夏の雲、木陰、花台の石、一輪の花の写真
真日さして道幅広く立葵
朝よりし夏の雲湧く走るかな
夏の雲湧きあがるかな海広し
朝ひびく波の音かな夏雲雀
一本の木の木陰に我が休む故郷のその木を今日知りしかな
家の跡一本の松ありにしを遂に切らるも根っこ残りぬ
花台の硬き石にそ一輪の清楚なる花我が挿しにけり
梅雨の晴れ間に夏の雲が湧いた、でも山の方は梅雨の雲でふさがっている
これで感じたことは浜通りというとき海が見える地域である
でも中通りと会津では海は見えない、阿武隈山脈にさえぎられて浜通りから中通りの高い山とかも見えない、猪苗代湖も見えない、その相違は大きいのである
地理的一体感を持てないというときハマ、ナカ、アイヅと福島県が分れて地形も違っているからである、むしろ太平洋沿いの宮城県の方と地理的一体感を感じる
現実の世界でも常磐線で仙台市まで通勤圏になっている所もあり仙台市の方に一体感を感じる
会津となると別世界なのである
それで山から太陽が昇る感覚がわからないのである、また日本海だと海に太陽が沈むというときそれは太平洋から昇る太陽とは逆になるからこれも感覚的にそういう場所に住んでいたら相当に違ったものになる
夏の雲湧きあがるかな海広し
広々と太平洋が広がり山の方は梅雨の雲で塞がっているが朝に夏の雲が湧いている
この句は単純でも浜通りを象徴している
一本の木があった、そこに木陰がありそこを通る、その時その木を始めて意識した
なぜなら暑くてその木陰が気持よかったからである
だから自然にあるものでも何かみんな意識しないのである
なにかのきっかけで意識する、木があるところはいくらでもあるからなかなか意識しにくいのである
近くの家の跡に長く一本の松が立っていた、でも遂にその松が切られた
そして松が残った、家の跡に人も住まなくなって長い、ただ一本の松がそこに人間のように立っていたのである、松はそれほど高くないから人間のように見えるのである
何か長くあるものはそれがなくなってもすぐには忘却されない
長くあったからいつも見ていたからそこにまたあるような気になる
それは人間でも同じだったのである
長く一緒にいれば死んでも家族でも消えないのである
花台の石は浜に行って拾ってきた、でも暗くて映っていない、花台にはいい石だった
ここに昼間また花をさしてみよう
花台は男なのかもしれない、そこに一本の花を挿す、まさにこれは幽玄の美である
生け花とかフラワーアレンジメントも芸術である
それは花瓶とかその花台とか背景とか全体が関係しているのである
一つの美的な場を作ることだからである
だから花台の石も関係していたのである
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