月見草、秋の蝉、雨の日(巣籠り生活と家のこと)
雨ぬれて買物に行く夏燕
霧雨にぬれて草深く月見草
雨の日や外に出られじ秋の蝉
雨しとと石を濡らして秋の蝉
八畳の間に姉の寝るかな我も寝る悠々として心地良しかな
この天気は変である、秋雨にしては早いけどそんな感じにもなる
ここは十年以上変な天候がつづいている、北海道が本州より暑かったりとか気候の異変がある、ただ都会だとアスファルトとかクーラーの熱で暑くなっている
田舎でも街中だとやはり暑いのである
それでこれまで農家の土間があったが土は冷房装置でもあった
熱をさましたりまた冬はあたたかくしたりする自然の冷房装置としてあった
それが自然な生活だった、だから意外と茅葺屋根でもそうした自然の作用が住みやすいということもあったかもしれない、現代は何でも機械化して人工化するからそれが作用して都会だと異常に暑くなることはある
ただ北海道がなぜあんなに暑くなるのだろうとなる
それは梅雨の時いつも北海道に行っていたからありえないと思ったからである
草深くというとき月見草があっている、それが霧雨に濡れている
庭の石が雨に濡れている、今は下の部屋にいる、蝉が一匹鳴く声がひびいてくる
何かこの蝉の声も季節的におかしい、夏の季語なのに夏はあまり蝉の声が聞こえなかった今年は蝉の声があまり聞こえないとも見る
確かにお盆過ぎれば秋なのだがまだまだ夏のはずである
だからこれもおかしい、季節感がおかしくなると俳句などを作るのに困る
ただ短歌ならそれほどではないだろう、別に季語を入れる決まりなどないからである
八畳の間は姉が寝ていた、広い部屋である、そこに今自分が寝ている
何かこれも不思議である、そこにをとしても姉がいるという感覚になる
姉は子供の時から一つ屋根の下にいて最も親しい人になっていたのも不思議である
母はそういうふうにならなかった
だからそこに姉がいてあたたかく死んでも感じるのである
だから家というのは家族が死んでもやはりそこに依然としている感覚になる
その部屋に60年とか寝ていたからである、そこにまた温かみが残されているともなる
ただ姉が死んでもう十年も過ぎたのである、でも依然として家には死者がいる感じなのである、ただその感じ方は人によって違うのである
親でも全然感じない人もいるからだ
何か巣籠り生活というとまさに雨にもなりこの頃ずっと遠くに行かない、庭の石が雨にしとしと濡れてまるで梅雨である、そして秋の蝉の声がひびいてくる
外は雨茶室に籠もり秋の蝉
こんな風流の感覚になる、ただ巣籠り生活だと広い家が必要になる
家の影響が精神に与えるものは意外と大きい、だから老後は広い家が必要だと思った
ただ二階となると上り下りでめんどうになるし体が弱ると平屋がいいが平屋でも広い部屋が必要だと思った
とにかく家は単なる箱ものではない、そこに長く住んでいたということで何か死んだ人でもそこに依然としている感覚になるとつくづく感じたのである
ただ母の場合は自分の部屋もなく何か女中のようになっていたのである
それはまた問題であったがそうなったことを今や変えることはできない、だから死後も
この家での居場所はどこだったのだろうかともなる
でもそういう事実をもう変えることはできない、そういう変わった家族でも変えることはもうできないのである、それが自分にとって悪いとはなっていなかった
家には何か語り尽くせないものがある、それは単なる箱ものではなく家族の思い出とか
何か精神的な目に見えないものが家には残っているためだと思う
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