文明の発祥の地がなぜ砂漠なのか川の側なのか?
(世界史をどう見るかー青銅器から鉄器文明へ)

●地理(川)から見る文明の歴史
古代文明はステップ地帯に大河が走っていたが、そのステップ地帯に砂漠が広がったので、河川の周辺に人々が集まった。ステップ地帯では狩猟で生活できたが、河川周辺では灌漑工事をしなくてはならないから、権力や技術などが生じる。また、砂漠化に追われて、広い地域から河川流域に人が集まるから、知識や情報の交換が盛んになり、文化の向上を促進した。
文明とは単に高度な文化が興るというだけでは成立しません。さまざまな優秀な文化を持つ人間集団が同じ土俵で確執し合い、そのなかから共通の普遍性という一種のフィクションをつむぎだして、それによる文化の集約、洗練化という作業を行ってはじめて文明が出現します。古代オリエント文明の場合、農業技術自体は、雪解け水に恵まれたザグロス山脈やアナトリア半島東部の山岳地帯に点在する小平野で誕生しています。そういう恵まれてはいるけれども大きな広がりを持たない土地から次第に農耕文化が周囲の乾燥地に広がっていきました。
しかし、そうした面に広がった農耕文化の拠点が気候変動で乾燥に追い込まれたとき、乾燥地帯ではすぐに農業生産が壊滅し、難民がより恵まれた川の周囲などに集まってきます例えばエジプトでは緑の恵まれた時期に北アフリカ一帯に広がった農耕民や牧畜民が、気候の乾燥化でサハラ砂漠が成立する過程で、ナイル川の谷に集まってきて、そこでさまざまなローカル農耕牧畜文化の融合が起こり、文明が誕生したといわれています。つまり、砂漠化がひとつの文明誕生の引き金を引いているわけです。また、いったん誕生した文明は都市を生み、資源の過剰な消費を招いて乾燥地帯になけなしに成立していた森林を破壊し、更なる砂漠化を引き起こしていきました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109709025
ポロス 古代インド英雄伝のテレビ放送見てインドに興味をもった
インドは仏教の国であり日本も仏教国になったのだからもっと興味があってもいいのだがない、なじみがないのである
ただ中国は常に隣国にあり興味がある、でも中国でもヨ−ロッパの植民地化したとき劣った国と見られて中国を師とすることがなくなった
明治維新からは常に欧米を模範としてきたのが日本だったのである
だから中国は隣国だから興味あるにしろインドとなると興味あるというかその歴史でもなじみがないのである
ただ現代はやはり映画とかテレビドラマが歴史に興味をもたせる、だから歴史映画が私は好きなのである、ドラマを通じて歴史を知るということである
だから日本の時代劇も好きなのである、ただドラマだと作られたものが現実に思えてしまうのである、そこで歴史の真実がわからなくなるのが問題なのである
歴史とはやはり空間と時間軸から成立つ、ただ時間軸となるとこれを理解することは至難になる、一方で空間は理解できる、なぜなら空間は何千年前だろうがやはり基本的に変わっていないからである、地球史となると確かに大陸も移動しているから変わる
ただ人間の歴史が始まったときをさかのぼれば空間は地理は変わっていないのである
すると世界史でも空間から地理から見るとわかりやすいとなる
それで地歴にしたのがわかる、インドでもは地理から見るとどういう国なのか一応わかるインドはヒンドスタン山脈がペルシャとさえぎりネパールは中国との国境になりそこはなかなか越えられない壁となっている、自然の巨大な壁となっているのだ
ただアレキサンダーが侵略してきたのはヒンドスタン山脈を越えてペルシャから進軍してきた、ただそこで相当に難儀した、それでインドで苦戦したともなる
やはり山脈とかは自然の国境となる
ただギリシャのマケドニアからでも比較的平坦な砂漠とか平原がつづいている
すると遊牧民が移動する世界ではあり軍隊でも移動しやすいとなる
ペルシャには王の道がすでにできて交易の道もできていて軍隊も進軍しやすかった
平原とか砂漠は自然の道になりやすいのである
また大陸の河は長大でありこれも道になりやすいのである
だからそこに文明が生まれたともなる、都市が生まれたとなる、ナイル河でもそうであり岸に港ができてビラミッドに通していたとなる、ナイル河は船で行き来していたからである、大陸の川とは人と人を結びつけるものであり山のように遮断するものではない
すると河を通じて物資が集まりまた人と人の行き来があり都市が繁栄するとなる
それはヨ−ロッパでも河が交通路になりその岸に都市国家が生まれてシテズンシップが生まれてcivilzationになったということに通じる
文明とはやはり人が集まり物資が集まり情報が集まる場所から生まれるからだ
引用の説明では農耕社会が乾燥化して難民化して川の側に集まったとしている
砂漠化が文明を産んだとしている、もともと森であった地域の砂漠化が文明を産んだ
ただ森がおおっていると交通路にはなりにくいこともある
ヨ−ロッパはゲルマンとかは森に覆われていて交通路にならなかったから遅れて文明が起ったともなる
そのために山岳地帯ではなく平坦な平原とか砂漠が交通路になる所から文明が生まれたとなる、例えば森があるとしてもそれは交通の邪魔になるのである
ヨ−ロッパではドイツでも樅の木の鬱蒼とした森が覆っていた、そこは交通路になりにくい、だから文明とは大きな川があり砂漠とか平原がある交通路になる所に生まれたとなるただ砂漠になっていたところでも大昔は森があったとしている
つまり森の木を燃料であれ木材として使って消失して砂漠化したということもある
文明は都市国家でもどうしても自然破壊になるからそうなる
ただ宗教的に見ればなぜ砂漠からユダヤ教であれキリスト教であれイスラム教の一神教が生まれたのか?そこが最も人類にとって古い歴史の場所になったのか?
イスラエルは半分は砂漠なのである、遊牧民国家だったのである
だから商人のラクダを泊める商人宿があったりする
イスラエルは新しく作られた国でありその時砂漠を人工的に水を流したりして肥沃な土地にして農作物や果物を作るようになったのである
入植して作られた国家なのである、ただイスラエルまで遊牧民なのであり羊を追って生活していたのである
そしてイスラエルから地中海を渡りギリシャとかに船で行ったけどヨ−ロッパ大陸に通じているのである
そもそもだからなぜ文明の発祥地がこうして砂漠とかにあるのか?
そしてなぜ砂漠にエホバが唯一の神が現れたのか?、それは偶像崇拝を拒否する神として現れたのである、神像とかはない、像はない、偶像を拒否する世界なのである
例えば何かそこでも岩があり木があったりするとどうしてもそれも神になりやすいのである、でも神は眼に見えないものとしてあり眼に見えるものは神ではないことを教えたのである、とにかく人間は人間自体でも神化しやすい、眼に見えるものは植物でも動物でも神になりやすいのである、だから目に見えないものが神だとしたことはやはり砂漠から生まれたものだとなる
でもエジプト文明は何でも神にするアミニズム文明でもある、ただエジプトでも森があった時代がありその頃からアニミズム文明があったのかともなる
またインドには紀元前1500年ころからアーリア人が侵入して来た、そのアーリア人の支配の手法がカースト制だったのである、身分制階級制支配だったのである
もともとの原住民がインダス川付近にもいたのだが追いやられてガンジス河の河口に追いやられ化のである、それがドラビダ族だとしている、多少色が黒い民族でありアーリア人とは違っている、アーリア人は背が高く顔の彫が深くギリシャ彫刻を生んだようにギリシャもアーリア人が侵攻して生まれたのである、インドヨーロッパ語族とは広範囲にあり中東からインドからヨ−ロッパへと広範囲に言語の基幹として形成されたのである
アーリア人の末裔が欧米人なのである、大陸ではそうして強力な人種がいてそれが征服民族となるから階級制が奴隷制でも生れる、支配する者と支配される者に分けられるのである、戦争で負けた者が奴隷化されるのである、スラブとはスレーブで奴隷のことだからである、そこで東欧は今でも遅れた国だともなっているのである
●アーリア人の世界への拡散

奇妙だけど家にくる女性は話がうまい、見映えは悪いが話しがうまい、それで芸人になれた人だとみた、ただ見映えが悪いからいい人と結婚できなかったということはある
でも老人になると美人とかではなく何か話しが面白い女性だとかなり価値がでてくる
その女性が理容店に行って顔が黒いなとか腕が黒いなと言われた
そしたらその女性は下半身は白いよと言って笑わせた、何かこうして話しがうまいのである、芸人の素質があるから話し相手に面白いとなる、別に家で何か仕事するのでもない
ただ話し相手としていい人だとなって金をくれているとなる
ドラビダ族が黒いとするとアーリア人は肌が白いのである
つまり上半身が黒く下半身が白いとなり混血だとなる、インド人にはそういう混血がいるとなる、人間は何らかで世界に広く住んでも交わるから混血になっている
何か混血になると美人になるということも言う、混血するということは何か遺伝子を刺激してそうなるのかもしれない、日本人も実際は様々な民族が住んで混血なのである
でもサンフランシスコで老女にあったときこの女性は日本人だな見た
だから日本人的な顔はある、変なのだけど今の天皇と同じ顔の様な人が近くにいる
天皇の顔でも似た人がいる、その人は普通のありふれか庶民なのである
だから何か奇妙なのである、天皇だと特別だとは見るが何かありふれた人でどこにでもそんな顔の人がいると特別に思えなくなるからである
いづれにしろインドというとき理解することがむずかしい、歴史もわかりにくい、でも日本は仏教国だからインドから入って来たものが多いのである
そうはいってもインドのヒンズー教とは何なのかとなるとこれも理解しにくいのである
仏教の基だとしてもヒンズー教は理解しにくい、となるとヒンズー文明ともなっているインドそのものが理解しにくいとなるのである
かえって宗教からすればユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも一神教は理解しやすいのである
インドでもその神話はガンジス河に由来している、ドイツでも父なる河のライン川が国家としてのアイディンティティとなっている、大陸では長大な河が文明を作る母胎となっている、そういう長大な河は日本にないから理解しにくくなる
鼻が高く、目が長く、胸が突き出している
と言う容貌から連想されるのは、中国人というより中央アジア人か白人種のようです。
始皇帝の父は、子楚(しそ)という名前で知られています。
しかし、これは後の名前で、趙の人質としてやってきた
最初の頃の名は異人(いじん)と言いました。
始皇帝が中国最初の統一国家を作ったというときまず地理を見ることである
西安は長安は中央アジア方面へ向かう入り口である、とすると中央アジアから砂漠地帯からシルクロードから人々の流れがあり人種的にはそっちの方の白人だったとなる
つまりアーリア人系統でありそれはペルシャとか隣のインドでも色濃くアーリア人の侵入が紀元前8世紀にあったからだ、漢人ではないのである
アーリア人は欧米もそうだというとき征服民族であり現代文明も欧米人が作ったとするときその系統を受け継いでいるとなる
トランプ大統領にしろその体躯があの年でも堂々としていたからである
ただ人種的に世界史を見ることもできない、
●青銅器と鉄器文明
主に利用されていた道具の材料によって石器時代、青銅器時代、鉄器時代と3つに区分する考え方であり、青銅器時代はその中の真ん中の時代に相当する。また、この時代区分は先ヨーロッパ史を中心に考えて提唱されたものであるが、中東、インド、中国にも適用することが可能である。青銅器時代は多くの文明において国家形成の開始された時期に当たり、世界最古の文字が発明されたのもこの時期にあたる。このため、各文明においては先史時代と歴史時代の両方の面を持つ。メソポタミア文明においては最初の都市の形成は銅器時代後期にさかのぼるとみられており、また歴史をしるすことのできる文字の発明も、銅器時代後期である紀元前3200年頃のウルク市とみられている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E9%8A%85%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3
戦場でこのような戦車が利用される場合、戦車の最重要部品は車輪と車軸、さらにこの車軸を支持する軸受です。これらの部品が破壊したり損傷を受けると、それは戦いに負けることを意味します。ヒッタイト人はこれらの重要部品を鉄で造り、改良を重ねて圧倒的な軍事的優位性を確保し、隣接地域を順次支配下に置き、ヒッタイト王国は紀元前1500年代にはメソポタミアを含む古代オリエント全域を支配し、当時、文明・文化で圧倒的な存在感を持ったエジプトとも対等に対峙するまで勢力を拡大させることとなりました
https://bit.ly/3wTLDRj
鉄の価格は金の5倍、銀の40倍」と記されているからだ。鉄はなぜこれほど高価だったのだろう。金が地球上にそのものとして存在しているのに対し、鉄はほぼ酸化した状態でしか存在しない。この酸化鉄から鉄をつくりだすには、木炭などを用いて1000度をはるかに超える高温で焼く必要がある。そのため、技術のない時代の人々が手にできたのは、隕石の一種である「隕鉄」に限られていた。古代の人々にとって、鉄は天からの贈りものだったのだ。
この「天の金属」が地上で初めてつくられたのは紀元前1500年頃。トルコのアナトリア半島に住んでいたヒッタイトによってである。ヒッタイトは強力な鉄の武器を手にしたことでまわりの国々を制圧し、またたくまに大帝国を築き上げていく。青銅器文明を生み出したバビロニアを滅ぼし、当時世界最大の強国だったエジプトとは互角の戦いの末に講和条約を結んだ。まさに無敵を誇ったヒッタイトだが、紀元前1200年頃に突如滅亡してしまう。
http://tokidesign.jp/howto/story11.html
青銅器文明から鉄器文明の変化は大きかった、なぜならそれは日本でも刀から鉄砲への変化にも匹敵する、青銅器より鉄器が武器としても道具としても強力だったからである
それで稲荷は鋳成りであり鉄器の道具のことでありその道具を祭って農業文明があったとなるからだ
また鉄器ができることによって統一国家もできる、鉄器の武器は強力なので他民族でも征服しやすいからである
それで中国の漢が隣の野郎国は青銅器の武器であり漢は鉄器でありそれで野郎自大の諺が生まれたのである、その敗北の原因は武器の優劣にも原因があった
日本とアメリカの戦争でも日本はアメリカのことを知らない野郎自大国になっていたのである、そして核兵器によって終戦となったのである
古代でも日本の天皇の由来が韓国であり鉄器を使うことにより王となったともあり
伽耶国が鉄器生産の拠点でありそれで天皇は韓国から伽耶国由来だともしているのである
あとがき
引用が多くなったがインタ−ネットの強みは簡単に引用できることである
それで編集するとつなぎあわせると一つの論文にもなる、これはなかなか本ではできないそして学問とは問うことにあり疑問に思ったことを探求する
その時検索できると便利なのである、本ではなかなかできないからだ
ただここで著作権が問題になる、インタ−ネットは引用しやすいから著作権違反になりやすいのである
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