2021年08月16日

墓はなんであるのか?(墓の効用-恨みを残し死んだ人の墓)


墓はなんであるのか?(墓の効用-恨みを残し死んだ人の墓)

我が墓に誰か知らぬも花を挿す人のありしもありがたきかな

お盆ならみんな墓参りする、だから必ず墓を意識する、墓を意識するということは死んだ人を意識することにもなる
一年に一回か二回死んだ人を意識する、死んだ人を偲ぶ、そのために具体的なものとして墓がある、ただ別に墓がなくても死んだ人を偲ぶということはある
家で遺影が飾ってあるからいつも見ていて死者を偲ぶことは普通にしている

自分の家の墓に誰か花を挿していた、それはいつも挿す人がいる、今日見たら枯れた花をとりはらっていた、でも誰がこんな心使いをしているのだろうか?
それは一人は知っている、私が花を挿していると自分に言ったからである
でもその女性は私の家とそれほど深い関係もないし世話した人でもない
何でそうしているのか不思議だったとはなる
そもそも私の死んだ家族は必ずしも他者に尽くしたという人ではない、ただ自分だけに本当に良くした尽くしてくれたのである
無条件で尽くしてくれたのである、だから普通の親とは全く違っていたのである
でも他者に冷たいことがあり何か意外と病気になっても思う人もなく死後もないと思った
たたで考えたことは墓はなんであるのか?

墓は死者のためにあるとは限らない、なぜなら死者は墓にいるのかどうかも本人でもわからないだろう、死んだら後のことがどうなっているかなどわからないだろう
でも死者に対しては偽れないということはある
何か冷徹に生者を見ている、そういうことで死者が全くいないとういことでもない
何かいるということを感じるからそうなる
例えば生前親でも死者に冷たくした人は墓参りができるだろうか?
墓参りは実際はみんなに見せびらかすものでもない、誰も見ていない所で墓参りする
でも死者は見ているのだ!
すると生前冷たくしたとき恨みを残した人の親でもできるだろうか?

その親戚は育ての親にひどいことをした、それは自分はかかわらないから知らなかった
そんなに実の親ともめたことも知らなかった、第一付き合いがなくほとんど自分の家では交際しないし争っていたともなるからだ
でも最後に「ひどい娘だわ」と自分に電話してきたのである
それもなにか付き合いがないからわからなかった
それがわかったのは自分の家にきて母親が病気で寝ているとき、「おばちゃんは金があるんだから金でめんどうみてもらへ」と血相変えて去って行ったことである
そのこと以来私もそんなひどい娘がいるのかと恨みとか怒りとなり消えなくなったのである、もしそういうことがなかったら何も思わなかったのである
その人は何にも自分の家に来てしていないのである
ただ別に付き合いがないのだからしかたがないとなりる何も頼んでもいないのである

それから母の実家の長男が死んで墓を守ってくれと3百万もらった、それはいいとして
これもなかなか大変な責任があると今では思う、もちろんそういう人だから墓でも捨ててもいい、実際捨てるだろう、何かその実家の墓に埋まっている人など思う人ではないからだ
しかしその人には別に実家から分かれてもう一つ墓がありそこに父親と育ての親が埋まっている、だから二つの墓参りをすることになる
でも「ひどい娘だわ」と一言言って死んだ育ての親の墓参りができるのだろうか?
別にそれは墓参りしようがしまいが誰も見ていないしそんなこと詮索する人もいない
でもその恨みは相当に深いことが自分の家族に対してした異常なことで自分自身も自覚したのである、本当にあれほどひどい娘はいない
何もしないのに母が苦しい時、百万くれたのである
でもその女性は何もしないのである、ただ母が苦しいからそうしたのである
第一近くに住んでいないから何もできないのである
それを私が返してくれと言ったら夫の方で返してくれた
実際何もしていないのに受け取ることは普通できない
断るのが普通なのである

その女性は人非人だった!

にん‐ぴにん【人非人】 の解説

1 人道に外れた行いをする者。ひとでなし。

2 インドの俗神、緊那羅 (きんなら) の通称。その姿が人に似て人ではないのでいう。

もう人間ではないと思った、どうしてそうなったのかわからない、たてだ金では苦労していないしそんなに悪い境遇ではない、ただ三人母親が変わったということでそうなったのか?それにしてもそんな苦労はしていない、むしろ三人の母親に良くされたからである
とにかくどうしてそんな人非人になったのか不可解だとなる

その娘はまた5歳まで暮らした実の親を認知症になった親を施設にあずけている
それも全く金のためなのである、その実の親は金をもっているからだ
でも認知症になっているのだからわからない、金しかその女性は眼中にないから最後に悲惨な結果になったとなる
何か母親の実家は警察署長していたとしても不和分裂の家でありそれは死後もつづいていて自分にもふりかかったのである、カルマとなったのである
だから今は恐ろしいから母親の実家とはかかわらない、墓参りもしないのである
ただ兄が埋まっていたので自分の家族の墓の脇に墓標を作った、交通事故で40才で死んだからである

墓とはななんのためにあるのか?それは遺された人のためにあるともなる
死んだ人はもう無意識でありわからないからだ
ただ残された人が死者を想う時墓参りしたりする、そこで死者と通じ合うとなる
その媒介として墓があるとなる、何もなくなれば海に灰をまくとかなれば何も残らなくなるから墓参りもできないので残された人が困るとなるからだ
ただなんか誰か知らない人が墓に花を挿してくれているというのはうれしいとなる
それは無償の行為だからである、墓参りは実際無償の行為である
何かそれで利益になるということもないからだ

でも偽りの心で死者を想わないのに墓参りで装うことはできない
なぜなら死者はその人を冷徹に見ているからである
だから「ひとい娘だわ」と言って死んだ人の墓参りなどできるのか?
ただ別にそのことはわからない
いづれにしろ恨みを残して死なれると後が怖い、それが自分にその恨みがのりうつりあるインドの哲学者はそういう恨みの念が他人にうつりその人が殺人まで起こすと説いていたそういうこともその一言で自分も感じたから怖いと思った
念は一人にとどまらないのである、怨念でも誰かにその念が移ってゆくから怖いとなる
念の力は意外と目に見えないとしても人間にとっては大きいものなのである

それで介護にもいろいろ問題があるが何か恨まれてしなれると嫌だなとなるのだ
私の場合は一応懸命になって介護したから最後にわかってくれたことで救われた
そうして死後も供養できるのである
ただ自分の場合は特別良くされたことでそうなったのである
それを他者には要求できない、みんな親に兄弟でも良くされないからである

ともかく墓がなんであるのかとなると残された者へ死者を偲ぶためにある
ただ墓があってもそうして怨念となっているとき墓参りができるのかともなる
死者はいないようで冷徹に見ているからだ、それは見えなくても感じる
そうしたら怖くて墓参りもできなくなるのではないか?
「あんたはひどい娘だ、見殺しにもした、私はあなたを永遠に恨む」
こうなって死んだ人の墓参りできるだろうか?
それももう他者にはわからないにしろ偽ることができなくなる

いづれにしろ墓はやはり残された人のためにあり何かひっそりと墓参りする時、誰も知らない見ていないのに墓参りするとき、その人には何かそうした墓参りしなければならないものがある、死者に対して懺悔する人もいるかもしれない、だから墓は具体的なものとして死者のいる場所となり遺された人がかかわる場所になる
そういうことで墓の効用があり簡単に墓がいらないともならないのである

とにかくこうして人間は罪深い者である、ただそれを自覚している人はいない、その信の姿を見たら恐怖になるだろう
動物の霊が憑依したような姿になっている、ただ本人にはわからないのである、自覚できないのである
そんな人がいるというのも子供の時一回くらいしか逢っていないからショックだった
ただ大人になれば遺産をめぐって骨肉の争いになるから同じことがある
人間は金をめぐり修羅となり悪魔ともなる、それがこの世の実相だったとういことに引きこもりの自分は驚き唖然としたとなる
だから自分は人とつきあわないとき幸せだったとなるし人間嫌いなのである
あまにも恐ろしい醜い人間に恐怖するとなったからである
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