価値は多様であり金ですべて計れない―家の価値
(原発事故の避難者でもすべて金で贖えない)
ひろゆきがどうせ原発事故の避難区域にはもう30年くらいは住めない、でも50年とかすぎてゆくと放射線量は減ってゆくから除染に莫大な金をかけても無駄だというのもわかる
そのことは書いてきた、その除染の金が地元の相双リテックとかに流れて億の金を幹部が山分けしたとかある、またヤクザに流れたとかゼネコンに流れたとか何十兆円もの金がさらに廃炉までにかかる
だから一人二千万と補償して他に住まわせるのがいいとしている
現実的にはそうするほかないともなる
ただ外部から見るとそうした方がいいとなる、でも何か私は家族が死んでから家の価値を見直すようになった、別に家などでも補償金もらったら他に新しく建てればいいじゃないかとなる、新築の家を建てればその方がいいとなる
これは何か都会人の見方なのである、家に金をかけるの馬鹿らしいとか都会人だとその土地とか家にこだわらない、家は一時的なものでありそんなものに金をかけるのは馬鹿らしいとなる、だから大きな金をかけて買わない方がいいということになる
家というのはその家のことと家族でなければ他人はただ機能的なものしか見ない
そこで営まれた家族の生活のことなどを見ない、また歴史も見ない
私の家は二回近くの川が氾濫して床上浸水になった
一回目は伊勢湾台風の時だった、その時は今の家ではなくトタン屋根の平屋だった
その家は私の父親が双葉で酒屋に丁稚奉公して暖簾分けして土地を手に入れて建てたものだった、だからその土地自体はこの街でいい番低い場所にあり被害にあった
それで二階を建ててそこに避難することが悲願となり新しい大きな家を建てたのである
つまり家には何かそれぞれの事情があり歴史があり建てられている
それが外から見るとただ機能的にしか見ないのである
ある人の家は若い時トラック運転手であり人の倍をトラックで荷物を土でも運んで立派な石の庭の家を建てた
その石作りの庭は大きな石を組み合わせたものでありいい庭である
それでその人は病院に半年くらいいた、糖尿病だからなかなか治らない
でももう病院にいたくないとなり家に帰り治療するようになった
そしたら病院にいるより元気になったという、病院では本当にかえって病気は悪化するのである、特に老人の病気は直らないのが多いから病院に長くいるのは良くないのである
ともかくその家が作られたのにはそれぞれの経過があり歴史があるとなる
それはまた土地と一体化してある、特に農家とかなるとまるで大地と一体化したようにある、それも大地から実りを得て暮らしていたから余計にそうなっているのである
だから家の重みが違うのである、それは都会にない家の重みであり価値なのである
何か家族がみんな死んでから家の価値を私は再認識した
家には誇張ともなるかもしれないが依然として家族がここに住み血が通っているともなるやはり親の苦労があり作られたものだからである
おおげさに言えば歴史的に形成された建造物だとまでなる、私的なものにしろそうなる
それで住宅とか間借りしているとかなると何か存在感がないのである
田舎だとやはり家を持っている人が多いからである、代々住んでいる人も多いからであるそれで農家だと三代住まないと仲間になれないというのもそうである
草分けとか最初から苦労して開墾して住んだ農家がありそこが中心となり重んじられていた、農業中心の時代はそういう中心の農家があり村が形成されていたのである
だから田舎だと何か農家というのは街の家より重みを感じる
ただ工業化したりして全体の経済の占める割合が一割にも満たなくなったとき農家の存在感も希薄化したのである
東電の方がずっと存在感があるものとなってしまったのである
東電なしで原発周辺は成り立たなくなっていたのである
実際に私の家は東電で働いて金をためて発てたのですよという人もまた多いからである
でも事故になったときその故郷に土地にすら家に住めなくてったのである
他から見れば不便な場所であり金もらって他に住めばいいじゃないかとなる
それが田舎の家がどういうものかわからないからそうそう見る
人間は今だけをみる、そこで長い時間をかけて積み上げられて作り上げてきたものを見ない、空間的にしか見ないのである
それが他からわかりにくいのである、歴史とは時間の中で作られてきたものである
大きな歴史でなくても家でも祖父母がいて親がいてとか二代くらいは活きた歴史として理解できる、実感できるのである
父が苦労して土地を手に入れて家を作ったんだなとか親が苦労して作ったんだなとかは実感できる
何か外から来るとそうした時間的なものは理解しにくいのである
それで外国に旅行しても今しか見えない、時間的なもの歴史を理解することはむずかしいのである
とにかく大きな長い国の歴史とかではなく、家の歴史とういのは短くても実感できる歴史なのである
おそらく故郷とはそうして時間の中で形成されたものであり一個一個の家にそうした歴史がある、ただ他人の家のことはわかりにくい、ただ家を歴史の基点とするとき歴史でも身近なものになる
家は単なる物ではない、箱でもない、機能的なものだけではない
時間軸の中で空間に定着したものでありそこに重みとか価値がある
特に田舎では農家だと大地と一体化したように家の重みがあった
それが工業化とかなり失われてきたのである
家には何か先祖の祖父母とか親の血が通っているようにも思える
なぜなら人間は死ねば全く何も残らない、骨も残っていなかった、土になっていたからである、でも家は親が死んでもしばらくは残る
そこで親とか先祖を偲ぶとういことができる、もし別な土地に移り新しい家に住んだらそうして先祖から親から受け継いだ家の重みは感じないだろう
そこでは一から新しい歴史を作ることになるからだ
それで原発避難区域に残されたのは親の老人であり子供の世代は住まないのである
立派な家とか庭を作った人もそこには子供の世代は住まないのである
ということは家を通じての歴史を継承をされないということでもある
親はその家を通じて自慢するものがあり語るものがあってもそれができないのである
そこで歴史は断たれたともなる
やはりつくづく親が家族がみんな死んで感じることは人間は死んでもそう簡単に消えない全く価値がないとはならない、何か家を通じても残したものがありそこから死んだ人を偲ぶ、それで家には死んだ人がなお生きつづけているともなる
過去の歴史でも建築物は残る、エジプトのピラミッドでもそうでありローマの建築でも
また大聖堂でも残っているから歴史を偲ぶことができるのである
そういうものが残らないと歴史は偲びにくいのである
日本ではそうして古いものが残っていない、木の建築だから残っていないのでなかなか歴史を偲びにくい、今だけに生きる社会になりやすいのである
第一ヨ−ロッパの民家などでも相当に古い、何百年も残っているのは石造りだったりするからである
日本は生(き)の文化だというとき今生きているものを大事にする、木でも新鮮な木がいいのである、だから今宮とか新宮があり常に社でも新しくするし伊勢神宮でも20年ごとに
神宮には内宮にも外宮にもそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、式年遷宮は20年に一度宮処を改め、古例のままに社殿や御装束神宝をはじめ全てを新しくして、大御神に新宮へお遷りいただく神宮最大のお祭りです。
1300年にわたり繰り返されてきた式年遷宮は、20年に一度造り替えられる常に瑞々しいご社殿で、永遠に変わらないお祭りが行われることに大きな意義があります
日本の文化はやはり木の文化だから長い歴史を感じにくいのである
何か新しい物がいいとされる文化なのである、伊勢神宮という古い場所でも新しいものがいいとされるのは木の文化だからだとなる、真新しい木の新宮に神が宿るとなるからだ
ここがヨ−ロッパとかの石の文化との相違だとなる
もしエジプトでもピラミッドでもないとしてたら歴史を感じられないだろう
ただ砂漠だけがあるとなってしまうからである
ピラミッドがあることによって三千年前の歴史を偲ぶことができるからである
いづれにしろ原発事故ではすべて金で贖えない、それは家という建物でも別に他の土地で新しく建てればいいというときそこにある目に見えない価値を認めていないからであるただ物としてしか家を見ていないからである
なんでもすべて金で贖(あが)なうことはできない、家には建物だけではない、付加価値がある、それが歴史であり精神的なものだからである
youtubeとかの問題は何か物事を深く考察しない、表面的なことで終わっている
深く考察するとなるとやはり話すのではなく文章にしないと伝わらないともなる
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