梅雨の詩(老鶯鳴く田舎)
故郷に老鶯鳴く
土手の道老鶯鳴きて草深し
我なお故郷に生を養ふ
歳月はたちまち過ぎて老いしも
70過ぎし齢(よわい)に驚く
かく人生の過ぎる早しも
今死地に入る幽冥の時期そ
雨しとと石は濡れ
黒揚羽一羽庭に舞い去る
常に行く道草深く老鶯は鳴きぬ
我が元に一人の老女来たりぬ
貧しくも我に頼りぬ
我が家族はみな死にたり
人の世の移ろい激しも
津波に原発事故に翻弄されし歳月
今しかし樹々の根のごとく
大地に深く根を張り安定すべし
心乱れず木のごとくあれ
汝を養うもののここにあれ
そが余生のここに安らかなるべし
もはや争いなきを祈りぬ
老鶯というのと夏鶯とは同じ季語でもかなり違っている、感じがまるで違っている
老鶯というと老いたという感覚になる、夏鶯というと明るい感じになる
なぜ老鶯とか言うのか不思議だとなる
老いる鶯というのが良くわからないのである
ただ私の俳号としたのは老鶯は長く鳴いている、春の鶯だと短い期間である
老鶯というのはかなり長い期間鳴いているのである
それで私自身が短歌と俳句でも詩でもいいのが作れたのはずいぶん年とってからなのである
それで長く鳴いているというときそれは歌っている、俳句とか短歌でも詩でも作っているということである
とにかく自分が70も過ぎているということに自分自身が驚いている
そんな年になったのかと驚く、70過ぎるとなると相当な年だからである
だから今はただあとは死ぬだけだということしかなくなっているからだ
人間は年とるのでもこういんう年になっても突然年とったという感覚になるのだ
だから自らその年に驚くとなる
ともかく家のことでも介護でも周りのことでもいろいろ翻弄されているうち十年過ぎたとかなり老いたのである
ただ今落ち着いてこういう詩を書いたのである
梅雨の時期であり何かふさわしいとなる
そして余生は安らかなるべし・・・・とつくづく思ったのである
別に長生きするこは悪いことではない、生を養いなお余生をつつがなく生きたとなる
ただ病気になったらなるべく世話にならず死にたいということである
草深し里でありそこが自分にはふさわしい、私はとても東京のような場所に住めない
やはり生を養う場所は田舎なのである
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