2021年06月19日

【ひろゆき】資本主義の限界について語る (価値観が変わると見方も変わるーニートと引きこもりの問題)


【ひろゆき】資本主義の限界について語る

(価値観が変わると見方も変わるーニートと引きこもりの問題)

https://www.youtube.com/watch?v=iWXlqJppEas

武田邦彦氏がひろゆきなどを労働を否定しているので批判している、労働は国民の義務だとしている、それが普通である、日本人はもともと労働することが強制というものでもなく労働自体に価値を見出してきたからだとしている
欧米系統になると聖書の教えで神からの罰として労働が強いられたとしている
だから労働はするべきではないということで奴隷にさせたとなる
またヨ−ロッパとかで奴隷階級が生まれたのは大陸では支配するものと支配されるものとに分かれた、常に大陸はつながっているのだから領地争いになり万里長城もできる
そこで支配する者と支配される者が生まれる
スラブ民族はスレーブは奴隷の意味なのである、それは東欧がそういう民族だったとなる日本ではそういう歴史がないから特殊な民族だったとなる

武田邦彦氏が旧来の労働を言うとき何か自分は反発する、それは結局人間は自分の経験から語るからである、一流の科学者技術者が労働について語るのと底辺労働者が労働について語るのとはそもそも根本的に違っているからだ
そういう人は労働はもう楽しいものであり苦痛ではないのである
でも底辺になると食べるための強制になる、私は底辺であり流れ作業や肉体労働などばかりさせられていたら労働自体嫌悪するのである
ただ肉体労働でも例えば職人を見ているとその人は生まれつき職人のようにみえる
仕事ができるし仕事が好きなのである、そういう人は別なのである

仕事というのは強いられたものと自ら望んでやる、適正があり興味があるのとは雲泥の差がある、でも一流の科学者技術者が労働を語るのと底辺労働者が語るのでは全然違ったものになる
だから武田邦彦氏がベーシックインカムは日本を滅ぼすというときもそうである
でもベーシックインカムは時代で言われてきたのである、機械化ロボット化する社会で言われてきたのである、特に知能労働でもAIが発達してきて言われたきた
ロボットというのは昔の奴隷の代わりになるものである
したくない仕事をロボットに機械にしてもらうのである、そして人間は人間にしかできないものを仕事とする、実はそれこそ理想なのである、実際ロボットではできないもの機械ではできないものAIではできないものがありそれをするのが人間的なものを追求する社会になるからだ

自分の場合は社会からはずれて旅ばかりするようになったのは底辺でしか働いていないからである、それで労働に嫌悪するようになった
たまたま家庭環境に恵まれてそれができたのである、だから親に感謝しているのである
どうしても自分にとって学校とか社会とか集団生活にてじめないからである
でも自分に興味あることを追求してきたのである
それは金がかかっても一銭の収入にもなっていない、社会から認められたこともない
でも遂にもう死ぬ時期になってその成果をプログなどで出すようになった
何か自分は自分一人でもこうして発言できるものに向いていたのである
ジャーナリストとかにも向いていたがそういう場に職を得られなかっただけなのである
まず人間は自分の向いている仕事などになかなか普通はつけない、不本意なものをさせられている、だからこそ会社員は自らを社畜と言っている奴隷と言っているのである
そういうふうに言うこと自体労働がすべていいものではないことを知るべきである
ただ人間は労働なくしてありえない、社会の存続もありえない、ただ本来は社畜とかではなく自ら選んで自分の適性ある労働するのが理想である、ただそれは本当にまれにしかないように思う

職人でもうまれつき職人のような人がいる、その人は仕事ができる、仕事を追求しているいい庭も作る、家のことも知っている、その人はだから仕事をするというとき金のためでもあるがその仕事が向いているし仕事ができるということでそれを他者に示したいのである、だからしきりに自分の仕事を自慢するのである
その人は自分が仕事ができて才能でも体力でもあることを示したいとういことで仕事している、だから単に金だけが動機ともなっていないのである
ただそれだけの仕事ができるのだから相応の金は欲しいとなっている
でもその人は仕事をするというときその仕事そのものに熱中するのである
だからいやいやながら仕事するのは違っているのである
おそらく本来の仕事は別に金をもらえなくてもやりたいことをすることである
確かにそこには訓練も必要だがそういう仕事はいやいやながら金のためにやらされる仕事ととは違ってるのである

ともかくなぜこういうことが今問題になるかのかというと本当に引きこもりとかニートとかが普通にいる社会である、それでそういう人と田舎で自分は逢う、なぜこんなに働かない人が多いのか、それも普通にいるのか、それが労働を強いられた高度成長時代と違っている、企業戦士として働いた時代とは違っている
そもそも老人がこれだけ多くて働いていない、おそらく日本では三分の一くらい働いていない、こういう社会はありえなかったのである
その数が多から社会でも困るとなる、団塊の世代などはまず働かないとか無職とかなると本当にまれである数百人とかの単位かもしれない、それが60万人とかそれ以上になるのは考えられないとなるからだ
それで社会でも困るからなんとかしろとなっているのである
本当は無職とかはアウトサイダーであり芸術家とかに多かったのでありそれは特殊な才能がある人でそうなったのである、だからそういう人は悲惨なことになった
ゴッホとかいろいろいる、それらの人は天才であり今のニートとか引きこもりとかは全然ちがったものである、ニートとか引きこもりは普通の平凡な人が今ではなっているからだ

いづれにしろ奇妙なことは時代が変わり価値観が変わったのである
戦後の焼け野原から始まった高度成長時代と今は違っている、物質的にはある程度満たされている、戦後十年は食べるものさえなかったのだからそういう時代とは違う
だからこそ好きなことをやれとか盛んに言う人が増えたのである
今までの労働観とは違ったものになっている、だから私はどちらかというと特殊であり
必ずしも無職であれニートとか引きこもりでもいいじゃないかということにもなる
ただこれも実際は相当な問題がある、社会性がなく将来厳しいものになる
それを親の介護でいやというほど経験したからである
だからいちがいにいいとはならないのである

人間はとにかくその人の経験から語る、その経験も限られているから偏見になる
また人間はその時代を生きて語るからその時代の価値観から逃れられない
また人間は一つの国で生活するからその国の価値観から逃れられないのである
それでひろゆきが外国旅行するならキャーバとかミャンマーとか北朝鮮がいいというときやはり広く外国を肌で知っている人は違っているなと思った
トルコのイスタンブールに滞在していたとき50歳くらいの会社をやめた名古屋の人が
シリアに行った、その人たちは純朴といいと何度も言っていた
シリアというと社会主義国だった、だからそんないい印象がない、でも実際そこに住んでいる人は純朴だったのである、それはラオスに行った人もそう言っていた
つまり資本主義国だとどこも同じ価値観になる、金が唯一の価値になる
でもそういう国ではない価値観に生きる人もある、そこで学ぶ方が多いというのもわかるだから先進国より遅れた国の方が学ぶことが多いというのも逆説である
必ず時代によって国によって価値観が変わってくるからである
これが地上から離れて天国に行けば全く価値観の違った世界に入る
この世にいればどうしてもこの世の価値観に染まるのである、これはもう絶対に脱することができないのである、死んで初めて脱することができるとなる

だから社会主義が必ずしも悪いとはならない、むしろ弱肉強食の資本主義はかえって人間をゆがめたともなる
資本主義は人間を幸福にするとはならなかったのである、民主主義も愚民主義になりいいものとは必ずもならない、とにかく人間社会はそもそもいろいろ体制があっても人間自身が変わらないから同じなのである
人間というのは決して欲から逃れられない、欲望から逃れられない、だから共産主義でも超格差社会にもなる、共産党幹部が富を一人じめとするとかなる
だから永遠にこの世は変わらない、いすいろ体制があっても機械化しても人間そのものは絶対に変わらないのである、それでなぜ宗教が生まれたかとなるとその欲をおさえるために生まれたのである
でもこれも今のカルト宗教団体とかみればわかる、かえって欲望は肯定されて欲望を満足させるものとして俗化したのである、そこであらゆる欲望は肯定されるというより欲望を強く持てとまでなっている、それがエネルギーがあっていいとまでなる
だからこそあれだけの何百万の会員にもなる、それはまたナチスとかとも似ている
要するに人間そのものは変わらない、欲から逃れられないからである
だから人間は欲で滅びるとされているのである

そもそもそうして宗教というのが仏教でも寺にこもって座禅して何もしない、働かないとういことがあった、それが修行なのである、ただ禅宗だと一日成さずば食わずとなって働くことを肯定しているが一面はただ沈黙の行をしている、働かないのである
そして人の喜捨に頼る、自ら汗して働かず恵んでもらう、これは反社会的なことである
資本主義はもともと修道院で生まれたという時労働に価値を置いていた
それは他者を助けるために働くとなっていたからだ、だから西欧的価値観だとその労働観も違っているのである、アジアは闇雲に働くということは肯定されていないのである
そしてプロテタンとが生まれたのはドイツとか北欧とか寒い地域なのである
そういう寒い地域ではどうしてもは働かざるを得ない、バナナなどがいくらでもとれる熱帯とは違うからである、そういう気候の相違でも価値観が違ってきていたのである
posted by 老鶯 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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