよ」とう言うのもそうである
それで主人がいなくなった家の草むしりとか花に水をやったりいろいろ連絡している
そういう人がいれば空家にしても安心だとなる
その女性の家はすぐ近くだからそれができる
娘は隣の15キロくらい離れた場所にある、でも退院してから通って食事の用意とかしてくれていた
ともかくなぜ人間は家で死にたいとか思うのか?
それは家というのは単なるモノではないのである、そこで暮らし思い出があり家族と安らぐ場所として長くあった、とくにその人が家を建てた苦労話を聞いた
立派な石組の庭と家を自力で作った
そのためにトラック運転手をして歩合制で人の倍の荷物を運び稼いだ
その話を聞いたときその家を自慢したいのがわかる
それは自分の家でもそうである、姉は常に自分の家を自慢していた
なぜなら姉が主役となって家を建てたからである、それは認知症になってもそうだった
柱は橲原(じさばら)の同級生のキコリに提供してもらったとか自慢していた
その時代普請することは一大事業だった、すべて材料も地元のものであり地元の大工さんが建てた、今の建売のハウス会社が作り売るのとは違っていた
二週間くらいで組み立てるのとは違って三カ月とか半年とかかかることもある
こういうこともあり家を買う感覚とはかなり違っていた
そういうことは田舎では普通にあり普請することは一大事業ともなっていたのである
茅葺の家などでももうそれは村人全員がかかわる仕事にもなっていた
屋根ふきでも大変な作業だったからである、そこで家の重みが今とは相当違っていたのである
天皇の御製歌(おほみうた)一首
あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも
右は、聞かく「左大臣長屋王(ながやのおほきみ)の佐保の宅(いへ)に御在(いでま)せる肆宴(とよのあかり)の御製(おほみうた)なり」といへり。
まさにこれなのである、これが外材ではない地元の奈良の山の木で作ったものである
たいがいそうして家は作られていた、そこに座(ま)すということにそれで充実感を覚えていたのである
家というのはその土地とも一体化したものなのである、家は単なる箱ものではない、
人間にとってそれは精神的なものとしての拠り所ともなる
病院とか医者とか看護師は体は診ても心はみない、そこに老人を診る問題がある
若い人なら体をみるだけでもいいとなる、なぜなら体が回復すれば元の生活にもどるからである
でも老人の病気は治らずに死にいたる、そうなると体だけではない、心を診るものとしてもあるべきだとなる、心の問題が大事だとなる
最後の短い日でも自分の家にいてその苦労して作った自慢の石の庭を見て死にたいともなる
つまり老人は自分のしてきたことを自慢したい、それを子供に次の世代に残して自慢したいとなる
だから盛んに最後に自分のしたことを認めてもらいたいと何回も言うのである
姉の場合は従軍看護婦だったからそのことを千回も言って死んだ
認知症になっても別に過去のことはわかっている、俺はこういうことをしたと自慢して機嫌良くなっていたのである
それが病院にいしても何も自慢することもない、ただ体を診る医者や看護師がいるだけだとなる、何か自慢することもないのである
家とはこうして単なるモノではいなし箱ものでもないのである
その人の妻は十年前に死んだとかでもその人はその妻のことを愛していたから手厚く供養していた、その家はそうして妻と暮らした思い出がつまった場所なのである
ただ今は近くのやはり70とかの女性が行き来するようになった
老人にとって幸せは何か?
そのことを考えさせられた、
蓮台野は、外界、幻想郷、冥界の三点が結節する場所、なのかもしれない。
「病院や施設に入るのを嫌がる老人の話」をよく聞きました。歳をとって体の具合が悪くなってきた老人を家族が病院や施設に入れようとすると物凄く嫌がるケースが多かったそうです。それはその当時の老人が生まれた明治時代の初めころにはまだ老人を捨てる習慣があったというのを知っているから自分が捨てられると思って必死に抵抗するのです。幕末から明治にかけて日本に来た外国人が当時の日本人の間で行われた老人を捨てる習慣について書かれた文章も残っているし、そういう習慣があったことは間違い無いと思います
今は口減しではなくなったが、面倒見切れない老人を施設に送るという姥捨山はあるよ。
自宅介護って大変だし家族の生活も制限されたり、仕方ない理由からが多いとは思うけど。
施設も無かった時代に姥捨の習慣が有っても驚かない。
怖い所に行くのではない、仲間たちが待っている所に行くのだ
「でんでら国」という小説ではこれを探求している、それは村の共同体があって成立った物語である
食いぶちを減らすためとかあってもそれはもしかしたら病院とか施設とかよりいい場所だったということもありうる、なぜならそこには村の仲間がいたとなるからだ
今になると仲間というのがいなくなっている、だからその仲間の所に行くのだというとき何か救いがある、病院とか施設には仲間はいないからである
医者も看護師もただ体をみる人であり仲間ではないからだ
病院は刑務所と同じだというときまさにそうである、それを自分も体験したからである
何か四六時中医者とか看護師とに見張られている、安らぐ場所ではない
そして死ぬときモノのように片づけられる場所である
そこに愛か欠けている、情のない冷たい場所なのである
死者は邪魔なのものとしてモノのようにかたづけられるのである
病院で番号で呼ばれて怒った議員もいた、つまり病院では議員でも番号にすぎなくなるのである
老人の幸せを考える時、体をみるということもあるが心の問題がありそっちの方が大事にもなる、なぜなら老人の体は直らないからである、だから最後の時期は心の方を大事にする、家ですごしたい、死にたいというときそれは体の問題ではない
心の問題だからである、だからその心をくみとって家で過ごさせてやる
その方だ大事になる、ただ家で寝たきりとかなると介護するのが重荷になる
蓮台野とかデンデラノでは同じ村の者であり助け合ったということがある
それは村という共同体があってできたことなのである
結局人間はどういうふうに死ぬのかが問題になるけど人間はそれより実際はどういうふうに生きたのか大事である、なぜなら出鱈目に生きても死ぬのは簡単に楽に死んだ人もいるからだ、人間を評価するときどんな死に方をしたかではなく何をしたのか、どういうふうに生きたのかの方が大事なのである
人間を評価するときどんな死に方をしたよりその人がどういうふうに生きたかで判断されるからだ
だからこそその生きた場所が家にあるから家に帰りたいとなるのである
そこでその家を作ったとして自慢できるからである
ただ自分の場合は作られた家を受け継ぐだけだから苦労もない、でも一代で家を作った人は思いが違っているのだ
そういうことは原発の避難区域になったところである
浪江の津島辺りでは戦後開墾して苦労したから村の人たちのつながりが強いというときそれだけ苦労したからそうなる、家を作ったことでもそうであるそういう思い入れがあるからその土地から家からはなれがたくなる
金をもらってもそういう精神的なものの償いはもうできないということである
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