2021年08月18日

コロナウィルスの基本的対策が間違っていた (人流をとめることをまずするべきだった)


コロナウィルスの基本的対策が間違っていた

(人流をとめることをまずするべきだった)

現代社会で一番むずかしいのは人の行き来を人流をとめることである
そしてウィルスから守るのには人流を抑えるしかない、確かにワクチンも必要である
でも感染症の基本的対策は人流をとめることなのである
県境を越えて出るなとかなるべく人と交わるなとかになる
でも現代社会はそれが一番苦手なのである
江戸時代だったら関所がありなかなか藩の外に出れないのである
それで関所も有効なものがあったと認識したのも不思議である
国境もまた必要なものだと認識した
そこで水際作戦を行えるからである、だから相馬藩の玉野村には若木神社とかあり感染症を防ぐ神を祭っていたのである

何か政府のコロナウィルスの対策自体これに反したものだったのである
GO TO トラベルとかかえって旅行することを奨めた、それもまたコロナウィルスより生活がかかっているからそっちが大事となりそうなった
それもわかるしそれをネットで大学教授とか科学者がコロナウィルスはインフレインザインザより怖くないということも言うしそれも説得力があったからそうなのかとも考える
正直自分にはわからない、専門家自体もまだコロナウィルスについてはわからない

でも確かなことは最初から感染症に対処する基本的なものが欠けていた
それは最初からそうでありその後もずっと同じなのである
GO TO トラベルとかでもありえないことである、またオリッピックで世界中から人が来るのにそれも止められない、今度高校野球で感染者がでてせっかく東北学院が出たのに
出場辞退でがっかりした、なぜならやはり高校野球はいつも常連しかでないから新鮮だったからである、高校野球はもううプロ化していているからもう本来の素人の野球でもないとも見る、だからもう今までのように持続じてきない時期に来ているというのもわかる

とにかくこうして感染症の基本的対策を実行していない、五輪とか高校野球はとめることができたが政府でもしない、結果的にデルタ株なのかどうか外国から入ってきて広がる
怖いのはメキシコなど南アメリカで流行している変異株がもたらされることだとしているそれで死んでいる人が多いからである
でも五輪は強行したし高校野球も強行した、そして雨とコロナウィルスでさんざんなものになった、とても楽しめないともなった

要するに感染症の対策はそもそも過去でも歴史をみればわかっている、人から人へうつるのだから人流を減らすことなのである、それを人流を増加させる方の対策をしたというのが現代社会のやむにやまれぬ事情があったとなる
ヒトでもモノでも自由に流通することは全面的にいいことだとされ世界的にヒト、モノが流通するグロ−バル化が促進された
しかしコロナウィルスではそれが負の面として意識されたのである
ただ一旦ヒトでもモノでも自由に地域を越えて流通する世界になったときそれを止めることができなくなったのである
それを止めると生活ができなくなるとかなっていた

でもオリッピックなどでも高校野球でもしょせんそれが中止されても飢え死にすることはない、遊びにすぎないのではないかともなる
だから中止してもいいともみる
緊急事態なのだからしょうがないともなる
しかしそれふらできなかったのである、変異株が入るとかわかっていたのにく中止しなかったのである、それは今の政権の責任だったとなる

ただ正直江戸時代のような隣村さえ交わらない異国のようになっていた時代とはあまりにも違っている、それが常態化した社会で人流をとめることはほとんど不可能になっていた江戸時代なら貧乏でもその土地でとれるもので基本的に生活していた
燃料でも食料でもそうである、すると外と交わらなくても一応貧乏でも生活はできたとなる、現代ではそれができなくなった
つまり長所と見えるものが短所ともなるのが人間社会なのである
江戸時代にもどることはできないにしろグロ−バル化世界というのは異常に過度になっていた、そこで失われたものもあり大きいものがあった
ただそれに気づかされることがなかった、コロナウィルスで気づかされたとういことである

グロ−バル化というときなぜ近代では世界大戦で何千万も死んだのかという問題もある
まずこんなに戦争で死んだことは経験していない、世界的に人が交わることはいいこととして全面的に肯定されていたからである
もっと世界を見ろと世界に出ろというのが共通の合言葉だったのである
それは一面ではそうでありそれも必要だった、でもその負の面がコロナウィルスで露わにされたのである
G TO トラベルにしても五輪の開催にしても高校野球にしてもこんなき感染を広めるようなことをすることはありえないともなるからだ
ただそういう社会だからありえたとなる
観光に打撃でありどうにかしてくれとなり政府でも動かざるを得ない事情があった
ただ感染症に対処する基本ができなかったことである

県境をまたいで往き来するなとかなるべく人と接するなとかなると現代社会では一番むずかしいことである、それは江戸時代にももどることである
その江戸時代ですらコレラとかの流行をおさえられなかった、長崎から北前船とかで新潟に入り阿賀野川から会津若松に広まったからである
結局安全だったのは桧枝岐とか交流のない秘境だけだったとなる
最近福島県より宮城県の感染者がまた増えたのはやはり仙台市となると東京からでも人が来る
するとどうしても仙台市から広がる、青森とかで広まったのも仙台市の人が移動して広まったのである
だから今になると仙台市に行くのは危険だとなり行っていないのである

また個人的には引きこもりが安全だともなるのは皮肉である
遠くに行かず外に出るのもはばかり家に籠っていることは感染症にはいいからである
だから現代では禅宗のような寺に籠もり座禅を組んで黙想するとかして人と交わらない
世界に変わるのかともなる、そもそも東京とかは異常な超過密な世界である
とても人流をとめられない、三密をとめられないのである
だから都市的超過密の社会を変えねばならない、その契機にコロナウィルスがなるかのかもしれない、するといい方面にコロナウィルスでも作用したとなる
posted by 老鶯 at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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