2021年08月14日

カルマは苦しみとなって自覚する (コロナウィルスも同じである)


カルマは苦しみとなって自覚する

(コロナウィルスも同じである)

カルマは個々人でもあり家族にあり地域にあり国家にもある
でも何もないと意識しないのである、感染症とかは常に周期的に人類で起きてきた
でも現実に経験しないとその苦しみも解からない、自覚しないのである
人間はつくづくそうして過去のことを忘れている
でも過去にあったことでもそれが今苦しみとなって現れた時自覚するのである
過去の苦しみを自覚する自覚させられるのである、それがカルマなのである
第一苦しみがなければそんなことがあったのとかで終わる
それで歴史の勉強でも真剣にならないのである、自分のことではない、遠い過去のことであり過ぎ去ったことであり関係ないとなってしまうのである

ただ忘れた頃に災害がやってくるというときそれはカルマを否が応でも自覚させられることなのである
そのことは津波でもそうだった、津波などこの辺では400年も来なかったから津波は来ないという確信までなっていた、それで逃げないで死んだ人がいる、それは老人に多かった、老人でもせいぜい百年生きてもそれだけの期間しかしらない、400年前に津波があったことなどこの辺で知っている人は一人もいなかったのである
学者すら知らなかった、津波が来て文献を調べて相馬藩政期を調べてたった二行生波(いくなみ)で津波で700人溺死と記されていた記事を発見したのである
その二行の記録に注目する人は一人もいなかったのである

ではなぜそうなったかというとその時相馬藩政記とかで記録するのは当時の支配者の相馬氏である、その時まだ相馬地域を支配するために争っていた
だからその争いのことを事こまかに書いている、津波の被害よりその権力闘争の方が大事だったのである、他でも津浪があってかえって敵対する勢力の力がそがれて有利になったとかもある
何かそういうことは現代にも通用している、時の政権にとって権力を得るための戦いこそ大事なのである、だから今でもコロナウィルスでも民衆のことを思うより政権維持とか権力維持のために力を尽くし民衆の苦しみのことはなおざりにされる
ただその当時は民主主義の時代ではない、強い者が支配する時代であり民衆より権力闘争の方が優先される、ただこれも現代でも同じものがある
民衆のことはさておき権力闘争に勝って政権を維持して支配者となることが優先される

なぜこのことを言うかというともしその時津波の被害のことが相馬藩政記に詳しく記録していたらみんなが注目して備えることがあったからである
でも津波のことは二行しか記されていず学者すらわからなかったのである
そのことが後々の大問題となる、津波の大被害にもなったとなる
そしてその時この地域で津波で苦しんだ人がいたということを思うようになる
つまりカルマは苦しみとなって現れた時に自覚させられるのである

カルマが怖いのは必ずいつかそのカルマがきて苦しみとなって現れることである
それは400年後かもしれない、例えば戦争で日本人が三百万人も死んだ
でもそれだっけ過去のこととなり忘れられる、でももし戦争になったらそこで苦しみ死んだりするとその戦争の悲惨さを自覚するのである
いくら悲惨なことでも自分自身が経験しないかぎり苦しまない限り実感できないからである
だから例えば日本に原爆を落としたアメリカでもそうである、原爆を落とされた方の苦しみをアメリカでは自覚できない、でもアメリカ本土に原爆を落とされたら必ずその恐ろしさを自覚させられる、それはいつかカルマとなってアメリカ人が塗炭の苦しみを味わうともなる、その時自ら原爆を落としたことの罪深さを自覚させられるのである
そういうカルマは必ずいつかめぐってくるから怖いのである

コロナウィルスでも感染症でも歴史をみれば繰り返し起きてきてそれはいくらでも様々なに記されている、でも忘れていたとなる
そして実際に苦しみとなって現れる時、その過去にあったことを自覚する自覚させられるのである
そもそも人間の罪深さなど自覚できない、ただ苦しみとなって自覚させられる

なぜ自分はこんな苦しみにあうのだろう?

そういう深刻な疑問につきあたりそれがカルマだったということを自覚する
それは個々人でもそうなのである、因果応報というのが必ずあるからだ
それから人間は逃れられないのである
感染症でも定期的に人類を襲うカルマである、どうしても自然災害であり感染症でも他の戦争ですらカルマとなって繰り返すのが宿命としてある
そき宿命は苦しみとなって現れてはじめて自覚させられるのである
人間は何か過去にあった苦しみなど今が恵まれていれば自覚しない、飢饉があったとしてもそれも自ら苦しまないと実感できないのである

でもそういうこともカルマとなって苦しみとなって現れた時自覚するのである
後残されたカルマは飢饉と戦争だとなる、それがカルマとなって近々現れるかもしれないそういう時が来ているともなる
最終戦争ハルマゲドンでも起きて来る、そして人類は絶滅する
でも神に選ばれたものは絶滅することはない、神が救い上げて救出してまた新たな神の意にかなった国を創る
要するに一旦人類は絶滅しないかぎり新たな神の国は実現しない
その積もり積もった罪(カルマ)を払拭しないかぎり新たな神の国は作れないからであるそれだけ人間のカルマ(罪)は重いからそうなる

アダムの犯したカルマ(罪)で楽園から追放された原罪は延々と人類にのしかかっているプロメテウスがゼウスから火を盗んで罰せられた罪は過酷でありそのことが原爆で現れ
原発事故でこの辺では住めなくなった、プルトニウムの毒が二万年消えないとかなる空恐ろしいものとなった、それはカルマとなってまた苦しみとなって現れたのである
技術がすべていいものとはならない、それもまた技術は技(わざ)はわざわいをうむのである、だからそれはすでに予定されていたことでありそれが苦しみとなって現実化したとなる
科学技術だとバラ色の未来を見るがそこにも決してバラ色ではない闇黒が待っているのだつまり人間の成すことに必ず暗黒面がつきまとっているからである
神に逆らうものがありそれがカルマとなり苦しみとなって現れるのである

posted by 天華 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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