
磯山に正宗休み椿散る松に寄りにつ海を見るかな
坂元宿夕べ来たりて春の月海より昇り光りけるかな
相馬より海沿い来たり磯山に地元の人と語る春の朝
坂元の名の古しかな古代よりその名のありて春の日暮れぬ
浜吉田駅の前にそ津波来ぬその名のごとく秋のくれかな
仙台より帰る電車の窓に見ゆ山元町の秋のともしび
仙台に電車に通ふ月日かな山下駅に菖蒲咲くかも
新しき逢熊駅や蝉の鳴き三分止まり待ちにけるかな
新しき新地駅かな春の日に牡鹿半島と金華山見ゆ
新地駅6分とまりて虫の音を我が聞きにつつ月も光りぬ
夜のふけて津波の前の新地駅虫の音聴きて六分とま
鹿島駅八重桜咲き我を待つ人もなくして木もなくなりぬ
陸前浜街道というとき伊達藩の領域として新地からあった
新地は伊達藩なのである、それで新地の人でだっちゃ、だっちゃという女性がいた
このだっちゃは仙台弁なのである
新地のなまりは方言が伊達藩だからこそあり仙台弁なのである
だっちゃだっちゃと相馬弁とか福島の方だとんだんだとなる
この感じがかなり違ったものなのである
それで丸森の人が相馬市の病院に入院していてんだっちゃと言った時、んだーだっちゃが結合してそうなったと聞いた
丸森とか新地は相馬藩との境になっていたからである
丸森でも最初に金山に城を築き城主となったのが相馬藩の武士だったからである
岩沼宿−亘理宿−山下宿−坂本宿−新地宿−駒ヶ嶺宿−黒木宿−中村宿−鹿島宿−原町宿−小高宿−高野宿−長塚宿−新山宿−熊川宿−富岡宿−木戸宿−広野宿−久之浜宿−四倉宿−平宿−
黒木宿となると相馬の城跡から離れているが昔の道がそっちの方にあった
あとはそんなに変わっていない、双葉には長塚宿と、新山宿があった、二つの宿場があり経済的負担から二の村が代わる代わるに担当したとなる
要するに参勤交代とかあり接待するのにも負担になったからである
長塚宿は昔は常磐線でも長塚駅があった、双葉駅の前は長塚駅だったのである
高野宿は浪江である、後は常磐線の駅名と同じになっている
山元町内遺跡 発掘調査情報
https://www.town.yamamoto.miyagi.jp/soshiki/20/3693.html
坂本願という土器に残された文字は古代のものでありもともと坂本であった
坂本は各地ありそこが宿場となる地形にある、坂を上るということでその手前で休むということにもなる、区切りの場所ともみる
陸前浜街道では渡来人などが来て製鉄が行われていた、山元町の海岸沿いにある犬塚遺跡は銅の鐙が発見されている、これはめずらしい、鉄だけではない銅も作っていたのである津神社とは渡来人が祭った伽耶国の王子のツノガノアラシトのことである
八重垣神社が海岸沿いにあるがこれも出雲系であり渡来人とも関係しているのである
国引き伝説ののように渡来人と出雲は密接な関係があるためである
出雲とは蝦夷のことでもあったからである
その静鉄族の跡は石巻から北上川をさかのぼる登米に残っている
そこに真野氏とかの印された木簡が残されていた、この真野氏一族は渡来人系統であり
南相馬市の鹿島の真野郷はそこに由来している
その跡は明確にたどれるのである
磯山では正宗が休み唐番所とかあり外国船を来るのを見守っていた
私が印象に残ったのは仙台市まで電車で通うにして行っていたことである
だから街道の方は一回くらい自転車で行っただけなのである
それでいつも仙台からの帰りで車窓から夜になると山元町の山の方に灯る灯を見ていたのである
そして津波で山下駅とか新地駅が流れて新しい駅になったのである
ても私が記憶しているのは古い駅である、なぜか新地駅では交換の電車を待つ、それが六分だったのである、その時電車の外に出て息抜きをする
海岸には屋並が見えた、そして虫く声が聞こえていたのである
でも今は高い所にあるからそういう虫の声は聞こえない、でも高い場所にあるからその駅から牡鹿半島とか金華山がはっきり見えるようになったのである
ただ昔の駅を知らない人はそれをイメージできなくなった
何か鉄道は駅で止まったりするときそこに人間的なものが生まれる
何か時間の無駄なようでもそこに人間的なものが生まれる
今は逢熊駅で三分くらい交換列車を待つ、そこで蝉が鳴く声がひびく
それがまた人間的なのである、たったの三分くらいでも何かそこに人間的なものが生まれる、電車には待つ時間がある、駅でも電車を待ち人を待つ時間がある
それで駅なら人間的なものを情を育む場所となっていたのである
新幹線とかなるともう待つ時間もないのである
そこに何かもう余裕がない社会になる、、駅は半分以上無人駅になる
効率的でないものは省かれる、車社会になったとき余計にそうなったのである
車は何か私的なものであるが駅だとみんなして待つとかまた電車に乗り合わせることは共通の空間を共有する公共的な場なのである
車は個々人とか人を分離させるものなのである、そこに人間の情は養われないのである
それで鉄道の歴史は長いから人生を演出する場ともなっていたのである
ともかく陸前浜街道は今や六号線でひっきりなしに車の通る場所でありまるでベルトコンベアーのように車を運ぶ道路となる
昔の街道を偲ぶということもしにくいのである、ただ自転車だとある程度昔に還り旅の気分を味わうことができる
浜街道の特徴として海が近いから夕べに坂元に春の満月が出ていた、それは海から登ってきたもののである
ただ私は仙台から家に帰るにしても家では誰も待っていない、待っている家族はみんな死んだからである、前は鹿島駅に八重桜が咲いていたがそれもなくなった
それも淋しいのである、八重桜ほのぼのとして咲く、そこに家族の愛があったなるからである
駅にはとにかく何か人間的なもの情が生まれるのである
ただそれも無人化したり機械化すると失われてゆく、その駅に出入りするのを監視カメラが見ているのである、人間がじかに接するものがなくなる、そこに人間喪失の時代になったのである、どこでも機械になり人間がいなくなっていくのである
何か無機的な索漠とした世界になってゆく、今やロボットが駅員となり迎えるのも送るのもロボットがするともなる、それも味気ないとなる
私は何か鉄道の旅が長いから鉄道に思い入れが生まれたのである
それで無人駅でボランティアのまねをしたのはそういう経過があったからである
ただそこでは排斥されるだけだったのである
つまり何か人間的なものが社会から喪失しているから邪魔だとなる
人間がもう邪魔な社会にもなっているのだ、ロボットがいればいいとまでなっているしなってゆく、そういう社会は索漠としたものになる
そういう社会に住みたいと思うだろうか?
でも人はただ便利さをもとめそういうことを感じることもなくなる
車社会に恩恵を受けても自分はなじめない、でもとうにもならない
今日駅に来ていた人は新地に車を置いて鹿島でおりた
つまり車と電車の併用だったのである、それが現代社会である
ただ車というのは人間の情をはぐくまないのである、それは鋼鉄の部屋に閉ざされで外部との人の接触を拒むのである
そうは言っても田舎だと車無しでは暮らせないからとやかくは言えないとなる
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