2021年08月20日

日本の戦争はなぜ起きたのか (アメリカの戦争の理由もわからない―意味が問われる時代)


日本の戦争はなぜ起きたのか

(アメリカの戦争の理由もわからない―意味が問われる時代)



日本の戦争はなぜ起きたのか

ベトナム戦争はなぜ起きたのか

イラク戦争はなぜ起きたのか

アフガニスタン戦争はなぜ起きたのか


これらの戦争に共通性はあるのか?それはあるとしたらアメリカの被害妄想意識とかかもしれない、太平洋戦争でも真珠湾攻撃がありそれを契機として恨みとしてアメリカが日本を徹底的に総攻撃でうちのめして最後は原爆を落とした
一見日本側から見ればそれだけのことをしたのだから当然だとアメリカではなる
でもふりかえるとアメリカとはそういう国なのだともみる

ベトナム戦争でも泥沼になった、この戦争の理由は共産主義に対抗するためであり米ソ冷戦があり自由主義陣営と共産主義陣営の戦いだともなっていた
でもこれもまた最後の方になるとなんのための戦争なのかわからなくなっていた
それで(地獄の黙示禄)という映画ができた、ただそこは人を殺す狂気の世界ともなっていたのである

そもそもそんな地獄を作りだしたのは誰なのか、アメリカだったとなる
ベトナムにアメリカが侵攻したときベトナム人は土着精神の愛郷精神でベトコンとなり耐えて勝利を治めた、それはアフガニスタンとも似ている
タリバンはベトコンなのかもしれないからだ、土着している土地を踏みにじったということで戦ったからだ、今でも土を盛っただけのベトコンの墓がそちこち見られる
また負傷した人が傷痍軍人が回って物乞いしていたりした
それは日本の戦後とも似ている

イラク戦争ではアメリカが化学兵器があると難癖つけて戦争になり攻撃した
実際は化学兵器はなかった、ヨ−ロッパとか多国籍軍を編成してイラクに突入した
日本は金だけを払いアメリカから責められた
同盟軍なのだから参加しろと強制されていたからである
この戦争の原因は9・11のニュヨークのビルの爆破で三千人くらい死んだことである
日本人も20人くらい死んだ
これに激怒してイラク戦争になったのである
それは真珠湾攻撃で日本にアメリカが激怒して原爆まで落としたのと似ているのである
そこに正義などないし戦争にそもそも正義などないのである
アメリカは2の被害があったら十倍にしても報復する
それは報復する力があるからその力を乱用する

それでなぜアフガニスタンでもベトナムのように勝てなかったのか?
強大な軍事力をもっていても勝てなかった、タリバンもベトコンなのか地元に土着しているしやはり地元の支援があるからアメリカでも勝てなかった
アメリカに空爆して殺されている住民もいるからである
つまり強いとその強さのためにわずかでも被害があると十倍になってもはねほかえってくる、アメリカを攻撃するものは絶対に許されないとなる

でもアメリカの戦争をみるとそれが正義とかないのである
アメリカの強さを誇示するものでありアメリカに逆らうものは許さないということなのである
確かに真珠湾でも三千人くらい死んだから被害が大きかったし日本は馬鹿だったとなる
アメリカという国がどういう国かわからなかったのである
その強大な軍事力であれ経済力を知らなかったのである
ただ日本側にすれば経済封鎖で石油が入らないとか窮迫していてやむをえず真珠湾を攻撃した、つまり追い詰めれていた結果なのである
そうして追い詰めたのはアメリカだったとなる

何かやはりアメリカは強大な力をもっているからそれが力の乱用になる
それが行き過ぎた結果となる
原爆まで落とす必要があったのか?それが疑問なのだけど日本はそれで完全に降伏した
日本側の問題は戦線を拡大しすぎたことである
日本側でも何の目的でアメリカと戦争になったのか明確はない
アジアの国々の植民地解放といってもそんなことを国民が意識していたのかという疑問である、戦争が終わって結果的にそうなったからそれを盛んに言う、戦争の理由にしているとなる

戦争にしてもそれが何千万人も死ぬ、するとそれ相応の戦争の理由があってもいいのだがそれがはっきりしないのである、ドイツのナチスにしてもそうである
その戦争の理由が明確ではない、ただドイツでも失業者が増大して国民の不満がありそれが戦争に結びついた、ただその理由は何なのかとなる不可解だとなってしまうのである
理由なき反抗とかの映画があったがそれとも似ている

そして戦争が終わって必ずその意味が問われる、なぜ日本は戦争したのだ

それは三百万人も日本でも死んでいるからである、そしたら犬死だった、その死は無意味だったとできないからである、もし明確な意味ある目的ある戦いとして始めていればこういうことはないのである
戦争が終わり莫大な犠牲者が出て一体この戦争は何のために戦争だったとなる
その犠牲が余りにも大きすぎたからである
最初から意味と目的がはっきりしていればそんなことはないのである

ただあらゆることが何かその意味とか目的が明確ではない、江戸時代辺りまでの戦争はただ権益争いであり強い者が勝利してその権益を得たとかわかりやすい、それはヨ−ロッパとかでも同じである、戦争は権力闘争であり権益を得るためだとということでわかりやすいのである
ただ現代文明の戦争はその理由がわかりにくいのである
そして今になるとあらゆることで意味とか意義とかが問われる
オリッピックでもその意義が問われた、高校野球でさえ今その意義が問われる
それはあらゆる方面で問われる時代になったのである
なぜなら日本でも三百万人死んだように犠牲があまりにも大きいからその意味が問われるその意味は戦争が始まる前によくよく考えるべきだったとなる
そうすればみんなその意味に納得して後で後悔することはないからである

アメリカがなぜこれほど強行に戦争するのか、そさは強大な力をもっていて少しでも傷つけられるとその十倍にも百倍にでも報復する
そして原爆まで落としたのである、そういう国だということである
だからいづれそれが大きなカルマとなる、アメリカは戦場になったことはない
日本のようにベトナムのようにイラクのようにアフガニスタンのように戦場になったことはない、だから一回戦場になったみたらその苦しみがわかるはずである
9・11のニューヨークのテロでは戦場になったような気分になった
だからあれほどのイラクとかテロ国家への攻撃となったのである
でも日本であれベトナムであれアフガニスタンであれどれだけの被害があったかみればわかる、その規模があまりにも違いすぎるのである
それで9・11のテロは日本のパールハーバーになったのである

とにかくこうして戦争でもその戦争中はあまり意味を問うこともない
でも終わった後に意味が問われる、なんためにこんなに死んだのかと問われるのが人間であり歴史である
近代の戦争は何かその戦争の意味が明確ではないのである
ただ近代兵器が生まれて犠牲が莫大になったのである
そして古代から戦争があったが近代の戦争では英雄というのは生まれない、日本の戦争でも3百万人死んでも何か英雄として語られる人がいないのである
ただ莫大な消耗戦のようになっている、だからこれも何なのだろうとなる

他にもあらゆる分野で意味が問われる時代になった
オウムとかカルト教団にしてもその時優秀な理系の大学を出た人が革命のために仏教の教義で逆らうものはポアしていい殺してもいいということを信じてサリンをまいた
ただその時こんなことしていいのだろうかと疑問をもったはずである
それもなく死刑にされるときひどく後悔したのである、麻原にだまされたとか無念の内に優秀な人が死んだのである、これも何か意味を問わないではじめた
またカルトだから宗教だったら殺傷は禁止なのにそれも正当化されたのである

創価などでも何のために宗教を看板にしているのかわからない、政治権力を得て権力を掌握することが目的なことは確かである
そうしたら宗教とは相反する、でも日蓮の教義では矛盾しないがそれだって中世のものであり適応されないのである
タリバンでも中世時代の宗教の価値観だから問題がある、おそらく江戸時代でありイスラム原理主義の政教一致なのである


共産主義にしても文化革命で一千万人死んだとかカンボジアで二百万人が死んだとか頭蓋骨が積まれて博物館になっている
この犠牲も何だったのだろうとなる、共産主義の暗黒がまざまざと示された
一応民主主義国家ではそういうことはありえない、反対勢力を一応認めるからである
でも共産主義は反対勢力は抹殺する意外ないからこれほどの被害がでる
それで欧米の民主主義とか法の支配とかが政治として理想でなくてもいいとなった
民主主義はまどろこしいというか手続きとかにこだわり話し合いになると簡単に物事を決められない、だからコロナウィルスでも緊急時には弱いとなった
強力にコロナウィルスに対処できずに感染者を広めたということがある

ただ共産主義にも問題がありそれは反対を認めない、抹殺することである
権力をもったものはどうしても反対勢力を嫌う、すると権力があるからそれで抹殺できるその権力の乱用が怖いのである、権力を監視するものがないからである
だからどうしたら反対勢力でも存在させる仕組みが必要になる
タリバンなどにはないから反対する者は許さない戸なり暴力で排除してしまう
そこで反対するとなる死者が出てそれも多くの死者が出て犠牲が大きくなる
それも大問題なのである

結局こうして社会の大きなことでも何のためにするのか、その意味と意義が問われる
それはあらゆる方面でそうなのである、だから哲学の時代でありどこでもなぜなのか
何のためにするのか、あるのかが問われるのである
それは別に哲学という学問をする一部のものではない、あらゆる方面に庶民でもかかわり問われているのである

とにかく人間個々人でも死ぬと必ずこの人の人生は何だったのか、何の意味があったのかとか問われる、例えは巨額の財産を金を残したからと必ずしもそれが意味あるものとして評価されないこともある、でも財産を残さなくてもその意味や価値が問われてそれが価値あるものとして認められることもある、歴史的価値あるものとして認められることもある何か死んだ後の価値は必ずしも財産ではなくなる
組織団体でも意味が問われ個々人でも死ぬと必ず意味と価値が問われる
それが人間である、動物にはそんなことはないからである
人間の人間たる所以はこうして何のために生きるのかとか何のために生きたのかと意味を問うことにある、だから莫大な犠牲を死者を出してもそれに何の意味があったのかと戦争が終わった後に問われるのである

posted by 老鶯 at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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