NHK「戦火のホトトギス」 ▽17文字に託した若き将兵の戦争
(その感想の短歌十首―三陸会のことなど)
従軍看護婦でも相当に死んだ人がいる
直接人を殺したりしなくても伝染病とかでも死んだ
姉も腸チフスになったというから過酷なものだったのである
見送りし夫は戦地に帰らざれ山吹の色妻に濃しかな
誰が思ふ戦地に果てぬその俳句色あせし紙に記され残りぬ
戦地より病に帰りぬ傷痍兵看護婦迎えしばし慰む
義足つけなお戦わむやあわれかなその痛み思う戦争のむごさ
戦争も遠くなりぬれ紙も古り写真をも古りぬ伝ゆ文字かな
戦いぬ従軍看護婦の姉も死ぬ戦地の夢にうなされ死にぬ
古ぼけし写真は語りぬ戦争も遠くなりぬれ誰かたずねむその痛み知れ
青春を戦地に費やし何思う日本のために共に戦ふ
戦争を語れる人も消えゆかむその深き痛みは忘るべからじ
親に聞く戦争の話し伝えむもその子も死なむ過ぎる時早し
三陸会記録残りぬ誰が読むや大方は死に忘れられゆく
姉語る戦友のこと常にして今は死にしも記録のみ残る
戦いて異国に埋もる哀しきや故国は遠く帰れざるかな
NHKのこの戦争をふりかえる放送は俳句を中心にしたものであり私も俳句を作っているから関心をもった、ただ戦争となると俳句とか短歌になりにくい、血なまぐさいし人を殺すとういこともありそういうことを語りたくないから口をつぐんで死ぬ人も多い
何か18歳で志願兵になった人はどうも中国人を殺したらしい、ただ途中で口を噤んだ
つまり人を殺したことなど簡単に言えないからそうなったとみる
とにかく戦争という時、私は姉から千回くらい毎日聞かされたのだ、姉はシンガポールの向かい側のマレー半島のジョホールバルの赤十字病院で四年間地獄の苦しみのなかで看護婦として働いた、一時は腸チフスとかになってひどかったらしい、そういう話を延々と聞かされた、それはひどい認知症になって余計にそのことを延々としゃべるので嫌になった同じ事を何度も話すからである、そして遂に死ぬまで戦争のことを話しして病院で死んだのである、おそらく病院でも戦争のことを忘れずにうなされていたのかもしれない
青春時代のことは覚えている人が多い、若い時のことは覚えている
そして島根県の人の戦友のことを何度も言って死んだ
もらったバックを大事にしていたのである、それは思い出の品だったからである
でもそれ自体は粗末なものだったのである
でも戦友からもらったということで大事にしていたのである
そういう映画をもがりの森とかで見たから認知症は同じ症状がある、それも不思議なのである、本当に認知症は不可解な病気なのである
ケガをして戦地から帰り傷痍病院がありそこで義足をつけた人がまた戦地に行くために戦う訓練していたのを見て酷いと見た、義足でも飛行機にも乗れるとか言っていた
その時日本は戦う兵士が不足していてそうなった、40才でも招集された人がいてそのことを書いた、それは松川浦の人だった
戦争がどれだけ悲しさ苦しさと無惨さを悲劇をもたらしたかそれはきりがないだろう
人が殺し合うのだから当然だとなる、たからこそ戦後は子供に孫にも何も語らなったと放送された人がいたがそういうことはある
姉の場合は従軍看護婦であり人を殺したりしないから語ったのである
三陸会という戦友の雑誌を出していた、そこにも膨大な記録は残っている、戦争の記録は膨大である、それをいちいちふりかえることも手間になる
ただ戦争を忘れないためにはそういう記録を見直すということも必要である
ひたぶるに故国こがれつつ逝きし戦友の涙の如くスコール激しき
大いなるゴムの木のもと掘り返し還らぬ戦友の屍を埋む
何かこういうことがあり痛切なものとして後にふりかえる、戦争の是非はともかくそこに痛ましい人間の情がせつせつと短歌にしている
俳句を話題にしたがここでは短歌が上手な人が結構いるのである
姉の島根の戦友も短歌が上手であり三陸会に結構のせている
俳句でも短歌でも何か切実なものがあるとき歌われるときその背景を読み込まないと鑑賞できないのである、今のような平和な時とは違うからである
戦場で友が死にその死体を葬るというときそうである、それも異国なのである
だからそういうことは経験した人でないと分らないとなってしまうのである
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